2.空想世界の異端者 -1-
「君達が何事もなく世界を渡り歩いていければ…きっとまた会えるよ」
そう言った前田さんは、いつの間にか懐から取り出した、レコードによく似た黒い本を開く。
私と蓮水さんは、一瞬身構えたが、直ぐに目の前で起こった光景に目を見張った。
「な…」
前田さんが本を開くと、まるで魔法の世界のように、彼女が砂粒となって本に取り込まれていく。
音もなく繰り広げられたその光景は、時間にして5秒も掛からなかった。
何も彼女の痕跡を残さず、文字通り"消滅"した前田さん。
私と蓮水さんは、顔を見合わせると、直ぐに居間を出て階段を駆け上がった。
「部屋に何かがないか調べよう。あの顔は何か隠してる」
前を行く蓮水さんは、そういうと、2階に上がって真っ直ぐ彼女の居た部屋に入っていった。
私がレコードキーパーだったころに、使っていた部屋だ。
中に入ると、まだ室内は誰かが住んでいた人の気配が残っていた。
地味ながらも、少しだけ可愛い柄のカーテンに、布団。
箪笥の適当な引き出しを開けると、彼女が着ていたと思わしき服が出てくる。
そして、一番気になるのは…学生の頃からの名残であろう、学習机だ。
大きな銀色のケースがポツリと置かれている。
私のマンションの部屋で見た…蓮水さんが"召喚"したケースと酷似した物。
「……残ってはいる。多分、目的はこれだけだ」
彼女はそう言ってケースを掴んで私の方に振り返る。
「早いところ出よう。誰が帰ってくるかは知らないけど」
彼女に言われるがまま、私は小さく頷いて振り返った。
走るには狭いけど、少しだけ駆け足で廊下を走っていき…急な階段をドタドタと降りていく。
「ケースを頼んだよ」
靴を履いて玄関の戸を開けた時、蓮水さんにそう言われて、私はケースを受け取る。
驚くほどに重いそのケースを、ちょっとふら付きながらも支えて車まで走った。
先を行く蓮水さんが運転席のドアを開けて中に入っていき、直後に鋭く回転が上がっていくエンジンが目を覚ます。
私はケースに苦労しながら助手席のドアを開けると、ケースを抱きかかえるように助手席に乗り込む。
シートベルトもせず、ドアを閉めた途端、車は動き出した。
「あ、シートベルト!」
「関係ないさ。僕達に法律なんて無いからね」
思わずといった感じて言った私に、彼女は小さく笑って見せると、狭い路地を正確無比な運転で抜けていった。
入って来たメイン通り側ではなく、海のある方の道に出ようと、ウィンカーを上げながら車を一時停止させた蓮水さんは、ふと声を上げた。
「親子…子供の方を見てみなよ」
ケースを抱えながら少しだけ居心地の悪い思いをしている私は、彼女の言葉を受けて、彼女の視線の先に目を向ける。
右側。視線の先に映ったのは漁師っぽい格好の、若い男と…その横に付いて歩く3歳くらいの男の子だった。
少しだけ髪色の薄い…若干灰色の髪色と、きりっとした猫目…顔たちだけで誰の息子なのかはすぐに想像がついた。
「そういえば指輪してましたっけ」
「ああ。まさか子供が居るとは夢にも思わなかったけど」
「男の子は母親に似るっていうから…そっくり」
「まさか結婚してるとは」
蓮水さんは、少しだけ何とも言えない笑みを浮かべると、前田さんが"消滅"してしまった家に向かっていく親子を横目に見ながら、車を路地から出していく。
「最期の笑みは…絶対に浮かべない類の顔だから怪しんでたけど、あの子を見れば分かる気がする」
「……丸くなったってわけですね。まぁ…もう25歳前後でしょうし、居てもおかしくはない年ですから」
「ただ…レコードに無い人間が、レコードに存在する人間とくっついて子供までいるっていうのは不気味だね。調べ…るのは帰ってからでいいか」
蓮水さんは私を見て、小さく笑った。
「そうしてもらえると助かります。結構硬くて重いんです。このケース。トランクに入らない?」
「入るけど。振り向けば分かる」
私は蓮水さんの言う通り、少しだけ肩と首を捻って後ろを見る。
2人乗りのスポーツカー。
その後部…トランクスペースには、このケースと同じくらい大きなケースが2つ鎮座していた。
「ね?」
「納得」
私はそう言って小さくため息を付くと、少しだけもがくようにして浴衣から煙草の箱を取り出し、一本出して口に咥えた。
「何なんです?あのケース」
火を付ける直前、私は蓮水さんに尋ねる。
「多分、このケースと同じかな。殆ど」
「これ以上武器を持ってたって、もう要らないですよ?」
「それが必要なの。僕が作ってるものの材料としてね」
蓮水さんはそう言って小さく口元を笑わせた。
車は、向日葵の咲き誇るロータリーをとっくに過ぎていて、来た道を戻っている最中だ。
まだまだ明るく輝く夏の青空の元、窓を開けた蓮水さん側の窓から流れ込む少しだけ涼しい風を感じる。
私はそれ以降何も話すことは無く、淡々と煙草を短くしていった。
電話ボックスを通り抜け、トンネルを潜り抜ける。
このトンネルを抜けた先が、私が創造した世界のハイライトだ。
「結局、観光どころじゃなくなった。空想世界の異端者が居るだなんて…」
トンネルから抜ける間際。
蓮水さんはポツリと言った。
車はあっという間にトンネルを抜けて、長い長い橋に入る。
「そう?」
「そう。まさか前田千尋の装備品が手に入るとはね」
「どういうこと…?」
「材料って言ったでしょ?実はさっき引っ張って来た銃だとちょっと不便なんだ。僕のせいでもあるんだけど…部屋で話すよ」
そう言った彼女は、橋を渡り切った車を先ほどと同じ場所に止めて、直ぐにエンジンを切った。
短くなった煙草を灰皿に押し込んで、ドアを開ける。
長いケースを抱えながら車を降りて、傷を付けないように、車の周囲を大回りで周って蓮水さんの傍に寄った。
彼女は後ろのトランクを開けて、中から私が抱えたようなケースを2つ取り出すと、顔色一つ変えずに両手に持つ。
「重くない?」
「重くない」
短くそういうと、私はふーんと鼻を鳴らす。
誰も通らない道路を渡って、狭い路地を潜り抜けて島の中に戻った。
まだまだこれからといった午後一番。
私と蓮水さんは、周囲から浮く浴衣姿に、銀色のケースを持ってマンションに歩いていった。
マンション前の公園を突っ切って、豪華な作りのエントラントを抜ける。
エレベーターに乗って11階まで上がり、角部屋までスタスタと歩き…鍵のかかっていない扉を開けると、海風の涼しい風が吹き込んでいる部屋に入っていく。
ケースを棚の上に置くと私はソファの上に飛び乗った。
フカフカのソファは、私の体を一度だけ跳ね返すと、次の衝撃で私をギュッと包み込むように沈み込ませる。
何だかんだ、別の世界に来てからそこそこ気が張り詰めていた私は、目を細めると一気に襲ってきた眠気に体を慣らしていった。
「随分とノンビリ屋な創造主様だこと」
蓮水さんは私の様子を見て、一度目を点にした後に、クスっと笑う。
そのまま彼女は棚の上に置かれたケースを開いた。
「こっちは時間が無くなったというのに。まさかこんなに拾えるだなんて思わなかったから。流石の僕も手が足りない」
そう呟くそうに言った彼女は、テキパキと無駄のない動きでケースの中の物を出して並べていく。
「手伝おうか…?」
私は欠伸を噛み殺しながら言う。
だけど、目線の先の彼女は小さく首を振った。
「大丈夫だよ、君は休んでて…これは僕にしかできないことだから」
彼女はそういうと、取り出した長い銃を手に取る。
「そんなに手間は掛からない。直ぐに1つ出来上がっているだろうから」
彼女は手際よく、棚の上に並べた銃器類を次々とバラバラにしていく。
私はソファに横になりながら、淡々と手を動かしていく彼女の背中を眺めていた。
相変わらず、居間にある大きな窓からは、代り映えのしない青空の光と…ちょっと涼しい海風が入ってきている。
ラジオも付けず、聞こえる音といえば、外からの音と…偶に蓮水さんの方から聞こえてくる金属音だけ。
体を起こして、ソファに座りなおす。
寝ているよりも良き見えた棚の上には、バラバラにされた銃器類に…何かの薬瓶のようなものがある。
「何でも生成できるとはいえ、同じようなのを幾つも出そうとするとダメって言うんだから、レコードもケチな物だよ。アイデアは当の昔にあったのにさ」
蓮水さんは私が起きたことに気づいたのか、こちらにも聞こえるような声量でそういうと、手に持った物を掲げた。
「それは?」
2本の指で持ったそれは、銃弾のようなもの。
私が見たことのある銃弾と違って先端は注射器のように鋭く細かった。
「拳銃用の麻酔弾。銃の方も改造が必要だけど、それは今手に入った部品でやりくりできて…ホラ」
彼女はそう言いながら、彼女は拳銃を左手に持って私に見せる。
「やっと9mmパラベラム弾からオサラバだ。擲弾だけだと派手にやるほかないけど、これなら穏便に事を済ませられる」
彼女はそういうと、弾倉に手作り弾を込めて、銃に挿し込んだ。
銃口に消音器を取り付けて準備万端。
それを窓の外に向けると、彼女は引き金を引かずに銃口を上げた。