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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
8日目【8月39日】
17/40

8-5・八月三一日が終わるまで、あと数時間

二〇一七年八月三一日、夏休み最終日の涼しい雨の公園に僕らはいた。


 僕らが夏休み最終日をどう過ごすのかというと〈宿題の終わらない暁春を見守る会〉が発足されたため、彼女の宿題が終わるまで茶化したり応援したりする一日になる予定だ。


 暁春を見守る会の会場は、本来利用しようとしていた図書館が改装中だったため公園を選んだが、この気温なら屋外で勉強しても熱中症になる恐れはないだろう。

 雨が凌げる屋根と勉強用具を置ける机と、三人が座っても余裕のある大きさの椅子のある四阿は便利だった。

 木製のひんやりとした机に突っ伏しながら暁春はぼやいた。



「夏休みももう終わりだね。今年の夏は曇りと雨ばっかりで、夏らしくなくて残念だったなあ」

「三六日連続で雨の県もあったよな」

「そこって尾張が転校する前に住んでいたところだっけ」

「そうだよ。こっちも負けじと天気が悪かったけど向こうはもっと悲惨な夏だったようだね」



 かつて僕が住んでいた町は記録的な天候不順の夏だったらしい。青空が見られない日が三六日間も続くなんて考えるだけで憂鬱になりそうだ。



 数学の課題で行き詰まったのか暁春の手元にあるノートには数式ではなく〈夏休み〉とミミズが這ったような文字が書かれていた。ダイイングメッセージに見えなくもない。



「あーあ。今年も青春っぽいイベント起きなかったなあ。一生に一度の高二の夏なのになあ。本当の夏休みはどこに行ったんだよう。返してくれよ、あたしの夏休み!」



 ペンよりも口を動かして愚痴る暁春に霞冬は辛辣に告げる。



「青春イベントあったじゃん。『トウ、尾張に告白する前に玉砕事件』と『尾張、転校前の学校の想い人を忘れられない事件』ついでに『俺ら、過去の傷を舐め合う事件』とかさ」



「それだ!」と暁春は叫び、大きな瞳を燦々と輝かせて立ち上がった。嫌な予感しかしない。



「尾張の好きな子、気になる! もっと詳しく教えてよ」

「だから別に好きとか、そんなんじゃ」

「なぁにが『別に好きとか、そんなんじゃ』だっての。何回でも言うよ。会いに行けばいいんだよ。そして好きかどうか確かめればいいんだよ」

「急に行っても会えるわけないよ。その子も転校していたらどうするんだ。それに事故や病気で亡くなっている可能性だってあるじゃないか」

「会えるか会えないか、生きているか生きていないか、好きか好きじゃないか、なんて再会しなきゃわからないよ! 一生に一度しかない高二の夏休みに転校前に好きだったかもしれない子に会いに行って想いを確かめるとか青春かよ!」

「くーっ! 最高だぜ」



 暁春の怒涛のラッシュに霞冬の加勢。二人の煽るような態度に苛立ちを覚えてしまう。



「もう、それくらいにしてくれないか」



 どんなにふざけていても普段の暁春なら僕の気持ちを察して言葉を選ぶのに。霞冬だって暁春の暴走を諫めてくれるのに、今日の二人は止まらない。



「はっ。なんだそれ、フラれるのが怖いのか」



 僕の心を焚きつけるように、わざと強い言葉を選びながら霞冬がけしかけてきた。



「それとも『自分は誰も好きになれない人間だ』って絶望するのが嫌なのか」



 誰も傷つけず、自分も傷つかないまま恋をするなんてできるはずがないのに。



「そうだよ。どっちも図星だよ。僕は僕に絶望したくないし、あの子に嫌われるのが『尾張奏汰なんて覚えてない』って言われるのが怖いんだ」



 もしも、あの子に嫌われていたら、覚えていてもらえなかったら、きっと立ち直れない。



「本当にそれでいいのか。この先ずっとそんな気持ちを抱えたまま生きていけるのか」




 絶対に告げられない誰かを想う気持ちを抱えて生き続ける苦しみを霞冬は知っている。僕にそれを背負う覚悟があるのかと問うているのだ。



 なんて遠回しで不器用な優しさなのだろう。

 それでも、その優しさは僕には必要ない。



「そういう後悔と思い出が心の中にあり続ければ、この先もそれに縋って生きていける気がするから。だからもういいんだ」




 僕はもう諦めていたのに。

 いいや、諦めていたと思っていた僕の本当の気持ちを暁春は見つけ出した。




「もっと単純に考えてみてよ。誰かの気持ちも、流れた時間も、しがらみも、なにもかも気にしなくていい。そうなったとき、尾張はその子に『もう一度会いたい』って思わない?」




 暁春の言葉にはっとして、いつも一人でいた青い瞳の女の子のことを考えてしまった。




 彼女は今年の夏休みをどう過ごしただろう。あの町では雨が降り続いていたから、彼女は部屋で本を読んでいただろうか。雨の中、傘も差さずに町を歩いていただろうか。それとも一人で生きることをやめて、友人や恋人と過ごしただろうか。彼女の隣には誰かがいて、僕が知らない顔で笑っているのだろうか。


 あの子の夏休みには僕がいなくて、僕の夏休みにはあの子がいない。今までと、これからのすべての夏休みに僕らは同じ時間を共有できない。その事実がなによりも悔しかった。


 いつだって会いに行けた。いつだって探しにいけた。

 それなのに、それをしなかった。


 再会した彼女に嫌われるのも、覚えていてもらえないのも怖かった。僕が彼女に再会しても僕の気持ちが色褪せたままかもしれないという可能性を直視したくなかった。



 それでも僕はずっと想っていた。

 もう一度あの子に会いたい。会って、彼女と夏休みを過ごしたいと。




「もう一度会えたらいいなって、いつも心のどこかで思っていたよ。それに本当はずっと知りたかったんだ。僕の想いも、あの子の想いも」



 後悔と思い出という名前のついた感傷の青色に縋り続けるのは終わりにしよう。


 一生で一度の高校二年生の夏休みを後悔の残るものにしたくない。

 それに、ここに帰ってくれば二人が笑って待っていてくれる。悲しいことも嬉しいことも二人が笑い飛ばしてくれる。



「ありがとう。暁春。霞冬」



 僕は二人を傷つけて遠ざけようとしたのに、彼らは僕の背中を押してくれた。

「僕は僕の想いと、あの子の想いを知るために、もう一度あの町に行くよ」

 




 僕は帰宅するとすぐさま旅立ちの準備を始めた。

必要なものは全部鞄に詰め込んだし、彼女に返さなければならないものも忘れずに持った。これで準備万端だ。


 身支度を整え、靴を履いていると玄関の扉の向こうから暁春と霞冬の話し声が聞こえてきた。

 二人は僕のことを話しているようだ。



「これから尾張は夏休み最終日を飾るのにふさわしい一大イベントに向けて旅立つんだな」

「好きな人の好きな人に会いに行かせるとか、あたしめっちゃ格好良いでしょ」

「本日付け『世界で一番格好良い女子高生ランキング』第一位は暁春燈歌で決定だな」



 そのランキングで暁春が一位なら、霞冬も〈世界で一番格好良い男子高生ランキング一位〉に決まっているじゃないか。僕は胸が熱くなる気持ちを抑えられなかった。


「トウは、また誰かを好きになるのか」

「もういいかなって思ったけど、やっぱ好きになるんだろうな。……誰かを好きじゃないとさ死にたくなるじゃん。こんな世界」

「そうだな」

「えっ、かるき、好きな子いたんだ」

「俺の愛情は歪んでいるから『好き』とは違うな」

「ふーん。あたしのと似たような感じかあ」

「同じにするな。この道化め」

「わかっているよ。あたしには偽物で紛い物の輝きしか出せないけれど、ほら『命短し恋せよ乙女』って言うじゃん。明日世界が終わろうとも、あたしは変わらず恋をするのであった!」

「おまえ、一生結婚できないだろうな」

「あんたも無理そうだね」


 二人があんまりにも楽しそうに笑い合っていたから、僕もつられて笑ってしまった。


「尾張、好きな子に会えるといいな。夏の神様、お願い。二人を無事に再会させてあげて」

「そんなのに祈らなくても、きっと会える。そうじゃないと夏じゃねえよ」


 会話が途切れたところで玄関の扉を開く。

 雨雲の切れ間から顔を出した太陽に目を細める。




 八月三一日が終わるまで、あと数時間。

 夏が終わる前に僕は君に会いに行く。

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