4.分水嶺の1つ前 -4-
境界線を一歩越えた存在になり、周囲からは一つ"浮いた"存在。
それは、周囲から見ればただのレコードの管理人であり…レコードの管理人から見れば理解の範囲を越える存在。
自らの操作によって再びレコードの管理下に置かれた私は、蓮水さんの下について"パラレルキーパー"として世界を漂い始めた。
「今までの拠点は一旦捨てよう。もっと今の僕達のことが分かるようになるまでは…」
「そうですね。昔の自分にバッタリ会う事も…多分無いと思いますが」
「保険だね。気休め程度の」
私達はそう言って、新しく確保した"拠点"の中で新たなスタートを切った。
日本人パラレルキーパーの"棲み処"ともいえる、夕焼け色の空間…昭和の商店街のような場所の一角にあった蓮水さんの元のアパートから遠く離れて…空間の隅にポツリと建てられていた廃墟のような一軒家が新たな拠点だ。
「暫くは他のパラレルキーパーに仕事を任せられる。レコードによれば、僕達は"新人"のパラレルキーパーだそうだから」
「私は紛れもない"新人"ですよ?今まではレコードキーパーでしかなかったのですから」
「確かにそうだ」
レコードに色々と書いて、人影も無かった家を再生し…内装はそれぞれ好きな物や家具を配置した。
私の趣味と蓮水さんの趣味を足して二で割った拠点。
仕事部屋ともいえる居間には、幾多の世界を監視する為のモニターが壁一面に配されている以外は、レトロな内装になった。
「拠点も、監視のメインとなる区域も、昔の僕とは大きく変えたし…"仕事場"も自宅に纏めたから…当面は"事故"も無いだろう」
「銃は…麻酔銃とかは使えそうに無いですね。蓮水さんのお手製弾も」
「それなら車もダメだね。フェアレディZ…気に入ってたのにな」
地盤を固めた私達の当面の関心事と気を付けるべき事は、現状の把握と"居るかもしれない"過去の私達への不干渉。
再び、自らの操作によってレコードの管理下に置かれた私達は、拠点を創る傍らでレコードに幾つかの確認を行っていた。
確認の結果、私や蓮水さんに該当するレコードの管理人は、当然の如く私達しか当てはまらない。
これで、レコードの管理人として活動する私達には出会うことは無いと思うが…
"レコードから外れた"私達にバッタリ遭遇する可能性は0では無い。
だから、拳銃は勿論、車や服装まで…今まで私達のアイデンティティになっていた物は全て一新することにした。
昔見た映画の受け売りだが…
"未来"の私達が"過去"に干渉するわけにもいかないだろうという事だ。
レコードの管理人らしく、周囲に与える影響は極力少なくした上で行動する。
レナが良く言ってた"砂粒一つ"の存在になって、私達は周囲を観測するのだ。
手にしていた拳銃は、ベルギー製の拳銃からソ連製の小型の物に置き換わり…
浴衣姿が主だった格好は、飾り気の無い洋服に身を包むことに…
「久しぶりに洋服を着ると肩が凝りそうだ」
初めて会ったときの格好で部屋から現れた蓮水さんは、そう言って苦笑いを浮かべる。
その手には幾つかの鍵が纏められた鍵束が握られていた。
「早速だけど、仕事に取り掛かろう。レコードがとある世界に行けと言ってきた」
彼女はそう言って煙草を一本咥えて火を付ける。
私はコクリと頷いて彼女の後を付いて行き、外に出ると彼女の横に並んだ。
歩きながらレコードを開いてみてみると、私のレコードにも"指令"が降りている。
内容は、3軸の可能性世界へ行って"取り込まれかけた"世界を救えという内容だった。
「そう言えば、何処かの世界での拠点はまた日向に…?」
「いや違う。次の拠点は横浜だ」
「横浜?…私にとっては都会すぎる」
「慣れだよ慣れ。僕が遠い昔に住んでたマンションの近くでね」
色調が夕暮れ時から変わる気配がない空間を歩きながら、私達は言葉を交わす。
「そうそう…一つ厄介なのが、首都圏の人間が動けるイメージが無いってことだ」
「…そういえば、何処かで聞いたことがあります。誰が言ってたか忘れましたが…」
「千尋とかじゃないかな。あの子は結構"被害"を受けてたから」
「人の質が悪いんでしたっけ」
「そう。人口が多いところが重なると管理人も大勢必要になってね…どうしても質が下がる傾向になる」
「それで良く保ってきたものですね」
「全然…直ぐに狭間送りにされて別の人員が補充されるのさ。僕がずっと前にパラレルキーパーだった頃は、行くたびに顔ぶれが変わってたかな」
彼女はそう言って"嘲笑うような"笑みを浮かべて見せた。
彼女が無意識に浮かべる笑みとは違う、少し毒の混じった表情。
私はそんな顔を浮かべた蓮水さんの横顔を見て言葉を失う。
「長く続いたのは…僕の知り合いには居ない。それくらいに質が低く…それでいて脆いんだ」
蓮水さんは淡々と語りながら歩き続け、やがて商店街の隅の通路に入って行く。
今まで一度たりとも入ったことが無い細い通路。
私は周囲を見回しながら彼女の後を追っていくと、通路は行き止まりになって、何処かの家の勝手口が目の前に現れた。
「ま、そんなところだから…日向や勝神威に居た頃に比べれば忙しくなる。忙しくなる割には…無駄な雑務が増えるだけだと思うけど…慣れるさ。直ぐに」
彼女は私の方に振り向いてそう言って、嘲笑うかのような表情をクシャっと歪めると、加えていた煙草を吐き捨てて火をもみ消した。
そして、彼女は目の前にある扉に手を掛ける。
どう見ても、この先の民家に繋がっていそうな勝手口なのだが…
扉が開かれた先には、全く違う景色が映り込んできた。
「……」
「……」
私はただただ蓮水さんの後を追って中に入る。
そこは、何処かのマンションの一室のようだ。
家具や家電の類を見る限り…1990年代後半あたりと言った感じの様子。
扉が閉められて…ふと振り返ると、扉は部屋のクローゼットと繋がっていたらしく、何の変哲もないクローゼットが備え付けられている様子が見えただけだった。
「この世界は3軸で…今は1999年4月12日の午前6時。いい塩梅の群青色の景色が見えるよ」
物珍しい顔で周囲を見回す私に、蓮水さんはそう言ってカーテンを開けて見せた。
大きな窓から見えたのは、朝の特有の淡い薄青の空模様と…まだ目が醒め切っていない街の光景。
ここは高層マンションの上階にあるらしく、見渡す限り幾つものビルが立ち並び…それを細かく縫い合わせる様に走る道が見え…そこを走る車や人はミニチュアのように見えた。
「良い場所ですね」
私はそう言って小さく笑う。
蓮水さんはふっと鼻を鳴らすと、直ぐに私の腕を引いて玄関の方へと歩き出した。
「この景色を見に来たわけじゃないのさ。悲しいことにね」
「仕事ですか」
「そう。最初はリハビリがてら注射器を使う仕事さ」
私達は玄関に並べられていたスニーカーを履いて外に出る。
豪華で頑強な作りをしている廊下に出て、エレベーターで地下駐車場まで降りて行った。
駐車場まで降りてくると、蓮水さんは迷うことなく足を踏み進めて行く。
私は車が何かも分からないので、彼女の後を黙ってついていくしかない。
彼女が足を止めたのは、1台の赤いスポーツカーが止まっている場所。
そこに止まっていたスポーツカーは、鼻先こそ長いものの…丸みを帯びた形をしていた。
「これですか?」
「そう。趣味からは外れるけどね」
私達は左右に逸れて、それぞれドアを開けて中に収まる。
助手席のドアを開けて中に入り、Zに付いていた物と同じシートに体を収めると、随分と様変わりした内装が目についた。
「ま、暫くの間の我慢…」
心なしか、少しだけ気落ちしていそうな声色でそう言った蓮水さんは、キーを差し込んでエンジンをかける。
この手の車特有の少々煩いエンジン音が駐車場内に反響して車内に入ってきて…運転席の蓮水さんを取り囲むように作られているパネルのメーター類に明かりが灯った。
ゆっくりと駐車場を走って抜けて行き…地上に出て、まだ疎らな一般車の流れに車を混ぜ込ませた頃。
私達は揃って煙草に手を伸ばして、それを咥えて火を付ける。
窓を少し開けると、車内に留まっていた煙は一気に吸いだされていった。
「で…レコードを見る限りでは…他の世界から迷い込んだとされる人がチラホラと出ていますが…まずはそれらの掃除からですか?」
「そう。パラレルキーパーらしい仕事でしょ?基本中の基本」
「そうしている間にドンパチせざる負えなくなるのを何度か見てきましたが…」
「後手後手に回らざる負えないからね。何時だって僕達は後出しジャンケンで負けるのさ」
「…なるほど?」
「それで、最初の処置対象は何処へ向かえばいい?」
「この先のコンビニに居ます。駐車場は無さそうですが…」
「路駐すればいい。すぐ終わらせて次に向かおう」
都会の早朝…
車通りは少ないと言えるだろうが、私の基準からいえば十分な多さだ。
蓮水さんは慣れた様子で車を走らせ、やがて見えてきたコンビニの前に車を止める。
路駐…というか、路肩に用意されていた駐車スペースに車を止めて、車を降りた私達はどちらがと言うまでも無く処置の準備に入った。
私が注射器を持ち、蓮水さんは手帳を取り出す。
レコードキーパーの頃もやった、管理人の基本業務。
スタスタと歩いてコンビニに入って行った私達は、迷うことなく処置対象となる若い女性の下へと歩いて行って、彼女の注意を引いた。
「失礼。少し時間良いかな?」
一歩前に出た蓮水さんが女性を呼び止める。
声に気づいた彼女は、蓮水さんが掲げて見せた手帳を見た途端、目の色を失ってこの世界から一時的に切り離された。
「…っと」
その瞬間、私が女性の首筋に注射器を突き立てて…中身を一気に注ぎ込む。
注ぎ終えると注射器を抜いて、私達は久しぶりの仕事を終えた。
「どうも…貴女は…ああ。偶々迷い込んだだけなのか、駄目だよ?酔うがままに町をふら付いちゃ…こうして別の世界に迷い込むんだから」
注射器を抜いた後も、暫く呆然とした表情でこちらを見つめてくる女性に蓮水さんが声を掛ける。
「目が覚めた頃には、貴女はきっと元の世界に戻ってる。だけどその世界はあと少しで寿命が尽きるんだ。最期に美味しい物でも食べることをお勧めするよ」
その声は彼女に届いている訳も無いのだが…蓮水さんは気にせずに彼女に声をかけ続けた。
「次に行こう」
ひとしきり話終えた蓮水さんは、こちらに振り向いてそう言うと、どこか楽し気な様子でコンビニを後にする。
路肩に止めていた車に戻り、再び車道に車を出した頃、蓮水さんの表情は雲一つなく晴れ渡っていた。
「何か良い事でもありました?」
私は次の処置対象の居場所を調べながら話しかける。
彼女はこちらを見てコクリと頷いた。
「無意味に漂っていた頃から比べれば、例えレコードのための歯車だとしても随分と充実し始めたなと思ってね」
「……蓮水さん、ワーカホリックな所ありますよね」
「何もしなければ死人も同然だから…漂っている頃は、別に不満も何も無かったけど、居間から振り返ってみれば随分と無駄を謳歌していた気がする」
「その無駄が後に生きるものですよ」
「そうかもね」
彼女はそう言って笑うと、私の手元にあるレコードに目を向けた。
「それで?次の対象は何処に居る?」




