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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
8日目【8月39日】
16/40

8-4・〈友達〉

 夏休みが始まっても梅雨は明けず雨の日が多かった。


 そんな日は図書館で過ごすに限る。

 同じ考えの人が集まった夏休みの図書館は平日よりも利用者が多く、受験勉強をしている高校生や読書感想文を書いている小中学生、見慣れた顔ぶれの常連も揃っていた。

 冷房が効いた図書館内は閉館時間までいたくなるほど過ごしやすそうだったのだが。



「すごーい! 本がいっぱいあるね! てか本読んでいる人って頭よさそうに見えるよね」

「漫画とかラノベとか置いてないのか。ストーリーもキャラもいいのなら読んでもいいぜ」



 家の前で偶然会った暁春と霞冬がいなければ、ずっと図書館で時間を潰したかったのに。



「頼むからこれ読んで静かにしてくれ」



 二人が好きそうな本を数冊見繕って手渡した。これでしばらくは静かに過ごせるだろう。



 だが僕の読書時間は数分で終了した。本を読み終えたのではなく、読書に飽きた暁春と霞冬が僕に話しかけてきたのだ。二人の本に対する集中力を甘く見積もっていたようだ。



「尾張すごいね。あたしが好きそうな本なんでわかったの? 本好きなの? あ、それってさ図書委員を何度もやっていたとかで身に着いた特殊能力なんでしょ」

「あの本、買って読むわ。欲しいものは手元に置いておきたいしな」



 図書委員といえば僕は中二の時、真青遙夏と同じ図書委員だった。

 その時に僕は彼女になにかを借りたままだったような気がする。いつか会って返さなければならないけれど、それでもそのいつかは今日ではない。そう言い訳して彼女に会いに行く理由を一つなかったことにした。


 思考を切り替えて立ち上がり、読んでいた本を棚に戻してから「場所を変えよう」と二人に声をかけて、図書館の入口に向かった。



 すると僕らが辿り着く前に自動ドアが開いたのと同時に小さな女の子が飛び出してきた。

 女の子は僕の前を歩いていた霞冬の足にぶつかって転んでしまった。

 霞冬は睨みつけて一蹴するかと思いきや、女の子に手を差し伸べて助け起こそうとした。

 だが女の子は霞冬の目つきの悪さに「お母さん、お父さん、助けて」と震えていた。

 自分よりも背が高く人相の悪い男子高校生に心配されても彼女からすれば恐ろしいだけなのだろう。


誤解を生みそうな状況に「どうしたもんかね」と霞冬。「あんたの顔が怖いせいだよ」と暁春。どうするべきか悩んでいる間に後から来た女の子の父親と母親が女の子の頭を下げさせた。



「娘が急に飛び出してしまってすみません。お怪我はありませんでしたか」



「はい!」と愛想のいい笑顔を浮かべた暁春は霞冬と親子の間に入って場を和ませた。



「大丈夫ですよ。娘さんも怪我とかないですか」



 親子は何度も謝罪をして今度は娘が飛び出していかないようにと両側から女の子の手を握って図書館に入っていった。



「麗しい親子愛だねえ」

「ああいうのが普通の親子なんだろうな」



 人と関わるのは最低限と決めたはずなのに、僕は転校の理由を口に出してしまっていた。




「だよね。普通の親子って離婚とかしないよね」




 僕の投下した爆弾に二人は一瞬だけ驚いて、すぐに不敵に笑った。


 僕は一人になりたかったくせに、心の内に秘めた悩みを誰かに聞いてほしいという矛盾を抱えていた。同じような悩みを持つ二人に打ち明ければ、なにかが変わるとでも思ったのか、二人の秘密を知ってしまったから僕の秘密を話すことで対等になろうとしたのか、冷静に考えれば完全に頭がイカれていたと思う。

これも梅雨が明けない狂った夏のせいだろうと夏を言い訳にしてしまおう。





 僕らは町で一番大きなタワーの最上階にいた。ここは町の中でも主要な観光名所だったが、雨のせいで自慢の景色が楽しめないため観光客の姿はまばらだ。


 僕が生まれ育った町はここからは見えない。それでも遠くが見渡せるこの場所で、あの町と僕の話を聞いてほしかったから、二人に背を向けて話し始めた。




「僕が転校してきた日には噂になっていたから知っていると思うけど、僕は両親の離婚が原因で転校してきたんだ。だからもう、誰かに振り回されるのは嫌だったんだ。僕は一人になりたかったのに、君たち二人は僕と関わろうとしてきた」



 大して親しくもないクラスメイトに急に身の上話をされて暁春と霞冬は困惑しているだろう。

 窓ガラスに反射している二人の顔を直視できないまま、想いを吐き出し続ける。



「君たちも自分の親に対して思うところがあるんだよね。それで僕に同情して優しくしてくれたんだろう。僕を可哀想だと憐れんだから、友達になってくれようとしたんだろう」



 言葉が止まらない。二人を拒絶し、突き放して僕は本当に一人になろうとしている。



「僕はずっと一人でも大丈夫だったのに、僕がなりたかった『あの子』みたいに一人でも生きていける人間になりたかったのに、君たちが話しかけるから僕は変わってしまった」



 どうかこれ以上僕に優しくしないでくれ。あの子に対する気持ちを呼び覚まさないでくれ。



「確かに最初は同情していたかもね。でも、それは最初だけだよ。あの時、尾張があたしを助けてくれたから、あたしは尾張と仲良くなりたいって思ったし、たぶん助けてくれなくても気になる存在ではあったと思うよ」

「トウを助けた尾張がどんな奴か知りたかったし、話してみたら面白い奴だったからな。俺もおまえとつるんでもいいかなって思ったんだよ」



 暁春は優しく諭し、霞冬は悪態をつきながら僕の拒絶を切り捨てる。

 窓ガラスに映った二人の顔は、さっきと変わらない不敵な笑みのままだった。


「それにね、尾張はずっと誰かを想い続けているでしょう。それを近くで見たくなっちゃったの。本当に誰かを想える気持ちを尾張なら見つけられるんじゃないかなって」



 僕はそんな崇高な人間じゃないのに。僕よりも僕を知っているように言わないでくれ。



「あたしたち、自分で選んで今ここにいるんだよ。尾張は自分で選んでここにいるのかな」



 暁春は言葉を紡ぐことをやめない。僕自身が忘れていた気持ちや、知りたくなかった気持ちを思い起こさせる。僕はあの子への気持ちをまだ知りたくないのに。



「会いたい人とか、行きたい場所とか、伝えたかった言葉とか、あるんじゃないの」



 二人の優しさは僕には重すぎるから、なにも言えなくなってしまった。



 暁春は黙りこくってしまった僕を気にかけて話題を変えてくれた。



「よーし! 尾張が自分のこと話してくれたから、あたしたちも腹を割って話そうかなあ! かるき、あんたどこまであたしのこと尾張に話したの」

「おまえが恋に狂っているってことは話した」 

「それ、あたしのほとんどじゃん! じゃあなんで、そんな風になったかというとね」



 それから二人は二人の話をしてくれた。

 二人の周りの、心から恋をして生きてきた人たちと、心から誰かを愛せなかった二人の話を。

 



 暁春の両親は暁春が物心つく頃には愛情が冷めていたけれど、世間体を気にして表面上では仲の良い夫婦を演じ続けていた。

 そんな両親を見て育った暁春は現実にいる両親よりも絵本の中の世界で描かれた愛情を信じることにした。

 童話の中のお姫様はみんな綺麗で優しくて困難に立ち向かう強さがあって、王子様と出会い幸せに暮らす。しかしどの物語にも幸せに暮らしているお姫様のその後が描かれていなかった。

 もしかしたら両親のようになってしまったのかもしれない。それでも恋をしている間はきっと幸せだ。だから暁春は恋をし続けることが正しい女の子の生き方だと信じた。


 年頃になると周りの友人やクラスメイトたちは自動再生されたように恋をし始めた。

 誰かが誰かを好きで、でもその誰かは別の誰かが好きで、恋の話がクラス中を飛び交う日々。

 暁春も彼女たちのようになりたかったけれど、好きな人に愛されるための努力を惜しまない姿勢が、誰かを心から想う気持ちが、彼女たちの恋する気持ちが理解できなかった。

 暁春燈歌はずっと、そして、これからも恋をするふりをして生きていく。

 



 霞冬の両親は子供の頃から暁春の両親に片思いをしていたが、その恋は実らなかった。

 届かなかった想いは歪んだ形で結実する。霞冬の両親は暁春夫婦を応援する、もとい監視するために共犯関係として夫婦になったのだ。


 霞冬が生まれた理由は暁春夫婦に子供が生まれたら、その子と自分たちの子供を結婚させたいからだった。自分たちの叶わなかった恋を子供に託すなんて馬鹿らしいと霞冬は嘲った。

 霞冬と暁春は幼いながらも互いの両親が抱える闇も狂気も気づいていたが、霞冬の両親は今も暁春の両親の間に愛情があると思い込んでいて、暁春の両親は霞冬の両親が互いに惹かれ合い結ばれたと思い込んでいた。二人はそんな両親を酷く憐れんだ。


 霞冬に課せられた呪いは生まれた理由だけではなく名前もだった。

 文字を並べ替えれば彼女と同じになる名前。それは暁春一家からもらったものだと両親は聞かせた。霞冬が今、生きていられるのも暁春一家がいたからこそだと、いつも感謝してあの人たちのために生きるのだと言われて育ってきた。


 だが、霞冬は自分の存在のすべてが暁春燈歌によって構成されていることも、暁春燈歌のせいで生まれたことも、似た名前をつけられたことも、命が保たれ続けることも認めなかった。

 霞冬治明は暁春燈歌に恋をしない。それが暁春燈歌と霞冬治明が結ばれるのを望む両親へのささやかな反逆になると信じているから。これからも彼は恋をしないで生きていく。




 夏休みの雨の日に観光地で汚泥に塗れた過去を語り合うような僕らは、事実はどうであれ傍から見れば〈友達〉にしか見えなかっただろう。

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