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【5分小説】気になるあの子

作者: じんたける

なんと、無味な人生だろうか。

なんと、淡白な人生だろうか。


なに不自由なく高校を卒業し、中堅大学を経て、一般企業に就職し、職場で出会ったあの子と結婚。

今、45歳になろうとしていた。

傍から見れば、妻と娘の3人都内暮らし、何を贅沢をと言われるかもしれない。

ただ、こんなつもりだったのだろうか。

「しょうらいのゆめはなんですか?」

「かめんらいだー!」

間髪入れずに答えていたあの頃のほうが輝いていた。そうに違いない。

反抗期真っ盛りの娘にはここ数年、目すらまともに合わせてくれない。妻とも倦怠期を経て、もう、愛情を感じることはなくなった。互いに。


何の為に働いているのだろうか。愛がわかない家族を養うために、朝6時半、毎朝この電車、同じ車両に乗っている。好きでもない仕事にはもちろんやる気はなかった。ガタン、ゴトン、俺の憂鬱も列車に乗って運ばれる。

空は、くもり、車窓には灰色を映したビル群の窓、もう飽きた。

6両目、2つ目のトビラ入って右。

そこが俺の定位置だ。

いつもそこに立つ。

6時27分にホームにつけば、必ずここに乗れるということを、長年の経験で身につけた。今日も勿論定位置に腰をおさめる。

「仕事やめよーかなー」

気づいたら、そう、一人でつぶやいていた。

しまった、と思ったときにはすでに遅かった。

一度出た言葉を戻す手段を人類はまだ手にしていない。

隣で手すりをを持って立つ、小太りのおじさんにギロッと睨まれた。

「なにか迷惑かけましたか?あなたに。」

と、言わんばかりの素知らぬ顔で睨み返した。

あまりの変り身におじさんも怖気づいたのか、持っていたスマホに目を戻した。

ちなみに、さっきからおじさんおじさんと言ってるが、俺も立派なおじさんだ。

そんな哀しさがふとよぎって、また、車窓に目を戻そうとした。

その時、人と人の間から、若い女の人の視線を感じた。

その視線に目をあわせた瞬間、ニコッと笑ってきた。思わず俺もぎこちない頬を吊り上げて、重い目尻を下げてしまった。

久々に女の人に笑みを向けられた。

間違いなく、俺にだ。

広いライブ会場で、アイドルから向けられた無作為な笑顔。ただ、目があった時に自分にしかわからない、あの絶対的な自信。

俺に、笑ってきた。


次の日も、また次の日も不思議なことに黒髪をキュッと束ねた気になるあの子は笑みを俺に向けた。

6両目、2つ目のトビラ入って右。

はじめて、この場所が好きになった。

男は、いつまでたっても馬鹿である。

女性に笑顔を向けられたぐらいで、今日も一日頑張れる。

明日もいるって知ってると、もっともっと頑張れる。

俺の出勤に彩りが添えられたみたいで、毎日が少し楽しくなった。


なんと、馬鹿なのだろうと、思いながらも今日は週末ぶりにあの子に会う。足取り軽くホームに向かう。

トビラが開いて定位置につこうと思ったら、そこには、ギターを背負った若いバンドマンがすでに陣取っていた。

しょうがない、こういう日もある。明日また会おう。そう思って、電車に揺られた。もうそこには憂鬱は同乗していなかった。 


昼、蕎麦を食べに行こうとしたら、久々に妻から電話がきた。

「もしもし、どうした?」 

「私、ユキの学校に呼び出されたの。あの子、校則やぶってバイトしてたみたい。」

「いつ?そんな時間あるのかあいつ。部活もやってんだろ?」

寝耳に水だった。

金は十分にあげていた。バイトをやっている素振りも見えなかった。ただ、娘の素振りを私は見ていなかった。

「知らないわよ。とりあえず、今日あの子と話し合うから、夜早く帰ってきてね。」

「うん。」

と言う前に電話はツーツーと切れてしまった。


家に帰ったら、すでに食卓に二人は座っていた。

妻の隣に座ってみたが変な感じだ。こんなにもぎこちなく食卓を囲む家族は日本全国どこにもいないだろう。

「お前、バイトやってんのか?」

コクリと娘は頷いた。

「15のお前を雇ってくれるとこなんてあるんか?」

また、うなだれてコクリと頷いた。

「まさか、変なバイトやってんじゃないだろうな。」

「あなたっ」

と机の下で妻から肘打ちを食らった。

「ユキも、黙ってないでちゃんとお父さんに説明しなさい。」

妻からの助け舟がはいった。

「いつも、同じ電車に乗るバイト。」

娘の言葉に理解が追いつかなかった。

見兼ねた、妻がスマホを出し俺に見せてきた。

「最近、若い子の中で流行ってるらしいの、通勤通学中にできるお手軽バイトって」

スマホの画面によると、会社から委託され電車内にいる顧客に笑うだけらしい。

「これのどこが、お金になるんだ?」 

「私も知らないわよ。ただ、仕事の効率の下がってる社員のやる気を引き出す為に今、いろんな会社が試験的にやってるらしいのよ。」

「そんなんで、仕事の効率なんてあがるわけないだろ。」

「私に言われても!ただ、犯罪に巻き込まれるケースが多くて、それで学校に私が。」

妻がヒステリック気味に答えた。

「あのもういい?別に私、悪いことしてるわけじゃないし。」

娘はすっと立って部屋を出ていってしまった。

「待ちなさい!まだ話は終わってない。」

の言葉は扉に遮られ娘には届かなかった。


朝、今日も仕事だ。昨日はあんなことがあったから、憂鬱さは一層増していた。

6時半、6両目2つ目のトビラ入って右。

すっと目を上げると、そこには気になるあの子が笑っていた。

さあ、今日も一日頑張ろうかな

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