「――500年前に魔王を封印した英雄、それが勇者だ」
「――旨いな、このサンドイッチという料理は」
卵と調味料を混ぜたものを挟んだ食パン。
シンプルだが味が良い。
「ああ、これを広めた料理人がいてな。300年前くらいのことだ」
「知り合いなのか?」
「もちろん。そうでなければ言及しない。短い間だが一緒に旅をしていた」
流石は500年の時を生きる魔女。様々な経験を積んでいるというわけか。
こうやって旅をした相手も俺が初めてじゃないんだろうな。
「彼女のファミリーネームがサンドイッチでね。
1年くらい彼女の売り歩きに付き合ったものだ。
まさか、ここまで彼女の名が残るとは思っていなかったが」
そう懐かし気にサンドイッチを見つめ、口に運ぶシルフィ。
見た目こそ幼い少女だが、そうではない風格が溢れ出してきている。
お姉さまと呼ばなきゃいけないんじゃないだろうか。
「今となってはブルームマリンよりよほど有名な名字だろう」
「魔女シルフの名よりも轟いていると」
「当たり前だ。所詮、私の名は歴史の向こうにあるものに過ぎんからな」
歴史の向こう側、500年の時を生きる魔女。
……彼女が歴史に名を刻んだのは、いったいどんな出来事が原因なのだろう。
「なぁ、シルフィ。失礼な質問をしても良いか?」
「――ダメだ。失礼は許さん」
「そう言われると困るな。知っておかなきゃいけない話だと思って」
もぐもぐとサンドイッチを食べ終えたシルフィが、コーヒーを飲む。
そうしてゆっくり食事を終えて、俺の瞳を見つめてきた。
「良いぞ。多少の失礼は許そう」
「――アンタ、500年生きてるって割にはどうしてその身体なんだ?
どう見ても10代前半にしか見えない」
いくらエルフが長命でも、人間でいえば20代前半くらいの容姿になる。
ドワーフのように、そもそも背が低い種族とかじゃあるまいし、異常は異常だ。
「ふふっ、確かに失礼な質問だな。私以外にはするなよ?
ただの個人差だったり、ただの発育不全だったときに答えようがない」
「つまり、アンタのはそうじゃないってことだよな」
こちらの言葉に頷くシルフィ。
「――私は、500年前に自分の力の半分を置いてきた。
あの時から身体の成長が止まったんだ」
「力の半分を置いてきた……? 半分の力で、それなのか、アンタ……」
さっきの服を乾かした3つの魔法の同時使用とかやっておいて、たった半分。
いったい本当の力はどれほどなんだ、この女。
「そう褒めるなよ。まだ半分の力の全力も見ていないだろう? 君は」
「……なぁ、シルフィ。アンタならウォーレスに勝てたんじゃないのか?」
「あの剣聖くんか。……戦いに絶対はないが、負けることはないだろうね」
……じゃあ、なんで逃げたんだ、さっき。
そう思ったが、まぁ、戦うリスクより確実な逃走を選択したんだろうな。
「それで、力を置いてきたってのはなんなんだ?」
こちらの問いを前に、深い溜め息を吐くシルフィ。
何かを思い出しているように見える。思い出したくない、愛しい過去を。
「――なぁ、ジョン。君は“勇者”という言葉が誰を指すか知っているかい?」
勇者という言葉が誰を指すか。それに関する情報はない。
司令に与えられていた名前、ウォーレスが示した関心、俺が持っていた善良な存在であるというイメージ。そこまでだ。それ以上に誰を指すのかは全く知らない。
「俺だ。勇者というコードネームは俺を指す」
「くくっ、そうだな。そうだった。悪い悪い、質問が良くなかったね」
「冗談だよ。誰かいるんだろう? この世界で勇者と呼ばれるにふさわしい奴が」
その者の偉業にあやかって、俺の勇者というコードネームが与えられていた。
なんとなくそれくらいは分かる。
「そうだ。私にとって勇者という称号を聞いて思い浮かべる男はたった1人」
「いったい誰なんだ? アンタの思う勇者というのは」
「――500年前に魔王を封印した英雄、それが勇者だ。名をジョージと言った」
500年前、シルフィは500年を生きる魔女。
力の半分を置いてきた、その時から成長が止まった。
「ひょっとして“力を置いてきた”ってのと関わりが?」
「――うん。お前は本当に察しが良いね」
そう言いながらシルフィがコーヒーに口をつける。
「……500年前、私がまだこの見た目と同じ歳だった頃の話だ。
オークの国の魔王が、この世界を侵略し終えようとしていた。
人間の国も、エルフの国も、ドワーフの国も、陥落は時間の問題だった」
俺に入れられていた情報には存在しない歴史だ。
おそらく誰でも知っているような話なんだろうが、俺の中には無かった。
「――私は、魔王との戦いを見越して膨大な力を与えられて生まれてきた。
エルフの神に選ばれていたんだ。そして仲間たちと共に魔王と戦った。
その果てで、私は力の半分を失い、あの人は自らの命を賭した」
淡々と語る言葉の向こう、彼女の想いを感じる。
きっとシルフィは、その勇者・ジョージの死を今でも悼んでいるのだ。
「命懸けで魔王を封印した彼のことを讃えて、勇気ある者、勇者と呼んだのだ」
……500年前の戦い、それが壮絶だったことは想像に難くない。
シルフィが力の半分を失い、勇者と呼ばれることになるほどの実力者が死んだ。
「あの男ほどの英雄は、私も知らない。あの人自身を除いては」
「……俺、勇者なんて名乗っちゃいけなかったんじゃ」
「どうだろうな。君はそのコードネームを与えられていただけだろう?」
シルフィの言う通りだ。別に俺が積極的に名乗ったわけじゃない。
その名を与えられていたに過ぎない。
「――君が勇者と呼ばれるに足る男になるかどうかは今後の君次第さ。
だけど、そうだね。私は、あの人のようになれと、君に言うことはできない」
彼女の言葉を静かに受け止めることしかできなかった。
「……彼の行動は尊いものだ。どれほどの敬意を捧げても足りることはない。
しかし、彼にそうすることを、命を捨てろと望んだ仲間は、いなかったんだ」