11-1・本当の願い
僕はマサハルと夏休みの真実と過去を話し合い、互いの罪を分かち合った。そして、この世界が終わる最後の時まで共に生きて夏休みを一緒に遊ぶ約束をした。
泣いていたマサハルを一人にするのが心配だったが、マサハル本人が「大丈夫です」と言っていたのと、一人になる時間の大切さは僕も知っていたから、その言葉を信じて帰宅した。
自宅のベッドに入ると思いのほかすぐに眠れた。その時に見た夢を僕は忘れないだろう。
それは幼い僕らが再会した夢で、マサハルの夢に出てきた僕は、夢を渡って僕の夢の中で泣いていたマサハルを助けにいけた。僕は夢の中だけど、マサハルのヒーローになれたんだ。
今日も夏休みは終わらないから学校に行く。
学校へ続く坂道も校門前の長階段も一歩ずつ確かに歩いていく。一歩踏み出すごとにマサハルが待つ場所へ近づいていく。残り僅かな夏休みの世界では何気ない時間さえ大切なものだ。
教室に行き、目安箱を手に校内を歩くと校庭にマサハルの背中を見つけた。
近寄って回り込んでからいつものように挨拶をする。
「おはよう。目、真っ赤だね」
「おはようございます。……誰のせいで目が腫れるほど泣いたと思っているのですか」
むすっとするマサハルの目元は真っ赤に腫れていた。文字通り腫れ物に触れるような扱いをするべきではなかったかもしれないが、あえて指摘した僕の軽口にマサハルは皮肉を交えて返す。気心の知れた友達同士がするようなやりとりを今もできることに嬉しさが込み上げる。
その喜びを隠すようにまた冗談を言った。
「また元の『ですます口調』に戻っちゃったか。タメ口もよかったけど、やっぱりこっちかな」
「おわたさん、ちょっとだけ気持ち悪いです」
数時間前のマサハルは感情が高ぶったせいか、ごく普通の同年代の女の子のような話し方になっていたが、眠って気持ちをリセットできたのか元の口調に戻っていた。他人の心に近づきすぎず、ほどよい距離感を保った丁寧な話し方がマサハルらしい。
「さて、今日はなにをしましょうか」
「じゃあ、夏休みの答え合わせの続きをしようか」
そろそろ最終問題を解く時間だ。まずは〈世界を創る鍵〉について聞いてみよう。
「気になっていたんだけど『世界を創る鍵』ってどうやって手に入れたのかな」
「以前、藍澤さんが宝物をくれたと話しましたよね。それがあの鍵です。鍵は藍澤さんが別の世界で出会った大切な人がくれた宝物で、私のように『青色』を持った人が願いを叶えるために使うか、この鍵を託したい人が現れたらあげるようにと仰っていました」
マサハルは首から下げていた世界を創る鍵を取り出した。
鍵の先端にはチェーンがついていてネックレスとして身に着けているようだった。
「そして、『この鍵が開く扉の先には君が望む世界が待っている。君が世界を変える人になるんだよ』……そう言って託してくれたのです」
世界を変える人、所有者に世界を創り変える神の真似事を可能にする鍵。
マサハルは世界を創る鍵についての詳細を説明した。
鍵はいつから存在していたのか、誰が創ったかは不明だが、鍵を使えば自分の望む世界を創り、そこに人や生き物を自由に呼び寄せられることは夏休みの世界に来てからわかったそうだ。
神になっても命のあるものは創れないが、命のないものなら記憶から想起すると具現化できた。そうしてこの町を作り上げた。想像だけでは脆くなってしまいそうだが、世界が現実感を補強してくれたらしい。町中が古錆びていたのは世界が終わった現実を知って、崩壊した世界のイメージが流れ込んだせいもあるが、一部は復讐のために呼び寄せたクラスメイトが破壊したものもあるらしい。
木々や花といった植物はものを言わないが生命だ。生命を創ることはできないから、見た目を似せただけの偽物らしい。実際に触れている瞬間だけ感度や解像度を上げて、それ以外の時はリソースを割かないように世界が調整してくれるようだ。
食べ物も植物と同じように偽物だ。マサハルが食べたことのある物の形や匂い、味などを想起して再現したものだそうだ。栄養素やカロリーや満腹感すら世界が補強したという。
一度目の世界の終わりに世界からカット&ペーストされたマサハルはすべての人々の記憶と世界から存在を忘れ去られた。それでも夏休みの世界ならばマサハルは自由だった。
そんなマサハルを僕だけが覚えていた理由を考えてみた。
本が僕らの罪の象徴であったように、鍵が僕らを導く象徴だったのだろう。
本と鍵の二つで僕らは繋がっていた。
それでも世界を移動した際、記憶に齟齬や忘却が生じるのは避けられないことだった。僕はここに来るまでの記憶をいくつも忘れたが、それはマサハルも同様だろう。
次は記憶の確認だ。この世界は〈いつ創られたのか〉を聞いてみよう。
「藍澤さんが鍵をくれたのはわかったけど、ここは『夏休みが始まる前に創っておいた世界』と言っていたよね。それっていつ頃だったんだろう」
「夏休み前にクラスメイトから疎外されて、なにもかも嫌になって、この世界を創ったの……です? ……あれ?」
語尾が疑問形だったから、マサハル自身も自分の考えの矛盾に気づいたようだ。
「その頃には鍵は転校した僕の元にあったから、世界を創ったのはもう少し前だよね」
マサハルの記憶の欠落は世界を創った時期と世界を創った理由の二つだ。
瞳を閉じたマサハルは遠い記憶を呼び覚ますように深く思考する。
本の中の少女のように一つを思い出せば、思い出したくない記憶も蘇るだろう。
それでもマサハルは考えることをやめない。この世界が生まれた本当の理由を、優しい願いを取り戻すことに迷いはなかった。
しばらく経った頃、マサハルははっと顔を上げた。
「私が夏休みの世界を創った理由は、一度目の世界が終わった時に出会った神様に話した世界を継続させたい理由は、私の本当の願いは『あなたと夏休みを一緒に遊びたかった』……!」
優しい世界が創られた理由は復讐のためなんかじゃなかったんだ。
「あなたに本を貸そうとした時に、私はこの世界を創ったのです」
中二の夏休み前の放課後の図書室で僕に本を貸したマサハル。そういえば鞄の中から本を見つけた時になにかを呟いていたようにも見えたが、まさかその時に世界を創っていたのか。
「私は鍵に願ったのです。『尾張くんと一緒に夏休みを過ごせる世界が欲しい』と」
マサハルはこう続けた。僕がこの鍵の意味に気づいて自分の意志で夏休みの世界に来てほしいけれど、ずっと待ち続けるのは大変そうだから三年くらい、高校二年生の夏休みまで待つと願ったらしい。だから神に三年間だけ元の世界を続けてほしいと頼んだのだ。
「おわたさんに本を貸して仲良くなって夏休みを一緒に遊べる、そんな関係になりたかった。だから誰にも邪魔されずにあなたと過ごせる世界を鍵に願ったのです。永遠に八月が続いて九月が訪れず終わらない世界、たった二人だけで完結した世界なんて普通の人からすると怖かったり、気持ち悪かったりしますよね」
「普通の人ならそう思うかもね。でも僕は『怖いものにこそ美しいものはある』なんて言ってしまえるくらい変な人だよ。だから僕はこの世界をなにより美しいと思ってしまうんだ」
青色を怖いと言ったマサハル。青色を美しいと思った僕。
怖い青色にこそ美しいものがあるように、この世界は誰もが忌避して蔑むようなものであっても、マサハルが願った優しい気持ちから生まれた世界は〈美しい〉以外に例える言葉はない。
「君も同じこと思っているだろう」
「はい! なので私も変な人です」
僕らは顔を見合わせて笑った。変人しかいない夏休みの世界を僕らは生きていくんだ。
僕の夏休みの答え合わせはここまでだ。次はマサハルの番だ。
「えっと、私からも質問してもいいですか」
頷いて先を促した。マサハルが聞きたいことは、なんとなく伝わっていた。
「どうしてこの町に帰ってこようと決めたのかを詳しく聞いてもいいですか。おわたさんの過去の記憶を断片的に見ただけなので、ちゃんとした理由を聞いておきたくて」
マサハルの知っている僕は返したい本があって会いたい人がいても、その場から動けずにいる臆病者だったのだろう。そんな臆病者の僕が一歩を踏み出そうと決意したきっかけを知りたいと思うのは予想済みだ。
暁春燈歌と霞冬治明。
マサハルにも二人のことを知ってほしいから、きちんと話しておこう。
「この町に帰ってこようと思ったのはね、僕の背中を押してくれた人たちがいたからなんだ。僕はずっと君のことばかり考えていたくせに、自分の気持ちすら信じられなくて、会いに行く勇気がなかった。そんな僕を奮い立たせてくれた人たちがいたから、僕はここにいるんだ」
「きっと、優しくて温かくて、素敵な人たちなのでしょうね」
「暑苦しいくらいお節介焼きな二人だったけどね。……暁春と霞冬とマサハルと僕の四人で夏休みを遊んでみたかったな」
「私も直接会ってお礼を言いたかったです。お二人がおわたさんの背中を押してくれたから、私たちは一緒に夏休みを過ごすことができます。本当に感謝してもしきれないです」
八月三一日に終わった二度目の世界に取り残された彼らはもうどこにもいない。もう二度と二人に会うことはできない。
僕らは同時に空を見上げた。どこまでも青く高い夏の空には入道雲が立ち込めていた。
この空の向こうから彼らが見守ってくれていると信じたいと思うのは、生きている人間だけしか持ちえないエゴだ。それでも彼らの眼差しと優しさを信じていたいし忘れたくなかった。
「またどこかで会えるといいな」
「ええ、きっとまた会えます」
マサハルの願いを叶える優しい世界なら、そんな無謀な望みですら叶えてくれる気がした。
夏休みの答え合わせを終えた僕らは夏休みの残り時間に思いを馳せる。
「私たちの願いは二人が再会すること、二人だけで夏休みを遊ぶこと、この世界の存続する理由はほとんど叶っています。この瞬間にも確実に世界は終わりへと向かっているのですね」
それでも僕らがやることは変わらない。
僕は傍らから目安箱を取り出した。
ここにはまだ遊んでいない夏がある。その夏のすべてを遊ぼうじゃないか。
「まだ終わらせるもんか。夏休みを遊びつくすって決めただろ。さあ今日も籤を引こう」
目安箱は以前よりも軽くなっていた。昨日までは二人で一枚ずつ引いていたが、今日からは一日に一枚だけ引くことになった。目安箱から夏の籤が無くなれば夏休みが終わってしまう気がしたからだ。
夏休みが終わらなければいいのに。
それは夏休みの終わりが近づけば、誰もが味わう気持ちだったが、今の僕らが抱いている切実な思いには届かないだろう。
当たり前のように月日が巡って来年の夏に辿り着ける世界と、この夏が終われば次の夏が来ない僕らの世界では意味合いも思いも違いすぎる。
それでも夏よ、まだ終わらないでくれ。祈りを込めて今日の一枚を引いた。