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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
9日目【8月40日】
20/40

9-2・終わった世界

 歩道橋の上で山の向こうから灰色の雲が流れてくるのが見えた。これは天気が崩れる前触れだ。


 雨が降り出す前にマサハルを学校に送り届けなければと、空模様を気にしながら町を歩く。


 世界が終わった事実を知ってから見る町の景色は以前よりも確かさが増した気がした。僕が正しく世界を認識したことで解像度が上がっていったような感覚だ。



「ここは世界が終わった後に生まれた世界か。言葉にすると実感が湧いてくる気がするね。マサハルはあんまり驚いてないように見えるけど、どうだろう」

「これでも十分驚いていますよ」

「まさか通ってもいない高校の制服着るなんてね」

「それに私は、なれなかった高校生になっています。皮肉なものですね」



 なれなかった高校生、というマサハルの一言に引っかかりを覚えた。



「僕らは高二の夏休み最終日、二度目の終わりの時に、この世界に来たんだよね」

「いいえ。私はおわたさんとは別な時に来ました」



 マサハルは数歩先へ歩み出て僕を振り返った。




「私は三年前の一度目の世界の終わりの時から、この世界にいました」




 雨雫がぽつりと一粒、僕の頬に落ちてきた。

 その冷たさでここにいることが夢ではないと知る。


 一粒、また一粒と雨粒が落ちて、マサハルの白いワンピースを濡らして灰色に変えていく。



「あなたが本当のことをいつか教えてって、こんな私ともこれからも夏休みを過ごしてもいいよって言ってくれたから。だから決めたのです」



 一ミリも迷いを感じさせない強い瞳でマサハルは言った。




「この夏休みの世界を、終わらせる覚悟を」




 降り出した雨は勢いを増していく。夕立の向こうにいるマサハルが、酷く遠い。



「すべてが始まった場所で待っています。『青い鍵』と『あれ』を忘れずに持ってきてください。……さようなら」



 別れの言葉を言い終えると同時にマサハルが駆け出す。彼女の姿を隠すように驟雨と立ち込めた霧が行く手を遮った。


「待って! マサハル!」


 僕が手を伸ばしても届かない場所にマサハルは行ってしまった。







 数時間後。僕は自宅に帰ってマサハルが持ってくるよう指示したものを探していた。


 それはこの町に帰る前に見つけて鞄に入れて持ってきたはずだった。


 僕がこの町に帰ってこられたのだから、あれも僕と共にこの世界のどこかに辿り着いたはずだ。


 部屋中の収納から机の引き出しの中に入っているものまで一つ残らず床に広げてみた。

 洋服、教科書、子供の頃に遊んだ玩具、今は使わなくなったもの。

 時の流れの中で忘れ去られたすべてのものが一堂に会した光景は、僕という人間を形成してきたものたちの同窓会のようだった。



 その中に小学校の文集と卒業アルバムを見つけた。


 小学生のマサハルや僕はどんな内容を文集に書いたのだろう。アルバムにはどんな顔で映っているだろう。ページをめくってかつての僕らを探してみた。


 だが、文集にも卒業アルバムにも、マサハルの生きた形跡が存在しなかった。


 そうか、マサハルは二〇一四年九月一日、一度目の世界から夏休みの世界に来た際に世界からカット&ペーストされたのだ。マサハルが書いた文集も、マサハルが映った写真も、マサハルがいた事実は、この世界のどこにも残っていないんだ。



 それでも僕はマサハルを覚えている。


 僕だけがマサハルを忘れなかったのは彼女への強い想いを抱いたまま生きていたからだろうか。それとも彼女が僕に残したものが忘れることを許さなかったからだろうか。



 僕はマサハルの生きた形跡を探すのを諦めて、小学生の僕が書いた文集の冒頭を音読した。

 それは自分の本当の気持ちや叶えたい夢をありのまま書いたというよりも、小学生が思い描く当たり前の普通の未来を書いた作文だった。



「将来の夢、六年三組尾張奏汰。僕は大学卒業後に会社に就職して、結婚して子供や孫の顔を見られる爺さんになりたいです。そして世のため人のために、なにかできる人になりたいです」



 高校生になった僕には、それが普通の未来でも、当たり前でもないとわかってしまう。

 大学に入るのも、就職するのも、結婚するのだって当たり前ではない。それらに手が届くまで懸命に努力をし続けた人だけが手にできる未来なんだ。


 今の僕は昔の僕に自慢できるような生き方はできていない。

 暁春と霞冬が背中を押してくれたから、この町に帰ってきて終わらない夏休みをマサハルと過ごしているが、それ以外は割とどうしようもない人生だった。


 昔の僕に「ごめんね」と謝ってから文集を閉じた。



 次に卒業アルバムを手に取り、数ページ開いてみると見覚えのある顔ぶれが並んでいた。

 写真の中で無邪気に笑う子供たちの中にはマサハルに酷いことを言った奴らがいた。

 彼女に自死を決断させるまで追い込んだくせに幸せそうに笑っている姿が腹立たしい。


 この写真は小学生の時のものだから彼らはまだマサハルを傷つけていない。それでも数年後には平気で人を傷つける人間に変わっている。そんな奴らの笑顔なんて、張りぼての偽物にしか見えなくて吐き気がした。



 卒業アルバムを閉じて逃げるように夢想する。



 もしも僕があの時、あの教室にいたら、マサハルが飛び降りる瞬間に一緒に飛んだら、マサハルは笑ってくれただろうかと。



 起きてしまった出来事は変えられない。もしもを考えても意味はない。あの教室で死を決意したマサハルを救う方法はない。その事実が許せなかった。


 僕は傍にあった油性ペンを手に取った。卒業アルバムの中で笑う、マサハルを傷つけた中二のクラスメイト全員の顔に落書きをすると決意するまでの時間は数秒だって必要ない。

 しかし、これは小学校の卒業アルバムだから全員クラスがバラバラだった。


 それでも探して一人残らず落書きをしていく。もちろん転校した僕も同罪だから僕の顔にも落書きした。各クラスの三分の一ほどの生徒の顔が見る影もないほど不細工な顔になったところで気持ちが落ち着いてきた。小さな報復でもやらないよりはやったほうがマシだろう。


 こんなちっぽけな仕返ししかできない僕をマサハルは笑うだろうか。



 改めて思う。僕らが元いた世界では誰かを傷つけた人も、誰かに傷つけられた人も、幸せになる人はなるし、幸せになれない人はなれない。


 それでも僕は他者を傷つけた事実を忘れたまま笑って生きていく人間にはなりたくなかった。



 脱力して床に寝転ぶと、いつもとは違う視界が広がり、見えていなかったものが見えた。

 箪笥の下の僅かなスペース、そこに探していたものがあった。

 僕はそれに手を伸ばし、大切に胸に抱きかかえた。今度こそ、君にこれを返そう。

 


 八月四〇日の絵日記は空白のままだ。これからなにが起きるかわからないけど、マサハルと交換絵日記を続けられるような関係でいられたのならば、彼女にこのページを書いてほしいと思った。

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