「だから、俺の事を恨んでも良いぞ。ウィルフレド」
王都に戻ってからしばらく。
ウィルフレド・アルリエタは面会謝絶のまま病院に押し込まれていた。
魔族化寸前まで追い込まれていたのだ。当然の措置とは言える。
だが、同時にこれは今後の彼の処遇をどうするのかを考えるための時間稼ぎでもあった。王都への帰り道で、クラウディア殿下は言った。ウィルフレドの裏切りを目の当たりにしたのは自分自身と、この俺だけだと。
――つまり、俺とクラウディア殿下が黙っていれば彼の裏切りは露見しない。
復権派の残党にはウィルフレドの正体を知る者もいるかもしれないが、そこはどうとでもなるとの彼女は言っていた。
……これは俺の予測でしかないが、クラウディア殿下は、ウィルフレドが最初から自分の抱える諜報員であったということにしてしまうだろう。復権派に潜り込ませていたダブルクロスだったと。
しかしその場合に問題になるのは、ウィルフレドが復権派にとっての裏切り者だったとなれば復権派との和解に使えるはずの人物が1人減るということだ。ここをどう調整するか。その答えを俺はまだ聞いていない。
「――花なんてガラじゃないんだが、食べ物はやめておけって言われててな」
そして俺は今、あの戦いの後、初めてウィルフレドと向かい合っている。
面会謝絶は解かれていないけれど、俺なら良いと。
どうも姫様は既に会っているらしい。それを見越して頼み込んだのだ。
「それは残念です。病院食は薄味でしてね、うんざりしているんですよ」
微笑むウィルフレドを見ていると、随分体調がよくなったと分かる。
王都への帰路の中では、シルフィと姫様、クロエ先生が総がかりで治療しても危うそうに見えたが、後は時間の問題と言っていたのは事実だったらしい。
「フン、良い機会だからこのまま健康になるんだな。
それでよ、俺はまだアンタが何者だったのか、姫様から聞いてないんだ」
もちろん事実として彼が何者だったのかは分かっている。
兄・テオバルドと同じ、復権派のオーク。
王城に潜入していたスパイだということは。
「――なるほど。姫様の次に貴方が来たというのはそういうことですか」
「ああ、単純にアンタと話がしたいってのもあったけどな」
こちらの言葉に頷くウィルフレド。
「表向きどうするかはともかく、陛下にはこう伝えたそうです。
僕は元々、復権派だったけれど既にクラウディア殿下が抱き込んでいたと。
だからあの戦場で命を張って守り、兄に、殺されそうになったと」
なるほど。国王陛下を納得させるには妥当なラインだな。
若干タイミングは違うが、実際に起きたこととの齟齬も殆どない。
「……なぁ、実際どうしてアンタは姫様を守ったんだ?」
俺の質問を聞いたウィルフレドが、窓の外を見つめる。
高い建物だ。少しだけ街の景色が望める。
「……なんででしょうね。事実、抱き込まれていたのかもしれません、あの方に」
ふふっ、そうか。明快な答えだ。
「惚れてんのか?」
「……畏れ多くて、答えられませんね」
そう言ってから彼は続けた。
復権派が、カルリオン家の姫様を殺してしまえば泥沼の内戦になると考えたと。
あの戦場でも言っていたことだ。自らの兄に問いかけていた言葉。
けれど、きっとそんなことよりももっと単純で、やっぱり惚れていたのだろう。
クラウディア・カルリオンという女に、このウィルフレドという男自身が。
そうでなければ命は張れない。
「……悪かったな、お前の兄のこと。それとマルロのことも」
「貴方が、詫びる事ではないでしょう。ジョン。
それどころか僕は貴方に助けられたんだ。礼を言わなければいけない」
確かにウィルフレドの言葉は正しい。
だが、俺が言いたいのはそういうことじゃない。
「それはそれさ。俺も俺の役割を果たしただけではある。
けれど、そんなもんじゃ割り切れないだろう。兄と仲間を殺されたんだ」
静かにウィルフレドの瞳を見つめる。
「……それは、そうですが、」
彼の言葉に頷く。
「俺は俺の役割を果たした。アディンギルでも、今回も。
けれど、俺がお前なら兄を、マルロを、説得したかもしれない」
「それが通じていたかは、分かりませんが……」
マルロの時は知らなかった。
復権派というのがこれだけの現実によって生まれている連中だということを。
テオバルドの時は、こいつを殺すしかないと思っていた。
だが、冷静になった今なら思うのだ。
王冠を奪って拘束することもできたんじゃないかと。
俺にもう少しの力があれば。
「――だから、俺の事を恨んでも良いぞ。ウィルフレド」
こちらの言葉を聞き、彼は笑みを浮かべる。
「貴方は人が好過ぎますね。シルフィーナ様が気に入るわけだ」
「そうか……?」
「そうですよ。忘れたんですか、僕は兄に殺されかけたんですよ?」
言いながら今も残る傷痕を見せつけるウィルフレド。
病衣の下、素肌に残る傷が痛々しい。
「確かに僕は兄の家族だ。だから説得したかもしれない。命までは奪わないようにしたかもしれない。けれど、あの局面で禍根を理由に姫様を殺そうとした男、排除しなければいけないことは分かっています」
自らの傷口を撫でながら、彼は続けた。
「マルロのことも同じだ。あいつは、他所の国で魔族化の実験を行った外道。
あいつ自身が覚悟していたはず。必ずどこかで殺されることになると」
彼の表情には深い後悔の念が見える。
行き場のない怒り、兄と親友の死に向けた無力感が。
「……僕は、後悔しているんだ。兄もマルロも止められなかったことを。
どこかで僕が止められていればと。今という結果を見て、過去をどうにかできたんじゃないかって、ずっと考えてしまっている」
そう言って彼は続けた。
マルロが魔族化を再現した時、マルロが死んだ時、王冠が戻ると見えた時、姫様と同調できるんじゃないかと分かった時、いくらでも機会はあったはずだと。
「……考えていても、過去は変えられない。分かってはいるんです。
でも、ありがとうジョン。僕は、少しだけ貴方を憎みます。
筋違いだと分かってはいるのだけど、貴方がそう言ってくれるのなら」
とても憎んでいるとは思えないような優しげな表情をした彼が呟く。
俺は、自然と彼の手を取っていた。
「……ああ、それで良いんだ。お前のせいだけじゃない。
実際に、お前の家族を、お前の仲間をやったのは俺なんだからな」
こちらの言葉に笑うウィルフレド。
「でも、やっぱり貴方は人が好過ぎますね。普通こんなこと言いに来ませんよ」
「そうか? 俺は俺なりの筋を通したかっただけさ」
「……本当に、ありがとう。この先の旅、困難が待ち受けているでしょうが」
彼の言葉に頷く。シルフィは力を取り戻した。
いよいよ、次が旅の最終目的地だ。
「ああ、ここでの戦いにも手間取ったからな。正直、不安はある」
「……ご武運を。祈っています、ジョン。
願わくば、次の戦いでは我が国のような禍根を残さないことを――」
ウィルの言葉に頷く。
とても俺1人にどうにかできることでもないと思ったが、それでも。
今は、彼の言葉が嬉しかったのだ。




