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「あれの手を、どうか離すなよ、サミュエル」
呆然とその声に頷いて、どうやって帰ったのかは覚えていない。いつものように微かなざわめきに満ちた、ケルベロスのエントランスでようやく我に返った。
結局、二人して考えていたことは同じ、ということか。それに気付いて、自分で自分に呆れる。フェリックスは私を気遣い、私は彼を気遣っているつもりで、肝心なことは何一つ言い出せなくて。全く、我々はどこまで不器用なら気が済むのか。
とにかく、あれが戻ったら話をしなければ。そのためには、まず目の前の局長だ。気を取り直して、すっかり歩き慣れた局長室までの道のりを足取りも重く進む。何の変哲もない、シンプルに局長室とだけプレートの掲げられたその扉を、ここまでプレッシャーに感じたのは初めての事だった。息を吐き出す。覚悟を決めて、いつものようにノックする。
「サミュエル・ド・マルジェリです。任務報告のため、参上しました」
「入りなさい」
部屋に入れば、局長はいつものように書類へと目を通していた。
「報告を」
「はい。当該拠点には隠し部屋が存在し、歴代の取引を記録した帳簿が保管されておりました。少なくとも二九年前まで遡って帳簿は存在しており、かなり深くまで根を下ろして活動していたものと推測されます。ざっと目を通したところ、帳簿には特定の個人や団体名は存在しておらず」
存在しておらず?……そうだ、何一つ『書かれては』いなかった。局長の関与を示すものは、何一つあの部屋に存在しなかった。業者の出入りログだの、会社どうしの繋がりだの、監視カメラの映像やらは、言ってしまえば私のこじつけに過ぎない。何の、証拠にもならない。
「サミュエル?」
不意に言葉を途切れさせた私を、訝しむように局長が見遣る。
「……失礼しました。具体的な名称が存在しないため、依然として特定は困難であると思われます。しかし、確かに長期に渡っての違法取引が行われていたことの決定的な証拠としては、十二分なものかと思われます。決定打と成り得るようなページなど、撮れるだけの写真は証拠として撮ってきてありますので、後ほどデータベースに挙げておきます」
「成る程、ご苦労だった。迅速な対応を感謝する。後はこちらに任せてくれ給え。追って連絡する……まだ、何か?」
呆然と立ち竦んでいた私に、片眉を跳ね上げて局長が問い質す。至っていつも通りの姿で、全てが私の妄想に過ぎなかったのではないかと思えてくる。
「いえ、失礼します」
目を伏せて踵を返した瞬間だった。
「ああ、そうだ」
ふと、思い付いたような声に、ビクリと足が止まる。
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