『少し酒でも飲みに行こう。晩餐には呼ばれているが、食前酒だ――』
『――本当に待っていてくれたんだな。別に遊びに行ってて良かったのに』
クラウディア・カルリオンの部屋から出てきたシルフィ。
待っていた俺に、彼女は、そう微笑みかけてくれた。
『いざという時のために聞き耳も立ててたんだぜ?』
『何か聞こえたかい?』
『いんや、何も聞こえなかった。とりあえず無事で何よりだ』
そう答えた俺を笑い、シルフィはスッと俺の手を握った。
『少し酒でも飲みに行こう。晩餐には呼ばれているが、食前酒だ――』
そんな風に連れてこられた上品な雰囲気の酒場で、シルフィと2人きり。
レモネードとビールのカクテルを口にする。
透き通るような酸味が、ビールの苦みを中和していて凄く飲みやすい。
「悪かったな、ジョン。警戒させてしまったようで」
「……いや、アディンギルでのことを思い出してしまってな。
だが、あの復権派みたいなのがいるのは現体制が原因だとも分かった」
こちらの言葉を聞いて微笑むシルフィ。
「ほう? ジョン、お前はいったいどんな見解を得た。これまでの中で」
「――オークの国の魔術師不足が深刻であること。
歴史と外交上の理由で、王冠の奪還に尻込みしていること」
そこまで話して俺は少しカクテルを飲み進めた。
「外交を理由に、当然にやらなければいけないことを、やっていない。
だから、復権派のような連中が過激化していく。違うかな、シルフィ?」
「……私も同じ見解だ。ジョン」
そう答えたシルフィが軽く溜め息を吐いて、つまみの豆を口に投げ込む。
何気ない動きがいちいち美しい女だ。本当に。
「……本当なら、私がもっと早くに動いておくべきだったのだろうな。
それこそカルロスが生きているうちにでも」
「王冠を取り戻せ、と発破をかけるべきだったと」
頷くシルフィを見つめながら、俺も豆を食う。
素朴な味だ。
「……カルロスは言っていた。
魔王の力なんかなくても、この国を再興して見せると。
その結果が見えるころにはあいつは死んでいて、代が変わっていた」
嘆くシルフィの瞳、その奥に、知らぬカルロスの影を見る。
カルロス・カルリオン、魔王討伐の戦友。ルドルフと同じような仲間。
そしてオークの寿命ゆえに当の昔に死んだ男。
「自分のことで手いっぱいだった。だが、今になって思えば私が動いていれば、禍根はここまで広がっていなかったはずだと分かる」
「……過去を悔やんでいても仕方ないさ。それでオークの国はどう動くって?」
少し言葉が軽すぎるかと思った。
人間の寿命しか持たない上に、1年分の記憶もない俺が、500年に渡る後悔を語るには軽い言葉だと。それでもこれくらいしか言えなかった。
「――カルリートは、王冠を破壊するために部隊を寄こすと。
クラウディアの方はウィルフレドと、それともう1人。
彼女の思惑は既に知っての通りだ。変わりはない」
父と娘で思惑は違うと。
まぁ、アディンギルでの事件もある。
王冠破壊という名目でなければ兵士は動かしにくいか。
「シルフィ、アンタはどうするつもりだ? どっちに着くんだ」
「決まっているだろう。私はオークを絶滅させるつもりはないさ。
それに本当に王冠を破壊なんてしてみろ、復権派は必ず暴発するぞ」
完全に王冠が失われた後に、泥沼の内戦が始まるか。
最悪の結末だ。
得られるものがない中で、責任を取らせるだけの報復が始まる。
「……しかし、復権派が黙っているか? 俺たちが旧魔王城に行くときに」
「さぁな。いつ仕掛けてきてもおかしくないし、既にいるかもしれん」
「まさか最初のキャラバンの中に……?」
こちらの言葉に頷くシルフィ。
「あり得なくはない。だからお前が警戒してくれているのは嬉しかった。
記憶喪失のくせに聡い奴だなって、また思わされたよ、ジョン」
そう言って俺の髪を撫でるシルフィ。
まったく、俺は子供か。
「……復権派が仕掛けてくる可能性、国王陛下の王冠破壊命令」
「ああ、その中でクラウディアを勝たせてやらねばならん。少し骨だ。
しかし1つ手は打ってある。同行する部隊を指名した」
そう言って彼女が答えるのはバシリオの名前だった。
俺たちを迎えに来てくれた部隊の隊長だ。
ウィルフレドとは立ち位置の違う男だったが。
「なんか旧知の仲らしいな、あの男とは」
「うむ、17年前に。
やる気のない新兵だったから遊んでやったんだが、意外と能力はある奴でな」
話を聞くと、17年前、シルフィ個人につける護衛として指名したらしい。
音を上げるとばかり思っていたが、意外にも仕事を果たしたと。
「だいぶ振り回してしまったが、同時に面白い奴だと分かった。
国柄ゆえに、頭角を現さないようにしていると。
あいつも理解しているタイプなのさ。王冠なしではオークは滅ぶと」
分かっていても、王冠を取り戻す動きをすれば糾弾される。
兵士をやり続けるには不要な理想だと。
そこまで理解しているから、仕事しかしないという訳か。
「なるほどな……そいつを選んだってことは」
「ああ、国王陛下の思惑は骨抜きにした。それはそれで奴の思惑かもしれんが」
「どういうことだ?」
微笑むシルフィ。
どうもこいつ、俺が察しの悪い時は、悪い時で嬉しそうにするんだよな。
「自分の責任を負わずして、王冠を取り戻す。
王冠破壊の勅令を出しつつも、私が取り戻してしまっただけのことにする。
そうすれば一番角が立たないのさ。人間の国からの批判も躱せる」
やれやれ、つくづく責任回避に長けているな。この国の連中は。
「まぁ、それくらいの恩は売ってやっても良いが、後はクラウディアと復権派だ。
彼女が動こうとしていることをどう立てて、復権派の思惑をどう潰すか。
それなりに困難な戦いになるだろうが、よろしく頼みたい。ジョン」




