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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
10日目【8月41日】
21/40

10-1・真実

 夕方から降り続いた雨は日付が変わっても降り止むことはなかった。


 冷たい雨雫を受け止めながら、朽ちた中学校の階段を上ると約束の場所が見えてきた。

 図書室の扉の前に辿り着き、立ち止まる。


 この向こうに彼女がいる。僕を待ち続けている。


 なにもかも忘れて夏休みを楽しんでいた僕。すべてを知りながらも僕と夏休みを過ごしていた彼女。僕らの間には埋められない隔たりがあった。


 この扉を開ければ、なにも知らなかった頃には戻れない。


 それでも進む。真実を知り、彼女に消されるとしても隔たりの向こうに行きたい。


 意を決し扉を開けて図書室へ踏み込むと、天井が穿たれ荒れ果てた室内の中心で佇むマサハルと目が合った。




「こんばんは。おわたさん」

「こんばんは。マサハル」




 いつも通りの挨拶。いつも通り二人だけの夏休み。


 それなのにどこか歪に感じられたのは僕が変わってしまったからだ。


 僕だけが変わって、マサハルは変わらない。


 図書室の本棚は軒並み倒れて本が散乱していた。僕の足元に転がった文庫本は雨風に晒され続け、破れて文字が滲んでおり、なんの物語を記したものだったのか判別できなくなっていた。


 僕は図書室の有様を見るまで、ここだけは僕らが図書委員だった中二の夏休み前のまま変わらずにあると、僕がこの町にいてマサハルが自ら命を絶とうとする前の、あの頃のまま変わらずに時間と空間から切り離されて保存されていると信じ続けていた。



 それほどまでに、ここは特別な場所だった。



 図書室は僕らが初めて話した場所で、僕がマサハルに〈あれ〉を借りた場所だ。

 僕らの始まりの場所で、約束の場所だった。



 僕は手に持っていた〈あれ〉をマサハルに見えるように掲げた。



「君が言っていたのは、この本のことだよね」



 僕の手にあるのは分厚い大判の本だ。星空や宇宙を思わせる深い青色に小さな星々が散りばめられた美しい表紙の本。〈星の海で夢を見続ける少女〉僕がマサハルから借りた本だ。


 マサハルは本の表紙を慈しむように見つめたが、すぐに無機質な表情に戻ってしまった。



「間違いありません。鍵もありましたよね」



 頷いて本の間に挟まれていた星型の意匠の青く透き通った鍵を見せた。

 鍵もずっとここにあったから、僕はマサハルから本と鍵をの二つを借りていたままだった。


 罪の証である本と鍵を手に僕は問いかける。



「教えてくれないか、この世界のことを、そしてあの日、君になにがあったのかを」



 僕の問いかけにマサハルは感情を抑えた声で警告をした。



「私がすべてを話せば永遠に続く夏休みは終わりを迎えます。もう二度と八月も、九月も訪れません。三年前と一〇日前に終わり損ねた私たちは今日ここで終わるのです。私にはその覚悟ができています。あなたは、それでもいいのですか」




 生きていると、続いてほしいもの、終わってほしくなかったものばかりが終わっていく。

 夏休みなんてその最たるものだ。それでも夏休みは、いつか必ず終わりを迎える。


 僕らにとっては、それが今日だっただけの話。


 一切の後悔なく終われる夏休みなどないように、僕はこの夏を十分味わったとは言えなかった。目安箱の中に引いてない籤が、僕らがやるはずだった夏が取り残されている。


 二人で行きたかった場所、食べたかったもの、遊びたかったイベントがある。

 そのすべてが僕の手から零れ落ちて取り残されて、叶えられなかった夏は幽霊になるのだろう。夏らしいものを求めて彷徨う幽霊になるのだ。


 夏休みは終わるとしても、それ以外の僕の願いはほとんど叶えられたのは幸いだった。

 ほとんど、ということは叶えていない願いもあるということだが、これ以上は分不相応な高望みだったのだろう。


 僕はすべての願いを叶えられなかった後悔を抱いたまま命を終えるけれど、それでいいんだ。



 マサハルに、また会えた。それだけで、もう十分だった。



「なにも知らないまま君と一緒にはいられない。僕といると君だけが傷つき続けるじゃないか」

「私だけ傷つく? いいえ。あなたのほうが傷つく……、傷つけてしまいますよ」



 今ならまだ戻れると、違和感と猜疑心を抱えたままでも夏は過ごせると、自分だけが真実を抱えて傷つき続ければ、僕は傷つかないままで生きていけるとマサハルは言っている。


 けれど僕はマサハルの優しい警告を受け入れらない。



 君だけが傷つく夏なんていらない。

 君と一緒に傷ついて、一緒に笑って過ごせる夏がいい。




「すべてを知って君と僕が傷ついても構わない。知りたいんだ。教えてくれ」




 僕は、僕の嘘偽りのない気持ちが届くように、マサハルの青い瞳をまっすぐに見つめた。

 マサハルはしばらくの逡巡の後に頷いた。僕の覚悟を受け止めてくれたようだ。


「結果からお話します。あなたに本を貸さなければよかった。あなたが転校しなければよかった。それだけの話です」


 静かに雨は降り続く。雨音に掻き消されそうなほどか細い声でマサハルは語り始めた。




 三年前、彼女の身に起きた出来事と、終わらない夏休みの世界の真実を。

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