『それでも、偉大なる皇帝の名は残す。それが初代議員たちの選択だ』
――激動の1年だった。
機械皇帝と帝国議会、権力の頂点を失った機械帝国を生じた混乱は凄まじく、同時に社会基盤であるナノマシンのネットワークが、国民に牙を剥いていたことがそれに拍車をかけた。
たとえそれが深層心理における国民の総意だったとしても、帝国議会の実態が明るみに出てしまえば二度と元には戻らない。
出てきた論調の中で、古い世代が選んだ隠蔽を許してはいけないというものがあったのは実に心強いものだった。人間は、たとえそれが辛かろうと不快であろうと全てをシステムに託すことなどできないのだ。
愚かでも、愚かな人間が運営する社会、繋いでいく歴史にこそ意味がある。
その痛みから目を逸らしたところで、いつか司令のようなものが生まれてくる。
理想的なシステムは常に誰かに利用されてしまうのだ。
そして同時にシステムを担う者に強烈な負荷が掛かってしまう。
それを理解した人間たちが、それなりに自分の権益を獲得しようと立ち上がり、ぶつかり、様々な軋轢が生じた。シルフィが機械皇帝に並ぶ創始者であることに関してもそれは嘘だという陰謀論が出てきたのは言うまでもない。ウォルターが監察官に選ばれたことから皇国による侵略だみたいな話も出てきたほどだ。
この1年間の混乱、激動を一言で表現するのなら簡単な言い回しがある。
――つい、少し前までアウルがここに居た。
リタが気を遣ってずっとここに居たからというのもある。
だが、アウル自身も言っていた。
”せっかく丸く収まったところで人間ごときにお前らを暗殺されても困る”と。
それぐらい激動だったのだ。
監察官のウォルター、創始者のシルフィ。
この2人を中心にした俺たちに味方してくれる連中は多かった。
それでも敵対する者もかなり居て、まぁ、とにかく荒れた。
シルフィが外に出るときには、俺はいつも加速思考を発動していたくらいに。
『――ようやく議会が軌道に乗ったね、ジョン』
リタがこの国を去る前のことだ。久しぶりに2人きりになった。
『ああ、選挙をやって人間を選ぶ。それだけのことがこんなに難しいなんてな』
『ナノマシン不信のせいで、全部紙で選挙だものね。
もう帝国じゃないよ、この国は――』
そうだ、もうこの国に皇帝はいない。
アガサの言った”究極の民主主義国家”でもない。
機械帝国は、ただの民主主義国家になったんだ。
『それでも、偉大なる皇帝の名は残す。それが初代議員たちの選択だ』
『――ふふっ、私らの選択じゃないって訳だ』
『ああ、もう俺たちの手は必要ない……きっとな』
混乱を収めて、新たな統治機関が確立されるまで。
それまでが俺たちの戦いだった。よく1年で収まったとさえ思う。
しかし、これで無事この国を手渡すべき相手はできたのだ。
『なぁ、ジョン……私な、そろそろこの国を去ろうと思う』
帝国特有の高いビルから街を見下ろしながら、リタがそう告げる。
なんとなく、そうなるのが分かっていたように思う。
『アウルの奴がうるさくてな、帝国は見飽きたって』
『ふふっ、随分と気を遣わせてしまったな、アウルには』
『良いんだよ、私の魔導甲冑を理由に使ったんだ。だから私も使ってやった』
柔らかな笑みを浮かべるリタ。
……きっとこれでしばらくの別れになってしまう。
もう、2人きりになれる機会も少ないかもしれない。
『――ただ、貸しを作り過ぎたな。
なんかいろんな国を巡ってから帰るから案内しろって』
『アウルとの2人旅か。ちょっと胃に重いかもな』
そんなことを言い合いながら、笑い合う。
良い奴なんだが、事態が急場でなくなるほど嫌味が増える。
でも、本当にあいつには助けられた。いくら感謝しても足りないほどに。
『……なぁ、リタ』
『どうしたんだい? かしこまって』
『少し、真面目な話をしようかなって。今言っておかないとダメな気が』
『おいおい、シルフィの次は、私を口説くとかいうんじゃないだろうね?』
茶化してくるリタの言葉に首を横に振る。
『――違う。ただ、あの時、ドラッヘンベルクで、金剛花火を手伝った時』
俺の言葉を静かに聞き届けてくれるリタ。
茶化すこともなく、ただ真剣に。
『俺にとってはあれが初めての、戦いじゃない日々だった。
ああいう経験ができたから、俺は俺なんだって、用意された駒じゃないって。
そう思えたんだ』
こちらの言葉を聞いて、優しい笑みを浮かべるリタ。
『だから、ありがとう。本当に、感謝している』
俺の感謝を前に、リタは静かにそれを受け取ってくれた。
『――いや、良いんだよ。感謝をしたいのは私の方だ。
アンタもまだ2歳にもなってないくせに大変だったね』
リタの言葉に頷く。
『シルフィの力になりたいって、私はこの旅に参加した。
それでも、ジョン。お前に出会えたこと、お前みたいな仲間を得られたこと。
私が灰になるまで忘れない。シルフィのこと、よろしくね』
灰になるまで忘れない、か。
生きている限りは炎に焼かれることのないドワーフらしい言い回しだ。
『……ああ、この命尽きるまでは、必ず』
『うん。次に会うとしたら祖父さんの葬式かな?』
『ははっ、縁起でもねえ』
ルドルフさんには手紙を送っている。
まだ元気にしていると。身体は自由にならないが、それでも。
『良いんだよ、もうここまで生きてりゃ大往生さ。
だから、その時が来たら盛大に送り出してやるつもりだ』
『うん、その時には必ず顔を出す。できればその前に行くつもりだが』
俺の言葉に頷くリタ。
『――ああ、何度でも顔を出してやってくれ』