「では、私がお前の初めての相手だ。そういうことにしておけ」
「――助かったよ、ジョン。よくシルフィを引き込んでくれた」
黄金竜に会いに行く。それが決まった後、シルフィが席を外した時だ。
リタが俺の肩に飛び掛かってきたのは。人間同士かドワーフ同士なら、肩を組むだけなんだろうが、背丈の差があって全体重が掛かってくる。
「……飛び乗るなら飛び乗るって言ってくれ。支えるから」
姿勢が崩れる前に加速思考を発動して、リタの身体を支えた。
しかし、小さい背丈の割に重い。鍛えているからだろうか。
いや、それとも今は収納しているとはいえ、あの甲冑を着けているからか。
「ふふっ、お前の背が高いのが悪い。と言ってもよく体勢を崩さなかったな?」
「ある程度のことなら対応できるように仕込まれているんだよ」
「帝国にか? それともシルフィに?」
リタの質問に“帝国に”と答える。
シルフィに仕込まれていれば良かったんだが。
「……なぁ、リタ。実際その黄金竜に会いに行くってのは、危険なのか?」
「それなりには。全治数週間の怪我をさせられてもおかしくはない。
力が強い上に気まぐれな奴だからな。だが、そこまで悪い奴でもない」
これまた微妙なところだな。いまいち全貌が分からん。
「アンタが会いに行ったことは?」
「ある」
「となると、危ないのは俺か」
きっと大丈夫さと答えてくれるリタ。気休めでも貰えるものは貰っておこう。
「しかし、そんな危険を冒すってことは何か理由でもあるのか?
金剛花火とやらに、こだわらなければいけない理由が」
「祖父さんの最後の望みなのさ。500年前に見た花火を見たいってな」
――リタが簡単に説明してくれた。
魔王軍に故郷を追われ、このドラッヘンに逃げる最中に見た光。
殿を務めた騎士団を照らし、逃げる人々を眩ませた輝き。それが金剛花火だと。
「――医者にできることというのは、本当に少ないものですね」
その日の夜、クロエ先生が話してくれた。
リタの祖父であるルドルフさんを診察した時のことを。
「私には、あなたの記憶を戻すことも、ルドルフさんの延命も、できはしない」
そう呟くクロエ先生の表情の奥、また別の光景が見える。
14年戦争でも思い知っているのだろう。自分の力が届かない瞬間を。
「それでも、医者としての行為は誰にでもできることじゃない。
俺にはもちろん無理だし、シルフィでさえ、医者に診てもらった方が良いと」
「……そうですね、分かってはいるつもりなのですが」
そう答える彼女が儚げで、それを美しいと感じる自分を不謹慎だと思った。
「なんとか、未練の残らないように、ルドルフさんを診ます。
だからジョン、リタさんと一緒に持ち帰ってください、必ず」
クロエ先生からそう言われてしまうと、今までとは違う覚悟が胸の中にできていくのが分かった。リタやシルフィと話していたときとは違う覚悟が。
「――ジョン、起きておるか?」
クロエ先生と話したよりもあと、深夜に至る少し前。
ドワーフの国で借りたホテル、その中の俺の部屋。
シルフィが静かにノックしたのが聞こえた。
「……ああ。どうしたんだ? こんな夜中に」
「少しだけ話がしたいと思ってな。迷惑かい?」
「アンタのことを迷惑だと追い払えるほど、俺は偉くないつもりだ」
そう言ってシルフィを迎え入れる。
スッと部屋に入ってきた彼女が、部屋に置いてある小さな椅子に腰かける。
そして、テーブルにブランデーの入ったボトルを置いた。
「酒をやるのは初めてかな、ジョン」
「さぁな、少なくとも記憶の中にはないが」
「なるほどな。では、私がお前の初めての相手だ。そういうことにしておけ」
シルフィの言葉に頷く。
「少なくともジョンとしては、アンタが初めてだよ。シルフィ」
そう答えた俺にシルフィが、氷の入ったブランデーを差し出してくれる。
魔法か。持ってなかったもんな、氷なんて。
「冷えた酒は帝国の専売特許だと思っていたが」
「魔法使いといればいつでも飲めるよ。確かに帝国の方が安定的だがね」
グラスを傾け、ブランデーを口に運ぶ。
アルコールの強烈な香りにむせそうになってしまう。
「ふふっ、ゆっくり飲むものだよ、濃い酒は」
「うん……なんか久しぶりだな、こうして2人きりなのも」
クロエ先生が仲間になってくれてからは2人だけで向き合う機会も少なかった。
「……それで、どうしてこんな時間に?」
「ああ、少し昔話をしておく必要があるかと思ってな」
「黄金竜と、勇者の剣についての話かい?」
こちらの言葉に頷くシルフィ。
「お前は本当に察しが良いな、ジョン。
……アウルに借りた剣を返せなかったと言っただろう?」
彼女の言葉に頷く。
昼に話した時は具体的なことは分からなかったし、どこか軽いやり取りだった。
しかし違うんだろうな。返せなかった理由は軽いものではない。
「あれな、今も旧魔王領にあるはずなんだ。
吸血剣サングイス、ジョージはあれに自らと魔王の血を吸わせた。
その力で魔王を封印したんだ。だから私は全ての力を捧げずに済んだ」
ッ……500年前の勇者が、自らの命を賭して魔王を封じた。
それを成立させた力が、吸血剣サングイス。
その剣を貸し与えたのが、黄金竜ドラコ・アウルムということか。
「……会いたくないって言ったのは、アウルがどうのってよりも」
「ああ、深く思い出したくなかったのかもしれない。あの日のことを。
どうせ、あの場所に行けば嫌でも思い出すというのにな」
語るシルフィを見ていると、不安になった。
あれほど強く頼もしく見えていた彼女が、今にも壊れそうに見えた気がして。
だからなのかもしれない。彼女の手を握っていたのは。
「っ、ジョン……」
「――悪い。何も言える言葉が思いつかない」
気の利いたことでも言おうかと思った。
でも、そんな言葉は何も出てこなかった。
自分が勇者と呼ばれていたことを使おうかと思ったが、不誠実だと思ったから。
「いいや……ありがとう、ジョン。リタの、ルドルフの夢を叶えてやってくれ」