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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
7日目【8月38日】
12/40

7-2・二人だけの夏祭り

 マサハルは学校の中庭にある花壇に植えられた向日葵に水やりをしていた。

 背の高い向日葵の間から僕を見つけたマサハルは爽やかに朝の挨拶をしてくれた。



「おはようございます」

「おはよう。さっき花火の音聞こえたよね」

「聞こえました。朝に花火といえば」



「運動会だね」

「夏祭りですね」




 意見が割れてしまったがどちらも正しい。僕らの町では各学校の運動会と夏祭りが開催する日の早朝に開幕を告げる花火を打ち上げる風習があるのだ。




「どちらが正解か、籤を引いて確認してみましょうか」



 マサハルは花壇の縁に置いていた目安箱から一枚籤を引いた。続いて僕も一枚引いてみる。



「いつも通り、せーので見せましょう。……せーの」



 マサハルの引いた籤には〈屋台を回る〉僕が引いた籤には〈祭り〉と書かれていた。

 




 昼間の猛暑の名残が息巻く午後六時、神社の鳥居の前で僕はマサハルを待っていた。

 辺りを見回すと夕焼けの向こうから、からころと下駄の音を立てながら、こちらに向かって歩いてくる人影が見えた。



「すみません。遅くなりました」



 胸に手を当て、息を整えながら謝罪するマサハルはいつもの制服姿ではなく浴衣を着ていた。

 竜胆色の生地には赤や黒の金魚の絵柄が散りばめられており、浴衣の生地の中を優雅に泳いでいるようだった。水飛沫や波紋は掠れた線で描かれており風雅な印象を与える。帯や巾着や下駄といった小物からもセンスの良さを窺えた。普段は下ろしている長い黒髪も今日は頭の後ろで一つのお団子みたいにまとめられていて首元の白いうなじに目がいきそうになるが、なんとか堪える。一言で評するならマサハルの浴衣姿はすべてが調和し完成された美を備えていた。



「あの、変じゃないですか?」



 マサハルは恥ずかしそうに目を伏せながら僕に浴衣姿の感想を求めてきた。

 なんと言えばいいのかわからなかったけれど、思ったことを素直に言おうと決めた。



「全然変じゃないよ。すごく似合っている。とても素敵だよ」

「ありがとうございます。そう言ってもらえて、ちょっと安心しました」




 微量の沈黙。それに嫌な気まずさはなくて、どちらかともなく神社の石階段を上り始めた。

 僕は少し先を歩いていたけれど、マサハルは履き慣れない下駄のせいか、その歩みはゆっくりとしたものになっていた。

 わざとらしくないように気をつけつつ、マサハルの歩くスピードに合わせた。



「足元気をつけてね。歩きづらかったら僕の服の裾とか袖を引っ張っていいから」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えちゃいますね」



 遠慮がちな手つきでマサハルは僕の着ていたサマーカーディガンの袖をつまんで歩き出した。

 手や腕を組むほうが安全性は増すが提案はできない。何様のつもりだってなるじゃないか。

 




 石階段を上り終えると真っ先に目に入ってきたのはいくつもの屋台だった。

 柔らかなオレンジ色の提灯の明かりに照らされた色とりどりの屋台はこれぞ夏祭りと言わんばかりにひしめき合っている。


 綿菓子、ラムネ、かき氷、焼き鳥、焼きとうもろこし、たこ焼き、焼きそば、りんご飴、冷やしパイナップルに冷やし胡瓜、射的、籤引き、お面、金魚すくい、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、型抜きなど、飲食物からゲームまで様々な種類の屋台があった。



「これはきっと、私たちのための夏祭りなのですね。ちょっといい気分になって、はしゃいでしまいましょうよ。さあ、どの屋台を回りましょうか」

「じゃあ、全部回りたいな」

「いいですね。屋台のコンプリートなんて今までの夏休みにはできなかったことです」




 僕らは屋台の全制覇に向けて歩き出した。綿菓子屋台では古代エジプト神話に登場するよくわからない神のイラストが描かれた袋に入ったものを購入し、籤引きではマサハルが商店街で使える商品券を引き当てた。お面屋台ではブサカワなネズミとおじさんのキメラみたいなキャラクターのお面を着けて、どちらが先に笑ったら負けか競った。金魚すくいの屋台にはいるべき金魚がおらず、ビニールプールの中には水だけが入っていた。



 全屋台を制覇し終えて満足した僕らは神社の溜め池の近くにあるベンチに腰掛けた。

 ベンチの上は屋台のゲームで入手した戦利品と購入した食べ物で埋めつくされていた。

 マサハルは左手に綿菓子、右手にりんご飴を持っていて、ふわふわの綿菓子にぱくりと噛みついていた。


 僕はたこ焼きを食べる前にマサハルに重要な質問をした。



「確認したいことがあるんだけど、ここはこの世か、あの世か、どちらでもないのかな」



 聞き終えてからたこ焼きを口に運ぶ。火傷に注意しつつソースとマヨネーズと鰹節の香りとトロっとした生地の食感を楽しむ。一個たこが入っていないたこ焼きがあったのが残念だった。



「黄泉のものを食べたら現世に帰れなくなるのですよね」



 綿菓子を食べ終えたマサハルはりんご飴の色や形をじっくりと眺めてから舐め始めた。



「ここがあの世なら食べた分だけここで過ごすことになりますが、現世には飽きていたので、これからも変わらず食べることにします」



 気にせずにりんご飴を舐めるマサハル。対して僕はたこ焼きを食べる手を止めていた。

 僕だってこの世界に居続けるのは悪くないと思い始めているが、それでもこの世界の食べ物を食べ続けることに迷いが生じたのには理由がある。



「僕はこの辺にしておこうかな。マサハルを連れ帰る人がいないと困るだろ」

「お気遣い痛み入ります。連れて帰る際は振り返らないでくださいね。絶対にですよ」

「見るなのタブーか。つまり現代でいうところの『押すなよ! 絶対に押すなよ!』だね」

「それはちょっと違うような、だいたい合っているような気もします」 




 おどけてみせたのは恐怖を隠すためだ。ここの食べ物を食べた分だけ夏休みの世界に残らなければならなくて、マサハルを連れて帰ろうとする僕が後ろにいるマサハルを振り返ってしまい、彼女だけがこの世界に囚われてしまうのがなによりも恐ろしかったのだ。


 イザナギもオルフェウスも見るなのタブーを破って妻を失った。神話の英雄ですらタブーを犯すのに僕がそれを守れるだろうか。

 ほの暗い思考に沈みかけた僕を華やいだマサハルの声がすくいあげた。




「おわたさん見てください」



 言われてマサハルをみやると空に向けて指を差していた。すると直後にひゅうという音が響き、ばん! と一際大きな破裂音と共に夜空に菊の花の形に似た花火が咲いた。


 赤や金色の光を纏った花火はあっという間に弾けて細かな光の粒となって散ってしまった。

 名残惜しむ間もなく二つ目の花火が上がる。今度は丸くて大きな花火で、円の中には数本の光の線が浮かび上がり朝顔のように見えた。


 風に流れて鼻腔に届く火薬の匂い、腹の底にまで響く大きな音、闇夜に浮かび上がる煌々とした輝き、体中の感覚のすべてに夏を刻もうとするかのように花火は夜空に咲き続けた。



「マサハルと花火を見られるなんて夢みたいだ。いつもは、えっと……」

「おわたさんは毎年クラスの人と一緒にお祭りに来ているのを見かけました。私は毎年ぼっち参戦でしたが、自分のペースでお祭りを満喫できたので問題なかったですよ」

「どうりで夏祭りの君はいつも楽しそうだったわけだ」



 夏祭りを大して親しくもないクラスメイトと回った僕と、一人でも夏祭りを楽しめるマサハルが、僕ら二人だけの世界で、二人のための花火を見ている。



「でも、二人の夏祭りも悪くないです」

「そうだね。悪くないね」



 同じ花火を見上げて、同じ気持ちを僕らは共有するのは、とても、悪くない。



「もしも、元の世界の夏祭りを二人で行ったらクラスメイトに冷やかされたりしましたかね」

「ちょっと照れ臭いね」

「そうですね。恥ずかしくて逃げ出してしまうかもしれないです」

「でも、ここなら二人だけだから誰の目も気にしなくていいよ」




 花火は中盤に差しかかった頃だろうか。定番の菊や牡丹の形のものから変わり種の型物が打ち上がるようになっており、いくつもの青く光る蝶が現れ様々な色に変わり消えていくものは特に美しかったし、崩れ気味の顔をしたアニメのキャラクターの形の花火と、逆さまのハート形の花火が打ち上がった時は顔を見合わせて苦笑した。


 型物の後の錦冠はぱっと咲いてもすぐに消えることはなく長く尾を引いて地上近くまで流れていく。それに連なるように大小の花火が咲き乱れた。これはスターマインだろう。

 花火大会の終盤に多くみられるフィナーレにふさわしい豪奢な花火だった。



 独り言か、僕への問いかけか、視線を花火に向けたままマサハルは囁いた。



「こんな風に花火を見ていると、このままずっとここにいてもいいな、なんて思っちゃいますね。いいえ……私は、おわたさんがいなくなっても、ここに居続けるのだと思います」



 花火に照らされたマサハルの横顔が寂しそうだったから、目を逸らさないで見つめて答えた。




「それなら僕もずっとここにいるよ。それで帰る時は、一緒に帰ろう」




 僕の言葉に振り返ったマサハルに向けて手を差し伸ばしたけれど、手は握り返されなかった。


「ふふふ」とマサハルは口元に手を当てて笑いを堪えているようだった。



「私は嘘つきなのですよ。今までの話は冗談です」

「なっ、じゃあ僕も今までの話は冗談だよ。僕も嘘つきだし」

「これも嘘かもしれないです」

「君の心を理解するのはとても難しいな」

「花火が綺麗って思った気持ちは本当ですよ」

「それはよかった」




 互いに嘘と本心を言い合って、ようやく僕らは初めて心の底から笑い合えた気がした。

 夏祭りも花火もいつかは終わる。祭りの後の寂しさで夏休みが終わりに近づくと感じるものだが、この世界ではその心配はないだろう。



 これからも僕らの夏は終わらない。明日も明後日も、君と夏を生きていく。

 この時間がずっと続けばいいのにと願いながら花火を見上げ続けた。




【八月三八日 晴れ】〈夏祭りに行きました。来年も二人で花火が見られるといいですね〉


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