「――従軍した神官の拷問としてはまだ甘い方ですよ、私なんて」
診察室のバリケードはそのままに、医師用の控室から回り込んで外に出た。
意識を失った2人は放置してきたから、敵が助けに来た場合、多少の時間稼ぎはできるだろうということだった。
「……その、先生」
「なんですか? ジョン」
周囲に警戒しながら大ホールに向かう。
目的はただひとつ、魔術師マルロの無力化。
奴に発火術式を解除させることだ。
「拷問が得意なのか? 先生は」
「――従軍した神官の拷問としてはまだ甘い方ですよ、私なんて」
……さっきのクロエ先生で甘い方なのか。信じられない。
「癒すも殺すも自分次第ですからね、神官という者は。
従軍すれば拷問を行うことも少なくはありませんでした」
「従軍経験があるのか。まだ若いのに」
「成人してすぐのことです。すぐに終戦で1年も戦場にはいませんでしたね」
なるほど。そう考えると18歳くらいかな、クロエ先生は。
15歳で成人して、終戦までで1年。終戦から2年経って今だから。
「あの経験が再び生きる日が来るとは……」
そう溜め息を吐く彼女を見ていると、18年という時の重さを感じる。
シルフィの約28分の1だが、それでも人生は重いのだ。
そして俺には、その記憶がない。
「とりあえず、着替えは問題ないですか?」
「ああ、上に着こんでいるだけだから近づけばバレるが、近づくまでは」
――反帝国派を前に、俺たちの立てた作戦はこうだ。
まず医師の私服を拝借して変装する。
お互い神官服も戦闘服も、機能的だったから完全に脱いでの変装ではない。
だから至近距離に近づけば見抜かれるだろう。
だが、その時にはもう距離が詰まっているから充分というわけだ。
可能なら偵察をしてからとも思ったが、それでは時間切れ。
連中は10分を越えて大ホールにいなければ、容赦なく殺すと宣言している。
まぁ、あの手の統率の取れていない連中がそれを律儀に守るかは怪しいが、反帝国派というのなら拳銃は使ってこないだろう。気まぐれで殺しにかかってきてもその時には距離が詰まっているのに違いはないはず。
「――5! 4! 3!」
大ホール、それは病院というよりも教会としての役割を果たすための場所だ。
中央には巨大な“人間の神”の像が立てられており、今はこの病院に居合わせた人々が集められている。患者、医者、看護師問わず。
「ケッ、何が“反帝国派”だよ――」
「……まずいですね、これは」
あいつら、拳銃をもってやがる。
「2!」
しかも、あの見せつけるようなカウントダウン。
この大ホールに入ろうとしている人間が、間に合わなければ殺すという宣言だ。
……最悪なのは俺たちだけならばまだしも、俺たちの前にいるのだ。3人。
「1!」
足の悪い少年が必死に歩こうとしている。それに付き添う母親と看護師。
それに“反帝国派”は銃口を向けた。
機械帝国の生み出した拳銃を、人間の国の市民に向けているのだ。
「おい、お前――!!」
分かっていた。作戦と違うことは。
敵と距離を詰める前にこちらが行動を起こすことは危険。
ましてや敵は拳銃を持っているのだから尚のこと。
「フン、やっぱお前みたいなのが出てくるよな――?」
足の悪い少年に向けていた銃口をこちらに向けてくる反帝国派。
だが、それよりも先にインテグレイトを放つ。
そして加速思考を発動させた。
――思考が加速し、現実が時を止める。
俺が撃ち抜いた男は言っていた。俺みたいなのが出てくると。
つまり、無垢な少年を撃ち殺そうとしていたのは罠だった。
俺みたいな男が出てくることを見越しての。
仲間が帰ってこないから、この教会病院内に脅威が居ると理解し、それを誘き出すためにあえて極悪人のような真似をしたということか。そして俺はまんまとそれに引っかかった。
……状況としては最悪だ。距離を詰める前に敵に察知された。
しかも弓だと考えていた敵の武器は、拳銃だった。
加速思考を解除した瞬間に、狙い撃ちにされるだろう。
だから、まず、既に銃口を構えているのが誰かを見極める。
数は3人。それ以外は構えが間に合っていない。
しかし構えの姿勢に入っている人間は7人。
加速思考を解除し、3人打ち倒している間に撃たれるだろうな。
「どうした、それが――ッ!!」
3人を撃ち抜き、再び加速思考を発動する。
構え終えた7人の銃口を見極め、致命傷になり得る奴だけを判別。
そして再び撃ち抜き、加速思考を――
「こいつを殺すぞ、軍人!!」
発動が遅れた。テロリストは別の子供を人質に取ったのだ。
あまりの外道さ、思想性のなさに意表を突かれた。
俺を軍人だと思い、人質を取れば効果的だと。……どうする?!
「なっ、クロエ先生――?!!」
「援護射撃を頼みます……ッ!!」
変装を脱ぎ捨て、全速力で駆け始めるクロエ先生。
なんてバカな真似を……!!
そう思いながらも、敵の狙いが俺から先生に移ったことでかなり楽になった。
加速思考を発動しながら、先生を狙う銃口を撃ち落としていく。
だが、それも全てではない。
先生の身体の先にいる奴を撃ち抜くことはできない。位置関係の問題だ。
彼女が向かう先、少年を盾にした卑劣漢を撃ち抜くには間に合わない!
「避けろ、先生――!!」
「その必要は、ありません……ッ!!」
胸を狙った銃弾を両腕で受け止め、そのまま治癒させる先生。
そして、その勢いのまま、少年を盾にした男を蹴り飛ばす。
「――この子を撃たなかったことだけは、褒めてあげますよ。下衆が」
少年を助けた先生を狙うように剣を持った連中が前に出る。
それらをインテグレイトで撃ち抜きつつ、距離を詰める。
そして、最後の1人を斬り伏せた。撃ち抜くよりこちらの方が速かった。
「無茶しすぎだぜ、クロエ先生」
「……いえ、あなたの腕前を信用したまでですよ」
だからって、撃ち抜かれることを覚悟しながら突っ込むなんて。
いくら神官だからと覚悟が決まり過ぎている。
「――ぶっ殺してやる!!」
反帝国派らしい服装をしている奴らは、全員を倒した。
だから油断していた。人質の中に紛れているという言葉を、忘れていた。
伏兵にまんまと隙を突かれたのだ。
クロエ先生を突き飛ばし、加速思考を発動する。
――短剣の直撃、咄嗟に突き飛ばしたこの姿勢からの反撃は間に合わない。
そんな現実だけを理解する。腹で受けることになるだろうか。
致命傷を避けられればクロエ先生がなんとかしてくれるか……?
「危ない――!!」
だが、それよりも速く、死角から杖が飛び出してくる。
変装していた反帝国派を突き飛ばすような一撃が。
「……流石ですね、先生」
あのクロエが先生と呼んだ男。
それは、義足の右足を持つ壮年の男性。
「君は相変わらず無茶をするようだね、クロエ」