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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
10日目【8月41日】
24/40

10-4・もしも

「これが、私がこの世界に来た真実です。なんてことのないありふれた復讐譚と、永遠に繰り返す夏が、偶然に合わさっただけのつまらない話でしたね」



 凄惨な過去と真実を語り終えたというのに事も無げにマサハルは嗤った。

 凍りつくような笑みを浮かべたままマサハルは僕が話す隙も与えずに詰問する。



「さて、一つお聞きしたいことがあります。あなたは意図せずとも自分が苦しめた人に復讐されてもいいと思いますか」



 マサハルは僕に罪を認め、罰を受ける覚悟があるか、復讐される覚悟があるか問うている。

 ここは罪の始まった場所で終わる場所。絞首台の上で裁かれるべき罪人は僕だ。



 それでも僕は。



「復讐されるのは嫌だけど、それで君の気が済んで僕の罪が償えるなら……いいや、違う。君に復讐をされても、僕の罪は償えては、消えてはいけないんだ。ずっと心の中にあって自分の命が終わった後も続いて、背負い続けなくちゃいけないんだ」



 復讐を受け入れれば罪が消えるなんて都合がよすぎるし、死刑執行されても罪が消えるわけじゃない。

 傷つけられた人がそれだけで罪を許すというなら、最初から罪など犯さなければいい。

 それでも、既に罪が生まれて落ちてしまったならば、罪は消えずに残り続けるべきだ。

 たとえ世界が終わっても消えずに残るべきなんだ。


 一歩踏み出した僕はマサハルに本を手渡した。



「遅くなったけど、本返すよ」



 この本は僕らを繋ぎ、マサハルが傷つく原因になったものだ。


 彼女はこの本を愛おしいと思うのか、破り捨てたいほど憎く思うのか。

 マサハルは本を受け取ると胸元に運んで両腕で力強く抱きしめた。その表情は俯いて雨に濡れた長い黒髪の向こうにあって窺うことはできなかった。


 本を抱きしめながらマサハルは宿願を叶えたと囁いた。



「この世界は本当に私に優しい世界ですね。ずっと返してほしかった本が手元にあり、私が一番に会いたいと、復讐したいと思った人と再会できたのですから」



 マサハルは胸に抱いていた本を両手に抱え直してページをめくり始めると、本に挟まれていた鍵を取り出した。

「そういえば、まだ言っていませんでしたね」と鍵を顔の前に掲げながらマサハルは妖艶な笑みを浮かべながら告げた。



「私は、この『世界を創る鍵』で終わらない夏休みの世界を創ったのですよ」




 やはり、そうだったのか。


 僕はずっと、この世界の神様と一緒に夏休みを過ごしていたんだ。

 夏休みが終わらない理由は九月一日を嫌った神が創った世界だからだ。

 永遠に九月が訪れず、夏休みが終わらなければ彼女は幸せなまま生きられる。

 この世界はマサハルが復讐を果たすために存在していたのだから、復讐を果たせば世界が存在理由を失い滅ぶのは、真実を知れば夏休みが終わるのは必然だった。


 マサハルは本を持ってどこかを目指し始めた。僕もそれに続く。

 スキップをするような軽やかな足取りのマサハルはカウンター脇にある返却ボックスの前で立ち止まった。



「ようやくここまで辿り着けましたね」



 優しく囁きながら本を返却箱の中へ入れる。

 箱の底に落ちた本はコトンと乾いた音を立てて眠りについた。


 三年間、僕の元にあった本はようやく在るべき場所に返ったのだ。


 借りた物は返せるし、借りる期限があれば期限を守って借りればいい。

 この世に存在する多くの物はルールに則って借りたり返したりできる。

 もしも借り続けてしまって延滞料金が発生したならば指定の金額を払えばいい。代わりの本を用意しろというのならいくらでも買ってくればいい。



 だが、罪は返却箱には返せない。


 学校から借りた本を返却前に僕に貸したマサハルの罪と、それに気づけず転校し、三年間も本を借りたままだった僕の罪は抱え続けるしかない。

 罪から生まれた悲しみも消えない。

 悲しみの果てに命を絶つ決意をして、悲しみの原因のすべてに復讐をしてきたマサハルは、悲しみも復讐の罪も抱えて生きてきた。


 そして、マサハルはこれから最後の標的に復讐を果たす。最後の罪を犯すのだ。


 鍵を月の見えない雨空に掲げて怪しげにマサハルは微笑む。



「鍵は以前から持っていたので、世界が終わる前、いいえ、もっと前ですね。夏休みが始まる前に創っておいたこの世界に行けたのは僥倖でした。あなたが帰ってきてくれたので、これでようやくあの時のクラスメイト全員に復讐を果たすことができます。この世界の創られた理由が果たせるのです」



 ふとマサハルの言葉に引っ掛かりを覚えた。



 そうだ、順序が違うんだ。


 マサハルが世界を創ったのは復讐のためだと思っていたが、それは不可能だ。マサハルが自死を決意し一度目の世界が終わった二〇一四年九月一日時点で彼女は鍵を持っていない。

 鍵は転校した僕が借りていた本に挟まっていたからだ。



 それならば、この世界が創られた理由は別にあるのではないか。




「マサハル、僕の話を聞いてくれ。この世界が創られた本当の理由は……」

「話を逸らさないでくださいよ」



 マサハルは僕の疑問や返答を待ってくれなかった。これから死刑の執行を、復讐を果たそうとする彼女からすれば無様な命乞いにしか見えなかっただろうから当然だ。


 マサハルは力いっぱいに僕を突き飛ばした。

 雨で濡れた地面に滑りバランスを崩し、背後にあった壁に背中を強く打ちつけてしまい、呼吸がうまくできなくなる。


 その隙にマサハルは両手で壁を突き、僕の逃げ場を塞いだ。



「すべてが自業自得ですよね。でも、もう止められない。この暗くて醜い感情と後悔をぶつけないと気が済まない。たとえ世界が何度終わったとしても!」



 壁を突いていたマサハルの両手が僕の体に触れた。体温を感じない冷たい指先だった。

 夕方に僕と別れてから雨降る図書室で僕を待ち続けていたから冷えてしまったのかと考えたのは現実逃避だ。これからマサハルから下される審判への恐怖を和らげようと関係のないことに思考を割いただけだ。



 僕は最後までマサハルの復讐ではなく、マサハル自身について考えていたかった。

 僕が転校してからの三年間、僕に復讐することだけを考え続けたマサハル。

 夏休みの世界を一人で生き続けたマサハル。

 僕と再会したマサハル。僕と夏休みを遊んだマサハル。

 夏休みを終わらせる決意をしたマサハル。



 彼女はいつだって強くて眩しかった。

 けれどマサハルの楽しそうな顔も、怒った顔も、不安そうな顔も、悲しそうな顔も、笑顔も、そのすべてが僕への復讐を確実にするために必要な演技で全部が嘘だったのだろうか。


 マサハルの冷たい手は僕の腕から肩へ、肩から首へ、両手が首へ辿り着くと、動きを止めた。



「ねえ、なんで転校してしまったのですか。なんでまた、この町に帰ってきたのですか。なんで私なんかと一緒にいてくれるのですか。なんでそんなに優しいのですか」




 触れていただけの両手に力が込められていく。降り続く雨の冷たさからか、ついに僕に復讐を果たせる歓喜からか、マサハルの手は震えていた。


 それでは駄目だよ、と彼女の手に自分の手を重ねた。

 それは首を絞めるのをやめてほしいという抵抗からではない。

 震えたままでは、ちゃんと復讐ができないだろうから、支えてあげたかったんだ。



 僕はマサハルに復讐されるために帰ってきたわけではないし、復讐されるのは嫌だし、復讐されて僕の罪が消えるのはもっと嫌だった。だから、彼女が僕の命を終わらせたとしても、僕は彼女を傷つけた罪を忘れずに抱えて逝くことにしよう。そうすれば大丈夫だ。


 彼女のための世界にいることを、たった数日間だけでも許してもらえたから、僕もこの優しい夏休みの世界と同じように、彼女のためになにかをしてあげたかった。


 僕の命で夏休みを共に過ごせたことの恩返しになるのなら何度だって命を捧げよう。

 復讐がマサハルの最大の願いなら叶えてあげよう。


 世界を創った本当の理由が復讐を果たすことではないのなら、復讐を果たしてもマサハルはこれから先も、終わらない夏休みの世界で生き続けられる。彼女しか存在しない、彼女のための彼女の世界で、彼女は永遠に幸せに夢を見続けられる。


 マサハルがこれからも僕らを繋いだ物語の中の少女のように幸せに生きていけるのなら、それだけで僕はもう十分だった。たった一人でも幸せに生きていける強さを持ったマサハルならきっと大丈夫だ。


 それなのに、マサハルは嫌々をするように首を振り、顔を上げた。



「わかりません。わかりませんよ。教えてくださいよ全部!」



 未だに降り止まない雨がマサハルの頬を伝う。いくつもの流れ落ちる雫は天から落ちてきたものだと思っていたが、すべてがそうではなかった。雨は彼女の瞳からも流れ出していた。



 マサハルは泣いていた。



 いつも一人でいたのに泣かなかった、クラスメイトに疎外され酷い言葉を投げかけられ続けても泣かなかった、あのマサハルが泣いていた。


 どうして、君は泣いているんだ。ようやく君の願いが叶うのに。

 君の苦しみの根源を断ち切れるのに、どうしてそんなに苦しそうに泣くんだ。


 マサハルは零れる涙もそのままに慟哭し、もしもの世界を叫んだ。起こり得なかったもしもなんて考えても無意味なのに、僕らはもしもを思考し続ける。


 マサハルのもしもは、僕だって考えたことで、何百回とシミュレーションしたことで。



「もしも、あの時、あなたが、あの教室にいたら、あの夏に転校しなかったら」


 その先の、言葉を君は、僕は。




「尾張くんは私を助けてくれましたか?」




 それは三年前からずっと、僕に伝えたかった想いなのだろう。何度も心の中で叫び続けても届くことがなかった祈りと願いと呪いの結晶なのだろう。


 僕もずっと彼女に伝えたい想いがあった。たった一人で誰もいない世界を生きた彼女の想いに比べれば僕の想いなど取るに足らない。それでも伝えたいんだ。



「僕が転校した理由も、この町に帰ってきた理由も、君と一緒にいる理由も、君にだけ優しい理由も、君を助けられたかどうかも伝えるよ」



 そのために今、僕はここにいることを選んだ。




「僕の世界は『青色』に出会って変わったんだ」




 僕はすべてを思い出した。君と出会い、君に憧れ、君ともう一度会いたいと願った僕を。

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