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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
8日目【8月39日】
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8-3・『もう一回その子に会いに行くべきだよ』

 転校先の高校の制服を着た僕が現れたから、またしても過去の夢を見ていると気づいた。お馴染みになってきた不思議な夢だが、今回は僕になにを思い出させるのだろうか。

 



 傘を忘れた日の夕立ほど意地悪なものはない。雨に打たれて帰る気にはなれず雨宿りをしていると背後から声をかけられた。



「尾張も雨宿り?」



 声の主の姿は振り返っただけでは見当たらなかった。

 視線を下げると僕の頭一つ分よりも低い位置に明るいコーラルピンクの髪をした少女……クラスメイトの暁春燈歌がいた。



 暁春が頻繁に話しかけてくるようになってから一年以上経ったが、彼女と二人きりになるのは稀だったから、この状況はかなり気まずい。

 挨拶が済めば去るのかと思ったが、暁春も傘を忘れたようでその場に立ちつくしていた。



「今年の夏は雨が多いけど、夏休みになったら晴れるといいね。夏休みも一緒に遊ぼうね」



 拒絶を言葉でなく顔で伝えようと思い切り顔を歪めてみせた。



「露骨に嫌そうな顔しない。あたしは尾張と、かるきと、あたしの三人で夏休み遊びたいの」




 なぜか暁春燈歌と霞冬治明は僕を一人にさてくれせない。

 二人が僕に関わろうとする理由を聞いてみたくなった。



「前から思っていたんだけど、なんで暁春は僕に関わろうとするんだ」

「だって、あたしは尾張のことが……。いや、違うな」



 首を振った暁春は言いかけた言葉を飲み込んでから改めて話し始めた。



「あたしね、尾張が転校してきた日からずっと、尾張に話しかけてみたかったんだ」



 転校初日、クラスメイトの前で自己紹介をした僕はこれ以上ないほどの仏頂面で、表情筋のすべてをスリープモードにして誰とも関わりたくない気持ちを全力で表したつもりだった。  

 それに僕の転校の理由は既にクラス中に広まっていて、誰もが僕を奇特な目で見ていたというのに、暁春はそんな僕に話しかけたかったのか。



「だけど尾張は人を遠ざけるようにいつも一人でいたでしょ。どう話せばいいかわからなくて」



 照れ臭そうにピンク色の頭を掻く暁春。以前も彼女とこんなやりとりをした記憶がある。



「覚えているかな。中学の時、あたしが友達に言われたまま髪を明るく染めて教頭に怒られていたら助けてくれたこと。尾張は言ってくれたよね。『付き合う友達は考えたほうがいい』って。だからよーく考えた結果、キミと友達になりたいって思ったの」



 僕の何気ない一言で暁春は僕と親しくなろうと決意したらしい。この状況を生み出したのは僕自身の行動の結果だったのだ。


「その後も仲良くなれるきっかけを探していたんだけど、いつの間にか中学卒業しちゃって、でも高校も同じになれたから今度こそは仲良くなるぞ! って気合入れて現在に至るんだよ」

「ごめん。暁春とはこれから先も友達にならないと思う」



 暁春が僕と関わろうとする理由を聞いたところで僕の気持ちは変わらない。僕はこれからも一人で生きていく。真青遙夏のように一人でも強く生きていける人間になるんだ。



「知っているよ。尾張が一人を選ぶのは、ここにはいない誰かのことを考えているからだよね」

「そんなことないよ」

「じゃあ聞くけど、パキって二つに割れるアイスを一緒に食べたい人って誰?」



 暁春の問いかけに、僕の頭の中には青色の瞳の少女の後ろ姿が浮かんでいた。



「その顔は好きな子を思い浮かべた時の顔だね」



 暁春は一瞬で僕の思考を読み取った。普段の無邪気で活力に溢れた小さな子供のような態度からは想像できないが、彼女は人の感情を機敏に感じ取ることがある。



「なんでわかったの? って顔しているね。あたし、中学までは人の顔色ばっか見ていたからね。そういうのすぐわかるんだよ。今はもうなにも気にせずに生きているけどね!」



 暁春が霞冬と僕といることで自分らしく生きられているなら、それはいい変化だ。そのせいで僕が一人になれない事実は今は置いておこう。


 だがアイスを一緒に食べたい人=好きな人という理屈は意味がわからなかった。



「なんで一緒にアイスを食べたい人が好きな人になるんだよ」

「あたしの中ではそれが基準なんだよ」

「それは君の基準であって僕の基準ではないよ。押しつけないでくれ」



 僕が青色の少女に抱いている感情は恋ではなく、憧れや敬意や信仰に近いものだというのに、暁春は恋を前提として話を続ける。人の感情を一括りに纏めてラベリングしないでほしい。



「それはそうと、その子にはずっと会ってないのかな」

「……ああ。あの町に戻れば父さんが悲しむから」

「お父さんの気持ちも大事だけど、尾張の気持ちも大事だよ。ずっと親に振り回されて生きるなんて、あたしは嫌だよ。絶対に嫌だ」



 暁春が言った〈親〉という言葉には悲哀や憎悪が含まれていた。

 僕の父親の話をしているのに自分の親の話をしているような口調だったから、親との関係で苦しんでいるのは僕だけではないかもしれないことに少しだけ安堵してしまった。



 暁春は垣間見えた陰りを掻き消すように努めて明るく振る舞った。



「それならさ、もう一回その子に会いに行くべきだよ! 再会すればきっとなにかがわかるよ」



 その意見には同意できなかった。憧れは憧れのままでいい。恋なんて知らなくていい。




 数日後の放課後。その日も雨の日だった。今年の梅雨は長引くという予報は正解みたいだ。

 雨だから早く帰りたかったのに廊下で会った霞冬に進行方向を防がれてしまい、話し込むことになった。会話の内容は先日の暁春と雨宿りをしていた時の話だ。


 霞冬は真意が見えない死んだ魚のような目のまま、ニヒルに口元を歪ませ鼻で笑った。



「『だって、あたしは尾張のことが』その先に続く言葉はこうだな。『尾張のことが好きなんだ』」



 霞冬は遠くの雨空を見つめながら語り出した。



「今までのあいつは誰かを好きになっても、想いは伝えず心の中に留めるだけだったんだ。伝えてしまえば、その恋は成就するか終わってしまうか、どちらかにしかならないからな」

「恋が成就するのはいいことじゃないのか」

「トウはそんなの望んじゃいない。あいつは永遠に恋をし続けるために恋をするんだよ」



 僕が話そうとするのを遮って霞冬は続けた。



「絶対に自分に振り向かないってわかっている尾張に恋をして、想いを伝えなければ永遠に恋をし続けられるだろう。恋する永久機関もどきとか笑えねえ」



 彼の眼には一切光が宿っていないのに口元だけが笑っている。これは警告で脅迫だ。



「万が一にも一時の気の迷いでも、尾張がトウを選ばなくてよかったよ。もしも恋が報われたら、あいつは間違いなく死んでいた。恋が叶った世界にあいつが生きる理由はないからな」



 恋が叶えば死んでしまうなんて童話の中の姫にもいなかっただろう。暁春はそんな想いを抱えて生きてきたのか。どうやったらそんなに悲しい恋ができるというのか。



「狂っているだろう。でも仕方ないぜ。身近で愛を教えてくれる存在が狂っていたんだから、あいつも狂うさ。無論、俺も狂っているがな」



 そう呟いた霞冬の顔は暁春が親の話をしていた時に見せた顔とよく似ていた。



「もしも一番大切な人が映る鏡があったとする。尾張の鏡には誰が映るだろう。トウの鏡には尾張が映る? いいや、きっとなにも映らない。あいつはずっと、人を好きになる演技を続けている。『恋をする女の子』こそ、あいつにとっては『普通の女の子』だからな。それが本当の恋だと疑わずに信じられるくらい純粋に演技を続けられるんだ」

「それは、いつか壊れてしまいそうな生き方だ」

「もう何度も壊れているぜ」

「霞冬はそれをずっと隣で見てきたのか」



 いつか二人は遠い親戚同士で幼馴染だと言っていた。物心つく前から一緒に育ち、隣にいた女の子の壊れた恋を見守ってきた彼は彼女の恋をどう思ったのだろう。



「やっていることは痛々しいし救いようがないアホなことだが、そんなあいつを見ていると目が眩みそうになるんだ」



 霞冬の瞳は虚ろなままだったけれど、どこか優しい色をしていた。

 霞冬の暁春に対する気持ちは僕が名前を付けたり、答えを出していいものではない。それでも二人の間にある絆は、他人には理解ができない壊れた絆だとしても尊いものだと思えた。



「君は性格が悪いんだな」

「笑顔より泣き顔こそ至高だろ」



 その言葉にひとしきり笑い合って僕は言った。



「いいな。誰かを好きになれるのって」

「は? 気づいてないのかよ」



 霞冬はかけていた黒縁眼鏡がずれ落ちるくらいに呆れて脱力しながら僕に説いた。



「おまえはもうさ、誰かを……。はあ、久々に人と長時間会話したら疲れた。……まあ、おまえが自分で気づければいいけど、駄目そうなら背中を押してやる。トウと二人でな」



 言いたいことを言って満足したのか霞冬は猫背のまま廊下を歩き去っていった。



 残されて廊下に立ちつくしていると、雷の音が聞こえてきた。季節の変わり目の雷、その音で季節が一歩進むのを実感する。夏休みはもうすぐだ。

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