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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
10日目【8月41日】
26/40

10-6・『僕たちの夏休みはこれからだ』

これが僕の話。自分の心すら信じられなかった弱虫だったけど、真青遙夏という青色に出会い変われた、ただの僕の話だ。



「もしも僕が転校しないで、あの教室にいたら、ただ傍観していただけかもしれない。他の奴らと一緒になって君を傷つけたかもしれない」



 僕の首を締め上げようとしているマサハルの両手に重ねた手に力を込める。


 この愚かな罪人に裁きを、君を助けられなかった僕に罰を与えてくれ。



「助ける? 救える? そんなのは、わからない。わかるわけがないよ。君が助けてほしかった時に傍にいなかった僕が『必ず君を助けられた』なんてヒーローみたいなこと言えないよ」



 僕は最初から君のヒーローになれなかった。なれるはずがなかった。


 地面が揺らぎ視界がぼやけていく、また夢を見せられるのかと思ったが違う。僕が勝手にこれ以上立っていられなくなっただけだ。


 地面にへたり込んだ僕をマサハルが見下ろす。



「それに、本を返せなかった結果、君を苦しめてしまうなんて、こんなことになるなら僕は君に出会わなければ……」



 その先の言葉を紡げない。紡ぎたくなかった。

 僕は顔を上げて泣き腫らしたままのマサハルの目を見据えた。



「出会わなければなんて思えるはずないんだ」



 人生の最期に見える景色がマサハルの泣き顔というのは悪くない。

 本当はマサハルにはずっと笑っていてほしかったけれど、僕に彼女を笑顔にできる力はない。

 それでも伝えたい気持ちが溢れて止まらない。この言葉を伝えられたら、もう満足だ。




「だって、僕は君のことが」

「もういいです。それ以上なにも言わないでください」




 僕の言葉はマサハルに届くことはなかった。


 マサハルは僕の手を振り払うと、僕の首を締め上げるはずだった両手を下ろして項垂れた。



「私は、あなたに他のクラスメイトと同じように、いいえ、それ以上酷い方法で復讐するつもりだったのですよ。あなたの心に永遠に残る傷をつけようとしていたのですよ」



 自分にかけられた言葉を相手に返すのが彼女の復讐ならば、転校して彼女の目の前からいなくなった僕への復讐は僕の命を終わらせることじゃない。



 僕の目の前から永遠にいなくなることだったんだ。



 首を絞めようとしたのはハッタリだ。僕の意識だけを奪い、その間にこの世界から消えることで、三年前に死に損ねたマサハルは再び自ら命を絶とうとしていたのだ。


 それはあまりにも正しい復讐だった。

 再会してすぐに復讐するよりも、仲良くなってから僕の目の前からいなくなったほうが僕の心を的確に抉れる。

 僕は夏休みを共に過ごしたマサハルをかけがえのない存在だと思っているし、記憶が戻る前も戻ってからもそれは変わらない。

 マサハルが僕の目の前からいなくなるなんて死よりも耐え難い罰だ。僕の心に永遠に消えない傷を刻み込む手段ならば、これ以上のものはない。


 マサハルにとっては最高の、僕にとっては最悪の復讐になるだろう。


 俯いたマサハルの顔は雨に濡れた長い髪で遮られて見えない。彼女は下を向いたまま大きく息を吸い込んで僕への文句を息継ぎせずに並べ立てた。




「それなのに、あなたは夜のプールに忍び込むし、今までの夏休みにできなかったことをしようとか言いだすし、はしゃぎすぎて風邪ひくし、焦がしちゃったお粥残さず食べるし、一緒にアイス食べるし、会わないと思った日にも会うし、一緒にタイムカプセル埋めるし、星も花火も見るし、一緒に元の世界に帰ろうなんて言うし、嘘も秘密も全部知ったのに一緒にいてくれるって言うし、ずっと貸したままだった本を律儀に返してくるし!」



 余裕がないのかいつもの敬語混じりの話し方ではなく、同じ年頃の普通の女の子みたいな話し方になったマサハル。慣れない話し方と文句の連撃で息切れを起こして疲れたのか彼女は僕の両足の間に座り込んでしまった。



「嘘でもいいから『必ず君を助けられた』って言ってよ。そんな嘘つきな人だったら今すぐに復讐できたのに、なんで正直に答えるの」



 マサハルはゆっくりと両手を伸ばして僕の両肩に手を添えた。


 至近距離にマサハルの顔があるのに表情が見えない。

 月明りか、星明りがあれば見えたのに、まだ雨雲は晴れない。


 マサハルは僕が本当の復讐の意味に気づいたことを把握しているだろう。この時点で世界最後の最高で最悪の復讐計画は失敗したも同然だ。

 標的に犯行を未然に気づかれた復讐者は自ら命を絶つ前に僕の息の根を止めてくれる。永遠に覚めない夢を見せてくれるはずだ。

 やられたことをやり返すのではなく、単純に、シンプルに僕の命を終わらせる。それが彼女の新しい復讐だ。


 マサハルが復讐を遂げるのは、僕の願いでもあるのに、いざ自分の命の終わりの時が近づいていることを実感してか僕の目からは涙が零れてきた。


 これは悲しい涙ではない、嬉し涙だ。


 マサハルは終末の魔女で、夏休みの世界の神で、そんな彼女が僕に最後にかける魔法は、永久に続く青色の世界に僕を捕らえる魔法であればいいのに。そこが僕の地獄になればいいのに。


 いいや、地獄が青色に包まれているなんて、僕にとっては天国になってしまうか。

 僕にとっての青色は真青遙夏そのもので、彼女と永遠に共にいられるようなものだから。


 マサハルが、僕にかけた魔法は。マサハルの復讐は。




「ずっとね、あなたが私のヒーローになってくれたらなって思っていたの。私があなたのヒーローなだけじゃなくて、私にとってあなたもそんな存在になってくれたらなって、復讐される、復讐する関係なんて……そんなの」



 彼女の復讐は、こつん、と僕の額に自分の額を優しくぶつけた。それだけだった。




「ばかみたい。こんな正直者で、ヘタレで、変な人に復讐しようとしている私も、こんな大嘘つきで、なにもかも自業自得な私に復讐されそうなあなたも、本当にばかみたい」



 温かい涙が僕の頬に落ちる。マサハルは泣きながら、愚かな僕ら二人を笑っていた。




「なんで初めて会った時に、あなたと私は似ていると思ってしまったの。あなたは私に似ていて人を信じられないくせに、どうして人と一緒にいることを選べたの。その理由が聞きたかった。話してみたいと思ってしまった。だから本を貸したの。そうすれば仲良くなれると思ったから。でも、あなたは転校しちゃったから、もう会えないと思っていた。でもまた会えた。世界なんて終わってしまったのに、それでも、また会えた……!」



 僕とマサハルは同じ気持ちを抱えていた。こんなことならもっと早く話していればよかった。もっと歩み寄っていればよかった。そうすればあんな悲劇は起こらずに済んだのかもしれない。

 それでも今、こうしてお互いの気持ちを話し合える。お互いの罪を共有し合える。

 それがなによりも嬉しくて、涙を止めることができなかった。




「私、嬉しいのかな。悲しいのかな。ああ、こんな気持ち、今さら知りたくなかったな。どこかに置いていきたいよ。抱えて生きるには重すぎるや」

「駄目だよ。それだけは、ずっと抱えていて」



 僕らの間にある気持ちも罪も僕らだけのものだ。どうかそれを捨てないでほしい。それを捨てて遠くに行かないでほしい。それを持ったままこれからも僕と生き続けてほしい。


 マサハルがしたように僕も彼女の額に自分の額を優しくぶつけた。

 こうすることで僕らの罪を半分ずつにして、互いに背負い合えるような気がしたからだ。



「なにそれ、やめてよ。復讐されたいの?」

「嫌だよ」

「嘘だよ」

「この嘘つき」



 喧嘩未満の言い合いをして空を見上げると雨雲の合間から星々が顔を覗かせていた。

 雨上がりの夜空の清浄さが今のマサハルの心を映しているようだった。


 思えば、青空も、曇り空も、雨空も、すべて彼女の心そのものだったのかもしれない。空はこの世界を創った神様の心模様を映す鏡だったのだろう。


 僕の隣に座り直したマサハルはいつか誰かが予言した世界の終わりの話をした。



「あーあ。二〇一四年と二〇一七年じゃなくて、一九九九年に世界が終わってしまえばよかったのに。私が私として生まれなくて、あなたがあなたとして生まれなければ、きっと私たちは仲良しに、友達になれたのに」



 予言では僕らが生まれる一年前に世界が終わる予定だったらしい。

 たまたま僕らがいる世界が終わらなかっただけで、他の世界は滅んでいるのかもしれない。

 一九九九年に終わらなかった僕らの生まれた世界にありがとうと言いたい。

 もしも一九九九年に世界が終わっていたら、僕らは僕らとして、尾張奏汰と真青遙夏として出会えなかったし、一緒に夏休みを遊べなかった。


 そんな僕らは、僕らじゃない。

 友達になれなかった僕らなんて知らないし、知りたくない。




「よく話をして、夏休みに一緒に遊ぶ人たちの関係は、きっと『友達』って言うんだろう」

「そう、だったね」



 いつかマサハルが教えてくれた言葉を、今度は僕がマサハルに伝えた。

 今の僕らは、そう呼んでも間違いではない関係のはずだ。


 夜空に煌めく星を見つめたまま、マサハルに夏休みの世界の行方を尋ねた。



「ねえ、マサハル。この世界は、あとどれくらい持つのかな」

「ここは私が『復讐をするためだけに存在している世界』のはずだから、あなたへの復讐心が薄れた今は数日も持たないかもしれない」



 マサハルはまだこの世界が創った時に願った理由を誤解しているようだった。この世界は、本当は優しい理由で生まれた世界のはずだ。僕が転校する前、マサハルが悲しみに暮れる前に創られた世界、彼女はなにを願って夏休みの世界を創ったのか。その理由はまだわからなかったが、これから知っていければいい。残された時間は残り僅かだとしても必ず見つけてみせる。


 僕は残りの夏休みの過ごし方をマサハルに提案してみた。



「それだけあれば十分かな。目安箱の籤、まだ引いてないのあるよね。あれ全部やろうよ」


 大袈裟に立ち上がりながら僕は拳を天に突き上げ宣言した。


「僕たちの夏休みはこれからだ! なんてね。これからなんて、そんなにあるわけじゃ……」


 言い終える前に僕の隣でくすっと綻ぶ声がした。マサハルは堪えきれずに吹き出してしまったようだ。




「ほんと、変な人!」




 その笑顔に涙はない。悲しみも苦しみも、罪も罰もなかったことにはならない。

 僕らは互いの罪を許さない。

 それでも夏休みを共に生きていく。




 夏休みが終わる、最後の瞬間まで。

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