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0831+―終わった世界と遙かな夏―  作者: 夏
7日目【8月38日】
11/40

7-1・春の少女と冬の少年の思い出

 過去の記憶を辿る夢を見るのは僕の人生を映画館の座席で見ているような感覚だった。

 座席側で夢を見ている自覚がある僕と、当時の僕の想いが重なって記憶が再生されていく。



 

 転校してから何ヶ月も経ったが、未だに転校先の中学校の校舎から見える灰色のビル群と、狭い空を好きになれずにいたし、新しいクラスとも馴染む気が起きなかった。


 前のクラスに思い入れがあったとか、特に仲の良い友達がいたわけではない。転校後、かつてのクラスメイトにメールを送らなかったし、クラスメイトも僕にメールを送らなかった。

 転校すればあっさりと縁が切れてしまうくらいの関係の友情なんてもういらない。


 友情や人の心の不確かさと、転校のきっかけになった両親のことのせいで、僕は誰かといるのに疲れてしまった。



 だから、真青遙夏のように一人を選ぶことにした。



 誰もが集団に所属し、群れて生きる中で彼女だけは一人を選んでいた。僕も彼女のように一人でも生きていけるように、孤独を味方にして生きていこう。


 そんなことを考えながら日直の職務である学級日誌の二人分のページを書き終えた。

 僕と日直をするはずだったクラスメイトが帰ったから黒板の清掃や教室の戸締り、学級日誌の記帳などを一人で行ったが、一人のほうが効率よく作業が進むから問題ない。


 学級日誌を担任に届けるために職員室に向かうと中から不穏な会話が聞こえてきた。



「最近こっそり髪を染めている子も多いけれど、みんなもっと目立たない色でしょう」

「あたしだって本当はみんなと同じ色にしたかったんです!」



 面倒事の発生源は教頭と女子生徒のようで、なるべく彼らを視界に入れないようにして急ぎ足で担任の元に行き学級日誌を提出した。



「尾張くん、ご苦労様。日直、一人で大変だったでしょう」


 僕のクラスの担任は若い女性教師だ。教師の鑑のような、人として正しく生きている人。


僕はこの人が苦手だ。年上の女の人は母親を思い出すから苦手だ。


 担任の雑談に嫌々付き合いながらも僕の意識は別な方向に向いていた。先ほどの女子生徒と教頭の会話が白熱しており、そこまで怒られるのはどんな髪色なのかと純粋に興味が湧いたのだ。視線だけそちらに向けてみると信じられない色が飛び込んできた。



 女子生徒の髪の色はフラミンゴと見紛うほどにオレンジがかったピンク色をしていたのだ。


 教頭に怒られた女子生徒は大きな栗色の瞳に零れ落ちそうなほどの涙を浮かべていたが、同情心と庇護欲を掻き立て、他人の気を引くために流す涙などやめてほしいとげんなりする。


 担任に別れを告げて職員室を後にするつもりだったが、僕の足は教頭の机へ向かっていた。


 人と関わるのは最低限。


 心の中で反芻し、僕は教頭と女子生徒の間に割って入った。



「彼女の髪の色をとやかく言うなら僕の髪も見てください」



 教頭と女子生徒は突然現れた僕の髪を訝しむように見つめた。

 僕の髪は鳶色をしている。母親譲りの鳶色の髪。僕はこの色が嫌いだった。



「実は染めているんです」



 偽りの染髪宣言に教頭は顎が外れそうなほど驚き、女子生徒の涙も引っ込んでしまった。

 この時点で僕の目的は達成されたが、このまま教頭が見逃してくれるはずもない。

 教頭の驚きが怒りに変わり小言が飛んでくる前に反論を畳みかける。



「日光や電光の下だとそう見えるのです。暗い場所では僕の髪色は黒に見えます。色なんて光の加減や見る側の主観によって変わるのですよ。他人と同じ林檎を見ても両者の間に同じ赤色は存在せず、同じ空を見ても同じ空の色はないっていうじゃないですか」

「それもそうだけどね。話の論点をすり替えるのはやめなさい」



 さすがに大人相手に屁理屈は通じない。次はどんな策を講じようかと思案していると校長室の扉が開き、中から校長が現れた。



「なんでもかんでも校則で縛るのはよくないかもね」



 ゆったりとした口調の校長は僕らを叱るのではなく諭すように話した。



「生まれ持った髪色が明るい子もいるし、それを黒に染めるのも校則違反なのか、とも話題に出るし、この機会に染髪のこと真剣に考えてみるね」



 校長がこの場を収めたのに、それを教頭が再び荒らげるような真似はしなかった。



「尾張くんと(あき)(はる)さん、今日はもう帰っていいですよ。けれどこの件は忘れないように」



 形だけの釘を刺し、この場はお開きになった。



「わかりました。失礼します」と言いながら僕は今度こそ職員室を後にした。



 急いで教室に戻って帰り支度をしようとしたのに、背後から声をかけられてしまった。



「あのっ、さっきは巻き込んじゃってごめんなさい。でも助かったよ。本当にありがとう!」



 声の主は教頭に暁春と呼ばれていたピンク頭の女子生徒だった。


 暁春は僕が聞いてもいないのに照れ臭そうに頭を掻きながら、事の成り行きを話し始めた。



「この髪の色、友達に勧められたんだ。冗談だったらしいんだけど、あたし真に受けちゃって」

「そういうの、冗談でも言う人たちと『友達』ってどうなんだろうね」

「うん、変だよね。……実は今のグループの子たち苦手なんだ」

「それなら無理して一緒にいなくてもいいのに」



 言うのは簡単だが実行するのは難しい。嫌なら嫌と言えるのも、苦手な人と関わらないようにするのも、現実的にはできない場面が多く、こんな投げやりな提案は理想論でしかない。



 僕も転校前は他人に合わせて苦手な人とも表面上だけでも友達でいようと繕ってきた。

 しかし、転校をきっかけに人間関係がリセットされてからは掲げた理想を叶えるために、真青遙夏のようになるために、一人でいることを選んでみたが存外一人も悪くないと知った。

 一人を選ぶことを選択肢の一つとして考えてみるきっかけになればと思ったが、先ほどの僕の発言では前者に捉えられかねない。



 前言撤回しようと口を開きかけたが、暁春は僕の無責任な発言に大口を開けて笑った。



「あはは、それもそうだよね! 無理してまで誰かといるとかやってらんないよね!」



 ひとしきり笑い終えてすっきりした顔持ちの暁春は続けた。



「もうすぐ三年でクラス替え、その後は卒業して高校生になるし、これを機に付き合う人考えるのもありかもね。いやあ、生きるのってしんどいね」



 中学生の僕らは生きていくことが楽しいことだけではないことを知っている。誰もが手放そうと思えばいつだって手放せる荷物を抱えたまま生きていくのだ。




「話変わるけど尾張くん、本当は地毛だよね。なんで嘘ついてまであたしを助けてくれたの?」




 意外と鋭い暁春には僕のちっぽけなその場凌ぎの嘘は見抜かれていたようだった。

 というか助けるつもりなんか毛頭なかったのに、結果的に彼女のピンチを救うことになってしまったのか。



 顎に手を当てて考える。それらしい理由を話せば解放してくれるだろうか。



「黒髪は別な人のほうが似合うと思うから」



 黒髪で連想されたのは真青遙夏だった。

 物静かで知的な印象のある真青遙夏は黒髪がよく似合っていた。いっそ世の中の黒髪が真青遙夏のためだけの色になればいいのに。

 遠くの町の真青遙夏を夢想していたのに暁春の元気すぎる声で現実に引き戻された。



「それって遠回しにこの髪色が似合うって褒めてくれているの? えっ、尾張くん意外といい人じゃん! ずっと同じクラスにいたのに知らなかったよ」



 顔を真っ赤にしながら僕の背中をバシバシと叩く暁春。

 痛いからやめてほしいし、別に褒めてないし、同じクラスだったとか知らないし。



「尾張くんのお墨付きもらっちゃったし、しばらくこの髪色でいようかな。えへへ」

 





 それから一年と少しの時間が経ち、僕は高校生になった。


 詰襟の学ランからブレザータイプの制服へ変わっても高校生の自覚が芽生えることもなく、転校の回数だけ袖を通した制服が多いのは自慢にすらならないな、なんて考えただけだった。


 新入生のクラス発表の張り紙の前には生徒たちが山のように押しかけており、そこに入っていく勇気はない。離れた場所から張り紙を確認すると、僕の名前は一年三組にあった。


 ぼうっと突っ立っているだけの僕に「あたしたちと一緒だね!」と気さくに声をかけてきたのはピンク色の髪の女子生徒と、目つきの悪い男子生徒の二人組だった。


 反応の鈍い僕に女子生徒は顔中に汗を浮かべながら自己紹介を始めた。



「あたしたち、中学のクラス同じだったけど覚えているよね? あたし、(あき)(はる)燈歌(とうか)だよ」



 女子生徒とは違って男子生徒は落ち着き払った様子でいたが、突如両手をピースの形にして無気力そうな声で自己紹介を始めた。



「俺は霞冬治明(かとうはるあき)



 彼らと同じクラスだったかは記憶にないが女子生徒の髪の色に覚えがある。彼女と髪の色や友人関係の悩みを話したことがあったような。以前と髪型と服装が違うせいか気づけなかった。


 暁春の髪は鎖骨の辺りでゆるめのおさげになっており、服装も中学のセーラー服から高校のブレザーとオレンジ色のリボンとミニスカートに変わったことで垢抜けた印象を受ける。


 霞冬の髪は前髪だけが長く後ろは刈り上げられており、色は灰色がかった黒髪でところどころに白髪が混ざっていることから年齢の割にくたびれた印象がある。黒縁の眼鏡から覗く三白眼気味の厭世的な目も相まって独特の雰囲気を醸し出していた。




「暁春さんと、霞冬くん、ね。えっと、卒業式以来かな」



 同じクラスだった人の顔と名前が一致しないくらいに他人に関心がない僕に、彼らがわざわざ話しかけてきた理由がわからなかった。


「同じ中学出身で高校も同じクラスだし、尾張くんさえよければ、また話しかけてもいいかな」


 頻繁に話しかけられるのは面倒そうだが、断ると泣かれそうだったから頷いて肯定を示してしまった。真青遙夏のように一人でも生きていこうと決意したのになんてあっけない。


 そうして僕の高校生活は嵐のように荒れ狂ったと思えば春風のような朗らかさを持つ彼女と、厳冬のような冷たさとニヒルで虚ろな瞳の彼によって彩られていったのは言うまでもない。


 いつだって二人は僕の背中を押してくれた。僕は二人のお陰で今、こうして“  ”に“  ”。

 




 最後の言葉が空白のまま夢から覚めた。


 暁春燈歌と霞冬治明。僕は恩人である彼らの存在を忘れていた。

 別世界に行った藍澤さんを人々が忘れていたように、僕も夢を見るまで二人を忘れていた。

 彼らがこの町に来たから思い出したという可能性は限りなく低そうだ。どれだけ探しても人も生き物も見つからないし。



 そして、終わらない夏休みを数日過ごす中で感じたことがある。

 ここは僕とマサハルが元いた世界ではなく、僕ら二人だけがなんらかの理由でこの世界に迷い込んだという感覚だ。



 ここに来るまでのことや、夏休みの終わり頃の記憶、転校や友人についての記憶が欠落したのもそこに原因がありそうだ。過去の夢は欠落した記憶を補完するための手段なのだろうか。


 世界は僕とマサハルが二人だけで夏休みを過ごすことで、これからも僕らを祝福し、見守り続けてくれる。世界から無償の愛を受け取り続けることが正しいと伝えているようだった。

 その愛に身を委ねて元の世界に戻らずに、この世界で永遠に生きるのが正しい選択なのだろうか。


 世界について思考を巡らせていると突如、窓ガラスを揺らすほどの轟音が部屋中に響き渡った。




 この音は、とあるイベントが行われる日の早朝に打ち上がる開幕を告げる花火の音だ。

 過去の夢や夏休みの世界について考えるよりも、マサハルと今日行われるであろうイベントについて話すほうが楽しそうだ。急いで支度をして学校に向かおう。

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