5.分岐点の主役 -3-
小さなキャリーケースを手にして、東京よりも少しだけ肌寒い北海道に降り立ったのは日も暮れた後の事だった。
私と蓮水さんは、羽田の駐車場に置いてきたはずの車にケースを入れると、何も言葉を交わさずに車に乗り込む。
ここから2時間少々…日向までの道のりは、随分久しぶりに通るように感じた。
「多少、レコードの権限を使いすぎてる感も否めないけれど…許されてることは最大限に使わないとね」
駐車場を出て、最初の信号機で止まった時。
蓮水さんはそう言って小さく笑って、煙草を口に咥えた。
「久しぶりの"3軸"の世界だけど…最早ココも私が知る世界じゃ無いんですよね」
外の景色を見ながら、私はポツリと呟く。
車の外に見える90年代後半の世界の景色…私が生まれ育ち、レコードから逸れた世界に間違いないはずなのに…"別の私"が居るのであれば、この世界は私から見て"何周も後"の世界になるのだろう。
信号が青に変わる。
ゆっくりと流れ出した景色は、少しボヤけて見えた。
「懐かしい?」
「懐かしさは…少しありますけど、可能性世界のうちの一つみたいです。私の居た世界でも、私は除け者ですから」
「除け者ね…それもそうか。紀子もこの世界にちゃんといるんだし」
「ええ。この世界に居る私は…どうなるんでしょうね?今はまだ何も無くとも…この後の事件の後になれば、何処かのタイミングでパラレルキーパーに処置されるんですよ?」
私はそう言って、何気なく車の窓を半分ほど開けて外気を取り込んだ。
夜の、涼しくも少し寒気の感じる風が車内の空気をかき混ぜる。
私の髪も少しかき混ぜられたが、私は意に介さず…少しの間風に揉まれ続けた。
「……そうだね」
蓮水さんは風のことなど気にする素振りも見せずに、少々潜めた声で答える。
私は車内を包んでいた空気が入れ替わったのを感じ取ると、窓を閉めた。
「この世界の仕事が終われば、何処かでこの世界の紀子は処置される…はずだよね」
繰り返すように、確かめるようにそう言うと、蓮水さんは小さく溜息を付く。
私はそんな彼女を少し不思議そうな目で見つめていたが、やがて前に向き直る。
「……」
「……」
高速道路に入る少し前。
ここで再び赤信号に捕まった。
蓮水さんはゆっくりと穏やかに車を減速させて車を止める。
夜の…通勤時間帯からも外れた時間。
周囲の車の数は少なかったが、その中で横に並んだ車は、少々珍しい形をしていた。
楕円のテールランプが左右に一つづつ付いていて、大きな羽根が付いているスポーツカー。
ブルーメタリックの車体色に、白いホイールが良く似合っている。
左に並んだその車…不意に運転席の方に目を向けると、私は思わず声を上げた。
「…え?…あー…」
私の声に反応した蓮水さんも、私の視線を追って横に並んだ車の中に目を向けると、驚いたような、気の抜けた声を上げる。
何かが起きるわけもない…信号が青になると、直進していく私達の横で青いスポーツカーは特徴のあるエンジン音を発しながら左に曲がっていった。
「レナとレンだ…この街に居るから、変な事じゃないですけど…偶然ですね」
再び走り出した車の中で、私はそう言って蓮水さんの方に顔を向ける。
彼女は小さく頷くと、咥えていた煙草を灰皿の中に捨てた。
「彼女、車が好きなの?」
「え?いや…そんなことは無いと思いますけど」
「なら俊哲の趣味か…相変わらず良い趣味してるよ」
蓮水さんはそう言って苦笑いを浮かべると、肩を竦めて見せた。
「あの2人も、紀子が知ってる2人とは違うよね。今の2人はまだ知り合う前の2人…だよね?」
「はい。次の事件の最中に東京で会うんです」
「…だよね」
彼女は考え事でもしているかのようだった。
声を潜めてそう言うと、少しだけ黙り込んで…それからゆっくりと口を開く。
「考えてても纏まらないか。丁度いい位時間があるんだし…ちょっとだけ」
何時もよりも少しだけ遅い速度で車を走らせながら、蓮水さんはそう切り出した。
「今の僕達は何者でもなくなった。ついこの間までは、明確に"時任蓮水"であったし"白川紀子"だったのに」
「…誰かの代役か名もない黒子って所ですか」
「ああ。それが今の僕達。レコードの管理から抜けて、世界の敵に回って、その先には世界から無視されるっていう"自由"があると思ってたけど、まさかもう一度レコードの管理下に入るとはね」
彼女はそう言って苦笑いを浮かべて見せる。
「"ジョーカー"…ババを引かされたって捉えても良い気がします」
「僕達が遭遇してきた"自由な連中"はババを引かずに…それとも誰かに押し付けて上がったって訳か。良い例えしてるよ」
「どうも」
「そんなこんなで、ババを引かされた僕達の視点から見れば、変わったのは立場だけだよね。レコードの管理下にある世界は相変わらずで、紀子が何故存在し続けられたのかは謎のままだし、千尋や有栖もきっとそのままだ。今までのことは何一つ解決せずに、今、僕達は見覚えある過去を変えようとしてる」
「……」
「後少しで、紀子が知ってる歴史を辿る3軸は無くなるんだ。…今のこの世界も、厳密に言えば"僕から見たオリジナル"の紀子が居ないからパラレルワールドなんだけどさ」
「…ですね。ココじゃなくとも、何処か別の場所のレコードが違うかも知れないですし」
「で、意気揚々と紀子の過去を知りに日向に向かってるわけだけど…何が分かるんだろうね?」
「…私の過去や、両親、それに初瀬さんの痕跡があればそれくらい…ですか」
「ああ。そして今の僕達を外から見れば、誰なのかは分からないらしい」
「もしかして…過去の私に会いに行くつもり…という事ですか」
「ご名答」
蓮水さんは短く、淡々とした声色でそう言うと、懐から煙草を取り出して一本咥える。
シガーライターで火を付け、煙を吹かすと、いつの間にか微妙に開いていた運転席側の窓から煙が吸いだされていった。
・
・
勝神威から日向までの道のりは、何時どんな世界に行っても大きく変わらない。
高速道路に乗って、それを降りてしまえば、後はなるべく海沿いの道を辿って進んでいくだけ…
日向に向けた2泊3日の旅…1日目の移動は、北海道に来た時点で夜だったから…2泊2.5日とでも言いなおそうか?
そんな旅の最初の移動工程は、日付が変わる少し前に終わった。
暗闇に包まれ、街灯も疎らな日向までの細い道を進み…
直角カーブを越えて町に降りる急な坂道に差し掛かる。
そこから見える町の景色は暗く、街灯が道筋を照らす以外に光りらしい光は見えてこなかった。
「ついた…と」
「これからどうするんです?」
「寝床を用意してるから、そこに行こう。そして、夜の間に調べ回りたい事は幾つかあるんだ」
「え?」
ロータリーを抜けて、この時代には既に寂しいものになっていた商店街を通り抜ける。
蓮水さんが車の鼻先を向けさせたのは、この町唯一の民宿だった。
「ああ、ここですか」
車が止まるよりも前に、私はシートベルトのロックを外して呟く。
砂利上の駐車場に車が止まってエンジンが切られると、蓮水さんはふーっと一つ溜息を付いた。
「そう。申し訳ないけれど、荷物を置いたら直ぐに外に出てくる事になる」
蓮水さんはそう言うと、車を降りて後ろのハッチゲートを開けた。
私は何も言わずに、彼女に従って動き始める。
2人で小さなケースを手にして民宿の扉を開けると、知った顔が出迎えてくれた。
「こんばんは。2名様で予約の時任様ですね?」
同級生の母親が、私達を見てそう言った。
民宿尾堂…今私達を接客している女将は南奈の母親だ。
蓮水さんはコクリと頷くと、女将さんは柔らかな笑みを浮かべて蓮水さんに鍵を手渡す。
「2階を上がった先、角のお部屋になります」
「どうも…外出する時とかは?声を掛けた方が良い?」
「お車での外出以外は大丈夫です」
「分かった。ありがとう」
短いやり取りの後、私達は部屋に荷物を置いて直ぐに外へ出直す。
最近、当たり前のように持っていた拳銃すら部屋に置いてきたから、随分身軽に感じた。
「それで…一体どこへ?」
「紀子の家、展望台、トンネル奥の事務所…この町で起きた事件は枚挙に問わないからね。そのあたりを眺めてって感じかな。散歩気分で良いよ」
商店街から一本入った小道の途中にある民宿から、私達は行動を開始する。
蓮水さんに言われた通りの施設を辿るのであれば、まず最初の目的地は私の実家だ。
「少し冷えるね」
「まだ4月ですから」
上着を羽織っているが、港町の夜は白い吐息になるほどに寒い。
私は上着のポケットに手を突っ込んで、体を縮こませた。
「ここから何が分かるかな」
「さぁ…ふと思ったのですが、私達って絶対に分からないことを探ろうとしてません?」
「その通りだと思うよ。分からないことが分からない…そのレベルの事を探ってる」
「ですよね…レコードから外されてどれだけ時間が経ったか分かったものじゃないですが…結局、同じような漠然とした事を延々と探しているような気がします」
寒い散歩道。
私達は白い息を吐きながら、少しでも寒さを誤魔化すために言葉を交わした。
「このやり取りも実は何度もやってるのかもね」
「そう思います?」
「初めてって気がしないもの。デジャヴを感じる」
「やっぱりそうなります?」
私達は身のない会話を重ね、ようやくこの町唯一の信号機に辿り着いた。
信号は赤。
誰もいないのだし、渡っても良いのだが…私達は律儀に止まって待つことにする。
「何度も何度も同じ疑問と謎を吹っ掛けられて、答えも出無さそうな事を延々と繰り返してる。そう見えても仕方がない」
「でも止めはしないんですよね」
「ああ。これを止めたら、いい加減、自分が何なのかすら分からなくなりそうだから」
蓮水さんはそう言って苦笑いを浮かべると、あまり見ないような、砕けた表情を浮かべて見せた。
「別の世界の自分を演じて…そこで紀子に処置されて、僕の"レコードの管理人"としての記憶は戻って来たけれど、一時でもレコードから離れていたせいなのか、偶に自分が自分じゃない感じがするんだ」
「え?」
唐突に、とんでもないことをカミングアウトして見せた彼女に、私は思わずといった表情を浮かべて見せる。
蓮水さんの表情は、何気ない会話をしているような表情では無くなっていた。
「前の世界の僕は…僕の人生の繰り返しだった筈なのに、でもやっぱり彼女は微妙に違ってる。その違いがね…」
「自分なのに他人みたいな感じですか?」
「ああ。そんな所。偶に、ボーっとしてたら頬を叩いてよ。いよいよ"天国"に行く前におかしくなる方が先なのかも知れないから」
「考えておきますよ」
私は少しだけ不安げな表情を浮かべた蓮水さんにそう答えると、丁度信号が青になった。
「家に着いたらどうしましょうか?」
「前みたいに侵入するとかはしないよ。ただちょっと…眺めたいだけだから」
「…それで一体何を探るんです?」
「そうだね…父親を見たいんだ。別の世界からこの世界にやってきて…それも、過去が色濃く残った日本から、こんな無機質な日本に転移して来て…彼自身に何か変化は無いのかなって所を」




