5.分岐点の主役 -4-
深夜、そろそろ全ての家々が寝静まろうかという時間帯。
私と蓮水さんの"散歩"は、特に何も得るものが無いまま一通りの目的地を見終えて帰路に付こうとしていた所だった。
私の実家では、一人娘が消えたという事実すら気にせず過ごしている2人の姿が見られたし…展望台は暗すぎて何がなんだか分からなかった。
事務所は既に締め切られており、今の私達のレコードの色を考えると、無理に侵入するわけにも行かない。
結局、収穫らしい収穫は無かったという事になる。
だが、見方を変えれば、私が知っている…記憶に残っている3軸の世界と何ら差異は無かったという事だ。
遠い彼方の記憶…だけど、"ちゃんとした"レコードを持っていた当時の記憶は、レコードから外れた幾年に比べればずっと鮮明に残っている。
その時私が見てきた日向の町と、今こうして歩いている今の3軸の日向の町とは、大差が無いと思えたのだ。
可能性世界や、別の軸の世界の3軸なら…何かしら変わっている日向の町。
建っている建物も、空気も、街灯の明かりも…聞こえてくる波の音ですら"しっくりと来る"感覚。
「丁度いい夜散歩だったかな」
メイン通りに出てきた頃、蓮水さんがポツリと呟く。
彼女なりに何らかの当てがあったのだろうか?…少しだけ、予想と違ったとでも言いたげなように見えた。
「私の居た3軸って感じです。他の世界の日向と違って」
私は素直に自分の感想を言って、何気なく、上着のポケットから煙草の箱を取り出して一本咥えた。
ライターで火を付けて、ふーっと最初の煙を吐き出す。
「…ああ。紀子の居た3軸らしい。僕は分からないけど」
「自分だけが何処かに抜け出して、神様視点で見てる感じです。私はここの人間じゃないのに、この町で今過ごしている私は…"私"なんだなって…」
「…幽体離脱してるって?」
「そう。そんな感じに見えます。それくらい、懐かしいです。たった数か月しか過ごしてない1999年の世界なのに」
私はそう言って改めて周囲を見回した。
どんな可能性世界でも微妙に違う日向の町。
だけど、ここは何もかもがカチッとハマる、私にとっての"本物の"日向町。
コンビニ横の路地を入って行けば、まだ駆け出しのレコードキーパーが居ることだろう。
私は、何時ものように似合わないメガネを掛けて…部屋の隅で1日中本を読んでいるに違いない。
一人が好き…かどうかは、自分でも良く分からなかったが…一歩引いた立場に居るのが好きだったから、皆からは少し離れたところで、笑いあっている彼らを見ているのが好きだった。
彼らも、そんなところに居る私を気にかけてくれて…偶には私を巻き込んで何かをしでかしてくれるのだ。
今の立場になる前は…"何も知らない"で居れた私がここに居た。
そして、偶に月が綺麗な夜には、意味もなく外を……
「あー…」
私は、過去の自分の事を見つめ返しているうちに、ふと視界に入った満月を見止めて気の抜けた声を上げる。
「どうかした?」
蓮水さんは私の方を見て首を傾げながら言った。
今、私達は役場の方から商店街の方へと向かっている最中…
コンビニはもうすぐ目の前に迫っていて…その横の路地は、私が住んでいた家に繋がっていた。
「月が綺麗な夜でしたね。そう言えば…」
「え?あぁ…それがどうかしたのかい?」
私は空に向けた顔を元に戻すと、レコードを開いて適当なページにペンを走らせ始めた。
「こんな日は当てもなく散歩に出かけてたんです」
「…一人で?」
「はい。一人で、皆が寝静まった後にこっそりと…」
私はレコードで、この世界に居る私の現在地を検索する。
その答えは、直ぐにレコードに示された。
「……出ました。やっぱり今日も出てる…廃墟になった学校の方角です」
「行ってみる?」
「行ってみたいです。実物の自分を客観的に見る事なんて、まず無いことですし」
蓮水さんの問いに、そう答えた私はほんの少しの笑みを口元に浮かべて見せる。
どうせ、ここから歩いても10分もかからない道のり…
旅館に帰って、何もなく明日を迎える位なら…満月の明かりの元をもう少し歩いていたくなった。
・
・
蓮水さんと並んで歩いているが、特に会話もない。
私は短くなった煙草を排水溝に捨てて、ふーっと最後の煙を吐き出すと、不意に遠くから車のエンジン音が聞こえてくる。
「こんな田舎でも車は通るんですね」
「こんな田舎だからかもね」
少々大きなエンジン音。
一般車とは言えそうにもない音を聞いた蓮水さんは、そう言って肩を竦めて見せた。
「…それで、学校はどれだっけ?」
彼女は耳に聞こえてくるエンジン音が少し不快なのだろうか?
少しだけ目を潜めながら尋ねてくる。
「あー…一番右の建物です。灰色の壁の」
私はそんな彼女を見つつ、彼女の問いに答えて指を指した。
3つ並んだ廃墟の一番右の建物…ツタが絡み合っているせいで確認しにくいが…灰色の外壁を持つ、独特な建物が学校の廃墟だ。
「紀子は何処に居ると思う?」
「そうですね…大方2階の中央ホールじゃないかな…頑丈なステンドグラスの窓があって夜でもそれなりに明るいですし…それ以外の所に行っても暗いだけで肝試しと変わらないですから」
「…そう。夜の学校の廃墟ってだけでも、普通の女の子なら近づかないのに」
「レコードキーパーになってからです。その前までは気味が悪くて近づくのすら怖かったのに、レコードを持って何もかもを知れるってなったら、怖さも何も感じなくなって」
私はそう言って苦笑いを浮かべると、目の前にまで迫って来た学校の門を潜り抜けた。
立ち入り禁止のロープがあるが…それは何の邪魔にもなってない。
「中央ホールってことは、玄関を抜けた先かな」
「はい。吹き抜けになってるんです。ちょっと右側に行けば階段があって…2階に上がって、玄関の上あたりの廊下にでも突っ立ってるんじゃないですかね」
雑草が生えている石畳の上を歩きながら、私達は言葉を交わす。
その耳には、先程から車のエンジン音が環境音として聞こえて来ていた。
「確認だけしよう。レコードで」
蓮水さんは足を止めると、そう言ってレコードを取り出した。
中まで入る気だった私は、少し驚いて彼女の横に戻る。
「言った通りの場所に居るらしい…だけど、僕達はココで待とう」
レコードを開いて、簡単な確認を終えた蓮水さんはそう言って私の方にパッチリと開かれた猫目を向ける。
月明かりを受けて、赤い瞳がいつも以上に輝いて見えた。
「え?」
私は蓮水さんの言葉を聞いて首を傾げる。
だが、その謎は、彼女が答えを明かしてくれるよりも先に、徐々に近く大きくなっていくエンジン音が明らかにしてくれた。
「さーて…どう対応するのが正しいんだろうか」
独特な重低音。
不完全な回転音。
洗練されていない音…
はやる気持ちを抑えて息を潜めているような音に、私達は聞き覚えがあったからだ。
「レナと…レミの車…」
「恐らく、この時間、この町に車は通ってない」
「ポテンシャルキーパーが居るってことは…」
「十中八九、標的は学校で黄昏てるこの世界の紀子だ」
「…対応が早すぎる…もう感知したってことですか?」
徐々に近づいてくる車の音を聞きながら、私達は廃墟となった学校の前で言葉を交わし続けた。
「恐らく…どうする?黙って見守る?それとも…」
蓮水さんの言葉を受けた私は、蓮水さんが迷っている意図を何となく読み取った。
「レコードの指示には入っていないから、黙って見逃すかって事ですか」
私がそう言うと、彼女はコクリと頷いて見せた。
「ああ…下手にしゃしゃり出て拗らせたら"調停官"が黙って無さそうだし」
蓮水さんはレコードを掲げながら言う。
私は、学校の方と音の聞こえる方を見比べながら思考を巡らせた。
「……手は出さない方が良いと思ってるんだけど、紀子の考えは?」
「そうですね…遠くから眺めましょう…ここで出て行って止められたとしても、彼女が…私が、本来居てはいけない人間であったことは間違いないですから」
数秒の間に考えを纏め終えた私は、蓮水さんにそう言って彼女の手を引いた。
「こっちです」
脳裏にうっすらと思い出せた"レコードキーパー"としての最期の時…
ポテンシャルキーパーは、私やレナを"レコード違反者"のように扱っていたような気がする。
「ポテンシャルキーパーがどうやって仕事をするのか見てみましょう…私の時は、薄っすらとしか残ってないので」
そう言って、廃墟の学校の玄関を潜り抜けて中に入って行く。
玄関の上に居る私に気づかれぬよう、ガラス片を避けて足音を極力たてぬように移動して、最寄りではない階段から2階に上がっていった。
「ここから…」
丁度、暗い影の中に私達は紛れ込んだ。
向こうからは、私達の姿は見えないだろうが…私達の元からはステンドグラス越しの光に当たる彼女が良く見える位置だ。
「居た…」
私達が位置についた直後、1階の方から足音も気にしないで誰かが中に入ってくる音が聞こえる。
私達は息を飲み…遠くに見えるこの世界の私はその音に驚いた素振りを見せた。
彼女は、持っていたレコードを開き直ぐに音の原因を探り始める。
…そして、彼女がその音の原因が"レコードに載っていない"事を知ったと同時に、彼女の更に奥から2人組のセーラー服姿の少女が姿を見せた。
「え?…な…何?」
この世界の私は咄嗟の恐怖に声が歪んでいる。
「白川紀子…貴女はこの世界に居てはいけないの」
セーラー服姿の少女…この声はレナだ。
レナが唐突にそう告げて彼女に何かを見せつける。
「あ……」
その"何か"を見せられたと同時に、この世界の私は足元からゆっくりと"粒子化"していく様子が見て取れた。
「貴女は狂ったレコードの元で産まれた存在しえない人間。可能性世界にしかいない男と、軸の世界にしかいない女から出来た子供。偶々レコードキーパーになったようだけど。存在するだけで与えるレコードへの影響は計り知れない」
消えゆく"私"に、レナは冷酷な冷たい声色で言葉を投げかける。
だが、次の言葉を聞いた私達は、互いに唖然とした表情を浮かべながら顔を見合わせることになった。
「今回は1999年。少しは検知が早まった。これは歪みが治ってきている証拠…このまま"白川紀子"のような存在が居なくなれば…この世界は先に進んでいける」




