4.分水嶺の1つ前 -3-
突如現れた蓮水さんに手を引かれ、私は抵抗することもなく彼女に引っ張られて廊下を進んでいく。
頭の中では色々と蠢くものがあったが、それらは全て混ざり合って…混乱の極致に達していた。
「1803号室に戻るよ。外に出ると、否応にもレコードに影響を与えてしまう」
蓮水さんは私が吸っていた煙草を咥えたままそう言うと、先程、この世界の蓮水さんを射殺した現場の扉を開いて中に入って行く。
私は何が何やら、頭が纏まり切らないまま…彼女に引っ張られるがままに部屋の中に入ると、中の様子を見て驚きを浮かべていた顔を更にオーバーな表情に変えた。
「僕としてはもうどうでも良いんだけど…紀子には説明しないとダメだよね」
蓮水さんは私の驚く顔を見てニヤリと笑って見せると、咥えていた…まだ長く吸えそうな煙草を灰皿にもみ消した。
そして…本来であれば、この世界の蓮水さんの死体が転がっているはずのベッドの上に腰かける。
…この部屋は、さっき私が処置した時と様子が一変していて…この世界の蓮水さんは何処にもいなければ…周囲に散乱していた品々も綺麗サッパリ無くなっていた。
「蓮水さん…色々と聞きたいことはあるんですが…この部屋に居た蓮水さんは何処へ…消えたんですか?さっき確かにこの手で…」
私は化粧台に寄り掛かりながら問いかける。
何時も通り、余裕を崩さず…人によっては嘲笑とも取られそうな微笑を浮かべた蓮水さんは、私の顔をじっと見つめてから口を開いた。
「混乱してるね」
答えは直ぐに言わずに、ただその一言だけ。
私は曖昧な笑みを浮かべながら、彼女の次の言葉を待ち続けた。
「格好が変わってるのに気づかないなんて、よっぽど余裕が無くなってる。それもそっかって思うけど…」
私が何も言わないのを見てからそう言った蓮水さんは、両手を広げて見せた。
その言葉を受けて、もう一度蓮水さんの事をじっと見まわした私は、あっと声を上げる。
目の前に居た蓮水さんは、髪色が黒から白に変わった以外は、先程この部屋に居た…この世界の蓮水さんと同じ格好をしていたからだ。
私と同じ意匠の浴衣ではなく…このホテルの備品と思われる白い…薄手の浴衣。
さらに、足元を見れば…浴衣にに使わないスニーカーではなく、簡易的なスリッパを履いていた。
「僕はさっき君が撃った僕であると同時に、さっき日向で君と共々ハチの巣にされた僕でもある」
「えっ…?…それは、有り得ないんじゃ…だって、さっきの蓮水さんは…それに…」
彼女のカミングアウトに目を見開いた私は、たどたどしく言い返す。
だが、その返答すら、彼女の思惑通りの展開となったようで、彼女はやっぱり…と言いたげな笑みを浮かべて私の目をじっと見据えた。
「それに、僕の死因は自殺。そうじゃなかったかって?」
「はい…自殺だって…さっきの蓮水さんは、その最中にレコードを違反したみたいですけど…そもそも、どうして私が8軸に居るのかも…レコードからの指示が無いのかも…すいません。頭の中の整理が付かなくて…」
私は頭を抑えながらそう言うと、蓮水さんは様子を変えずに私の方に目を向けていた。
「とりあえず、座って落ち着こう。その浴衣の内側に仕舞ったモノも邪魔でしょ?身軽になって良いよ。今の君は"レコードの管理人"なのだから」
蓮水さんにそう言われた私は小さく頷くと、身に着けていた銃器類やレコードを取り払ってベッドの上に置くと、蓮水さんの正面にあった椅子に座った。
「さて…ここからは真面目な話をしよう」
椅子に座ると同時に、蓮水さんの表情からは笑みが徐々に消えて行く。
それに呼応するかのように、私の表情も少しずつ消えて行った。
「確かに紀子の言う通り、僕の最期は自殺だよ。ちゃんと"そっちも"覚えてる。君がさっき手にした拳銃で、あの時の僕は自分を殺せたからね」
一瞬の静寂ののちに、蓮水さんはゆっくりと語り始めた。
「そしてさっき…君に処置された時の記憶も残ってる。これがどういうカラクリなのかはわからないけど、事実として僕は軸の世界を2度経験してるんだ」
「……それって…アリスさん達のような…」
「そう。彼らと同じじゃないかな。彼らは3軸から6軸…幅広い世界を経験しているけれど、生憎僕はこの世界にしか居ない人間だから、再度この世界に"再誕"して…最期を迎えたのかもね」
「記憶が残ってるって言ってましたけど…その。この世界で過ごしている最中も…ですか?」
「それはちょっと歪かもね。全てが終わって、今こうして紀子と話していると、今回の世界での過去の出来事もちゃんと覚えてるけれど…レコードに従ってる間は、何処かこう靄がかかったかのような違和感があったのを覚えてる」
蓮水さんはそう言うと、ちょっとした身振り手振りを加え始めた。
「どうだろう?僕の最古の記憶…初回の軸の世界が1冊目の本…日記なら…さっきまでの世界は2冊目の日記…後から読むのは簡単だけれど、書いているときは色々あって直近の内容しか細かく思い出せない…みたいな?」
「なるほど…でも、どうして蓮水さんがそうなって、私がこの世界に居るんです?それも…レコードの管理人として」
「紀子が本来"存在しない人間"だからだろう。だから、日向で永浦姉妹に殺された時…僕は2回目の軸の世界に表面上は"真っ新な"状態で送られ…紀子は僕が僕として復活するときに合わせた場所に飛ばされた…そう考えてる」
私の前で、蓮水さんは少々自信ありげな様子でそう言うと、私がベッドに置いたレコードを手に取った。
「レコードの管理人に戻ったのは、きっとアリス達が何か手心を加えたからだろう。僕のレコードは少し変わっていたけど…ああ、紀子のも変わってる」
そう言って、彼女はレコードの最後のページの"一つ前"のページを開いて私に見せてくる。
そこには、不思議な…電子回路?のような図柄の赤い印が浮かんでいた。
「こんなのが…気づきませんでした」
「まぁ、紀子はまだ目が覚めたばかりだろうし…これは"マスターピース"と呼ばれる証でね…扱いとしては、今までのような"レコードから外れた者"にはならない」
「……随分と、大層な証な気がするのですが…」
「別の呼び方としては"ジョーカー"とか"マスターキー"とか言われる事があるみたい。こんな呼ばれ方をするんだから、まぁ特殊なのは察せるよね」
表情を変えず、それでも、どこか楽し気な声色で話す蓮水さん。
薄明かりに背後から照らされた彼女の顔は、所々が影になって暗く見え…対面に居る私から見ると、時折不気味な顔にも見えた。
今行われている"マスターピース"の話。
まだ、話し始めて間もないのだが…彼女の声色から察するに、私達にマイナスに作用することは無さそうだという事が分かるのだが…
「この証が付けば…今までと何が変わるんですか?」
私は何か裏がありそうな気がして、恐る恐る尋ねた。
そんな私を見て、蓮水さんは苦笑いを浮かべると、首を小さく左右に振る。
「レコードを持った場合の"全ての立場"になることが出来ること…そして、軸や可能性を問わない何処かの世界で"自分"を演じる者が居ない限り…一時的に記憶を凍結してなり替わることが出来る」
そして、返ってきた答えを聞いた私は、今の私が置かれた状況全てを察することが出来た気がする。
"マスターピース"
そういった存在だと言われてしまえば…私が"レコードキーパー"として8軸の世界に存在している理由も良く分かる。
「さっきまでの僕は"他の誰か"が演じるはずだったこの世界の僕の代わりを務めてきた。こうやって成り替わった存在の最期は、必ずレコード違反で終わりを告げる」
「じゃぁ…今の私は…レコードキーパーとしてこの世界に"召喚"されたと…?」
「厳密には管理人としてね。レコードキーパーでもあり、ポテンシャルキーパーでもあり…そしてパラレルキーパーでもあるんだ。」
「全ての役職を…?」
「そう。レコードから今現在、何として扱われるかは最後のページから操作できたよ」
蓮水さんはそう言って私のレコードの最後のページを開いて見せてくれる。
名前などのプロフィールの項目とは別に、色だけが塗られた部分があった。
今は緑…だからレコードキーパーという事なのだろう…
「そして紀子の場合は余程の例外でない限り…一人だけ…もしこれから、別の世界で紀子が生まれてくるのだとしたら宛がわれるはずだ…」
蓮水さんの言葉を聞きながら、私は何気なく過去に遭った出来事の事を思い浮かべていた。
"「……もしかして、私?ちょっと、待って、何が何なのか!……ああ!…あぁ…そういうこと…」"
それは、ついこの前に飛ばされた…私が良く知るレナの創り出した世界で出会った私の事。
"「待って、打たないで!…一つだけ貴女にいう事があるの」"
その時の…対面した私は、忍び込んだ私の事を分かり切っていた。
"「…その選択に後悔は無い?」"
"「知ってるも何も…でも、良く分かった。私は正しかったんだって!楽しかった!この世界も!」"
"「頑張ってね」"
そんな、過去に出会った"自分"がフラッシュバックしてきた私は、目を大きく見開いて蓮水さんの方を見つめている。
彼女も、そんな私を見て"マスターピース"が何なのかを理解出来た事が分かったのだろう。
ニヤリと笑うと、彼女は私のレコードを置いて…そして、彼女のレコードを取り出した。
「アリス達は既にこうなっていたから…様々な世界のレコードキーパーを務められた。そして、レコードから外れた存在にもなれた…その時々で何もかもが違ったわけだ」
「教えられないって言ってたのは…」
「こうなる手立て…トリガーとなる出来事も無いからだろう。レコードから外れた存在をロールプレイしない限り…他の人から見た彼らはただの1人のレコードキーパーだったから」
「だから"察しろ"ってわけ…分かるわけないですよね」
「全くだよ」
私達はそう言い合って笑う。
レコードを持ちながら…レコードの外側に生きていたのは既に過去の出来事になった今。
私達は肩の荷が下りた感じの、不思議な感覚に陥っていた。
もうレナやレミに追いかけまわされる事も無いだろう。
パラレルキーパーすらも敵に回していた私達の存在は、綺麗サッパリ無くなったわけだ。
再び私達はレコードの管理下に置かれる。
それが紛れもない事実…には違い無さそうなのだが…
「でも、再びレコードの指示に従う日々…って訳でも無さそうですよね」
私はポツリと呟くように言う。
蓮水さんは笑みを少しだけ消すと、コクリと頷いた。
「何時か言ってくれた目線とか立場の話じゃないですけど、じゃぁここから先の私達が、3軸の…レナと仕事を出来るのかとか…前田さんや小野寺さんのようなパラレルキーパーと一緒に仕事をするのかとかってなると、きっとそうじゃない気がするんですけど」
さらに私は続けて言うと、蓮水さんは表情を変えないまま頷いてくれる。
「そこはまだ分かってないから僕も謎のままだけど…そこなんだ。問題は」
蓮水さんはそう言うと、彼女のレコードを開いてページを捲り始めた。
「レコードの管理人でいる限り…僕達にはこれまでの膨大な過去の記憶が残ってる。そして…彼らは、例えば一誠とかね?その辺は僕達と共に居るならば必然的に、今の僕達から見た"過去"の僕達と共に仕事をしている事になるよね?レコードの管理人たる、"過去の自分"とは入れ替われないんだし」
蓮水さんはそう言いながら、レコードに何かを書き込み始めた。
「つまり…これからレナとかに会ったとしても"既に別れた後の"レナにしか会うことは無いと。そう考えるのが自然ですよね」
「そう…"マスターピース"は飽くまでも"何処かの世界の、無垢な自分の代わりを務められる"だけだから…レコードを持った後の記憶はその人の主観で一直線じゃないとおかしいよね」
そう言いながら、レコードに何かが浮かんできたらしい。
蓮水さんはレコードを私に見せながらこう言った。
「"一歩進んだ世界"とやらを見てみよう。紀子が居た3軸で何かが起きてるみたいだし」
そう言って私に見せられたレコードのページには、"パラレルキーパー"の立場になっていた蓮水さんは、私を"部下"として3軸に連れていく旨が記載されていた。




