「貴方がこのクロエ・サージェント、最後の患者さんです」
「――お待たせしました。あなたが、あの女傑シルフィーナさんの」
教会病院へ入り、受付を済ませ病室に案内された。
あちらさんはシルフィ本人が来るものだと思い込んでいて、少し気まずい思いをしたが、無事こうしてお医者様が来てくれたというわけだ。
「ジョンだ。随分と若いんだな、先生は」
「14年戦争で医学神官の数も減りましたからね。
ただの医者で良ければ、私よりもベテランの先生はごまんといますよ」
――14年戦争。シルフィから簡単な概要は聞いている。
機械帝国が行った領土拡大戦争だ。
人間、ドワーフ、オークの国を相手に行われ、特に長引いたのが人間の国。
「シルフィからの言いつけでね。医学神官に見てもらえと」
「ええ、伺っております。おかげで私の退職が伸びてしまった」
「……先生は教会病院を辞める予定なのかい?」
彼女の独特なピンクゴールドの髪と瞳を見ていると、神官であるとよく分かる。
シルフィと色とは違うが、そういう力を持っているのだと。
纏う服装も、俺に知識こそないが格式高い神官様のものだと感じる。
「ええ、行方不明の兄を探すために、暇を貰おうと。
つまり貴方がこのクロエ・サージェント、最後の患者さんです」
なるほど、クロエというのか。彼女の名は。
「記憶喪失と伺っていますし、神官をご指名ということですので、最初から神官流で行きましょうか。とりあえず上着を脱いでもらえますか?」
神官流であることと上着を脱ぐことに何の関係があるんだろうか。
そう思いながら、俺は着こんでいたジャケットを脱ぐ。
「――失礼、訂正します。上半身裸になってください」
「えっ、なんで……?」
「診察上の必要です。同性の医師でなくて申し訳ありませんが」
まぁ、女じゃあるまいし、異性の前で脱ぐのが恥ずかしいとかそういうことはないけれど、最初から上半身裸になれとは。いったい俺はこれからどういう診察をされるんだろうか。
「別に生娘じゃあるまいし、裸になるのは問題ないが、いったいどうして?」
「ええ、頭をこれに入れるので、服を着ていたら濡れてしまうかと」
そうクロエ先生が用意していたのは独特な形をした水桶だった。
ベッドと連結していて、横になれば頭をそこに入れられる。
少し水かさが少ない気もするが、恐らく頭を入れればちょうど良いのだろうか。
「……なぜ水桶に?」
「ふふっ、ジョンさんは神官の診察を受けるのは初めてですか?」
「ああ。もしかしたら記憶喪失前に受けたことはあるかもしれないが」
“それじゃあ、今からそれを診てみましょうか”
優しく微笑むクロエ先生は、ゆっくりと俺を案内してくれる。
そして、水の中に頭を入れた。
「少しお待ちくださいね」
スッと立ち上がり、カーテンを閉めるクロエ先生。
彼女が離れると水の冷たさに意識が向かう。
……こうして水の中にいると、シルフィと川に飛び込んだのを思い出すな。
「そのまま、ゆっくり呼吸を――」
いつの間にか戻ってきたクロエ先生が俺の肩に触れる。
彼女が撫でるリズムへと、呼吸が落ちていくのを感じる。
「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり……」
意識がぼんやりとしてくる。
カーテンが閉じられ、薄暗くなったはずの部屋に明かりが灯ったような。
「力を抜いて。ジョン」
先生の言葉を最後に意識が落ちる。そして――
「……目が覚めましたか? ジョン」
「あ、ああ……俺はまだ水の中のようだな」
「ええ、これから問診に入ります」
俺の後ろから光が溢れ出しているのが分かる。
いったいなんなんだ。
「振り向かないで、ジョン」
「だ、だが、この光はいったい……?」
「ふふっ、エルフは水の神から加護を与えられます。人間は光だ」
なるほど……すでに医学神官としての力を使っているのか。
なんと神秘的な。
「それでは、ジョン。いくつか質問をしていきます。
まず、あなたが覚えている一番古い記憶は?」
先生の言葉で思い出すのは、司令の言葉。
“――作戦内容を伝える。君の任務はエルフの村を焼き、テロリストの首領シルフィーナ・ブルームマリンを殺すことだ”という命令。
「……なるほど、帝国の思考通信ですか」
「見えてるのかい? 俺の考えが」
「ええ、知られたくないことがあれば水から頭を上げてくださいね」
――とんでもないな、人間の神官の力は。
知られてはいけないこととそうでないことの線引きが難しいな。
シルフィが居てくれれば、必要な時に引き上げてくれるだろうに。
「ジョンという名前は?」
彼女の質問で、反射的にシルフィとの会話を思い出してしまう。
勇者という役割ではない名前が必要だという言葉を。
「なるほど、名無しのジョンですか。それで名字が」
「ああ、ジョン・スミスでもジョン・ドゥでも良いんだがな」
「本当の名前を思い出せると良いですね、ジョン」
そこからクロエ先生はいくつかの質問を重ねた。
けれど、意外にもシルフィと俺の旅の目的を聞いてくることはなかった。
なんとなくだけど、気を遣ってくれていたとは思う。
「さて、それではこれで頭を拭いて、少々お待ちを――」
タオルを渡した先生が一度、診察室を離れる。
診察自体はこれで終了と言ったところだろうか。
何か治療法があれば良いのだが。
「と言っても長居できないんだよな、俺……」
治療法が見つかったとしても先生は退職してしまうし、俺とシルフィも長居はできない。移動しながらの治療になる。通院が必要みたいな話にならなきゃいいが。
「おまたせしました、ジョン――」