4.分水嶺の1つ前 -1-
ガラスを割って部屋に飛び込んできた人影を見て、私達は油断していた自分を呪った。
私達の知っている顔の中で、派手な登場を見せる人物は相場が決まっている。
飛び込んできたのは、夏服のセーラー服に身を包んだ2人組の少女…
一方は…私が知っている彼女であれば絶対に持たないであろう大柄な機関銃を肩から下げて、その銃口を感情を感じさせない双眼と共にこちらに向けていて…
もう一方は何時か見たことがある散弾銃を手にして、その銃口をこちらに向けていた。
「……」
「……」
私と蓮水さんはこんな状況に陥っても、まだ先程の初瀬さんとの会話が頭に残っていて…どこかフワフワした感覚を残したまま、彼女と対峙する。
彼らの言っていることが正しければ、彼女に、レナに追われてどんな目に遭おうが…私達は消滅することが無く…どこかの世界で目が覚めるそうだから…
…とは言え、あんな不気味で不思議な雰囲気を繕っていた彼らの話を鵜呑みにする私達でも無かったから、今この状況を使って早速それを証明する…のはリスクが大きすぎる。
リスクが大きすぎるとはいえ…それを拒否できるような状況にも見えない。
つまり……何はともあれ、今の状況はそれなりに大ピンチと言えた。
「随分と手間が掛かった割には、何の変哲もない世界に居るのね」
私達に物々しい機関銃の銃口を向けたレナは、ボソッと呟くように言う。
今まで会って来た、どんなレナよりも感情を押し殺しているらしいが…何が原因なのかは分からない。
「どうも…久しぶりなのかな?僕達はそうでも無いんだけどね」
蓮水さんは、私が感じたことを知ってか知らずか、久しぶりに相手を嘲笑うかのような…独特な笑みと口調でレナに言葉を投げかける。
そんな彼女の口調と態度はレミの怒りを買ったらしく、次の瞬間には蓮水さんの頭は、レミの放つ散弾銃によってポップコーンのように弾けた。
「ひっ!……」
久しぶりに間近で人が死ぬ…それもそうそうあることもない死に方を目にしてしまった私は、思わず悲鳴を上げて縮こまる。
蓮水さんは直ぐに再生して息を吹き返したが、先程まで浮かべていた表情は消え失せて…話の通じ無さそうな2人をじっと見つめた。
「決まったことがあって、それを伝えに来ただけ。黙って聞いてもらえる?」
蓮水さんが再生した頃合いを見計らって、ポツリとレナが口を開く。
それと同時に、銃を握った手が少し動いたような気がした。
「指令が降りた。"パラレルキーパー"からの伝言よ」
彼女は私達の反応を待つまでもなく、一方的に事を進めていく。
「レコードが感知できない存在が確認され次第、その世界は切り捨てて良い…」
そう言いながら、彼女は引き金に掛けた指に力を込める。
その直後、眩い閃光が一瞬光った後…私達の意識は彼方へと飛ばされた。
・
・
「……」
次に私が目を開けたのは、真っ暗な部屋の中だった。
長毛のカーペットの上に寝ころんでいて…むくりと状態を起こすと、ボンヤリと体の節々が筋肉痛のような痛みを発した。
意識はハッキリとしていて…ここで目を覚ます前の光景はついさっきの出来事ように思い出せる。
レナが、手にした大きな機関銃の引き金を引き…私達は木端微塵に撃ち砕かれたのだ。
私はそれを即座に頭に思い浮かべると、微妙に痛みが走る体を触って、本当に自分が五体満足なのかを確かめた。
「ここは…」
どれだけの間意識を失っていたのかは…恐らく考えるだけ無駄だろう。
私は真っ暗闇に慣れてきた視界からココが何処なのかを探り始めた。
近くに蓮水さんの姿は無い…部屋も殺風景で家具も何もなく…分かることはすりガラスの窓が1つあることと、扉が1つあること…私が座っている床には真っ赤なカーペットが敷かれているという事くらいだった。
すりガラスの窓からは…微かに光が入ってきているのだが…恐らく窓の外を見る限り、今は夜の時間帯で間違いなさそうだ。
静寂に包まれているが、ココが何処か人里離れた場所にあるのか…それとも、単純に人一人いない真夜中なのか…そこまでは分からなかった。
周囲を見回し終えた私は、鈍い痛みを発する体を動かしてカーペットの上に立ち上がった。
そこでようやく自分の格好に意識が向く。
足は裸足だが…そこから上は、記憶にある先程の格好と差異は無いようだった。
身を包み込む衣服は、蓮水さん特製?の黒インナーと浴衣。
それに仕舞いこんでいるのは、レコードに銃火器類。
レコードはこの暗さで見えるはずも無かったが…銃火器類は使えそう。
兎に角持ち物が変わらないのであれば、一先ずは安心できる。
私はそっと拳銃を取り出すと、安全装置を解除して撃鉄を起こし、カシャン!とスライドを引いた。
さっきまでの私なら絶対にしないだろうが…訳の分からない状況に陥っている今なら遠慮する必要はないだろう。
とっくの昔に私はレコードの管理人から外れていて…
ついさっきポテンシャルキーパーはおろか、パラレルキーパーにすら敵とみなされた。
そんな状況で、私一人しか居ないのであれば…例え麻酔銃だったとしても拳銃を出して良いはずだ。
寧ろ出さなければ、平和ボケもここまで極まったかと言いたくもなる。
私はまず、窓の方へと近づいて…そっと窓を開けた。
すりガラスの窓は二重窓になっていて…すりガラスの窓を開けると、奥に普通のガラス窓が出て来て…その奥には外の景色が見える。
「……どこなの?」
見えたのは見覚えのない景色だった。
何処か丘の上だろうか?今いる場所は小高い位置にある家…というよりもホテルのような場所で、見晴らしが良く…眼下には真っ暗闇に染まり切った海が見える。
その海岸沿いを無機質な街灯が照らしていて…その明かりの周囲には疎らに建つ家が何件か見えていた。
私の記憶には、こんな場所は微塵も覚えがない。
海沿いの…不思議な田舎町の丘の上?
それが窓の外を見た最初の印象だった。
窓の外を見て更に今の状況への謎が深まったところで、私は扉の方へと歩いていく。
気づけば、私は体が微かに震え…心臓が早鐘を打ち出していた。
どれだけの時が経ったか何て知ったことではないが…
私はきっと精神的に一切成長していない。
何時だって、体で感じる感覚はレコードキーパーの頃のまま…
1970年代後半に時間を巻き戻した後の3軸を生きていた頃の、永い永い延長戦を何度も繰り返しているよう…
そんなのだから、こんな状況に置かれただけでも叫びたいくらいだし…
真っ暗闇の中を、見ず知らずの場所を歩こうとしているのだから、多少の恐怖心があっても自然な事だろう。
私は扉のノブをそっと回して、ゆっくりと扉を開けた。
重厚感のある扉は変な音も発さず、滑らかな動きで開き…薄暗い明かりに照らされた廊下が見えてくる。
どうやら廊下は最低限の明かりが付いているらしい。
扉を完全に開けた私は、廊下から差し込んだ光をアテにしてもう一度部屋を見回すと、部屋の明かりのスイッチを扉の近くに見つけられた。
パチ…と明かりを付けると、部屋に明かりが灯り…殺風景な部屋が色付き始める。
真っ赤な床に白い壁…家具は何も置かれておらず…壁には汚れ一つ無い。
「……」
明かりが付いたことで、ほんの少し恐怖心が和らいだ私は、廊下を見回してココがホテルのような作りをした建物だという事を確認してから部屋に戻った。
扉は開けたまま…明かりがあるのならレコードを見る方が先決だ。
分厚いカーペットの上に座り込んで、手にしていた拳銃を横に置き、浴衣の中からレコードを取り出して開く。
真っ白なレコードを開いて適当なページを開くと、私がペン先でページを突くより先にレコードから何かの文字が浮かび上がって来た。
"以下の者、レコードに背いたとして処置されたし"
浮かび上がって来たのは、随分と懐かしく感じる"レコード違反者"が出た時に表示される文面。
だが、今私が手にしているのは真っ白いレコード…この文面が出てくるのは、この色のレコードでは無いはずだ。
その文面を見た私は、声を出さずに目を見開いて、驚きの表情のまま次に何が表示されるかを待ち続けた。
"対象者:時任蓮水 現在地:ホテルニューオーシャン東京18階1803号室 処置:殺害"
そして表示された内容を見て、私は更に目を見開く。
言葉を失い、唖然とした私は、迷うことなくページを捲ってそこにペンを走らせた。
"今は何時?"
そう殴り書きすると、レコードは直ぐに答えを返してくる。
"1958年6月3日午前2時46分…"
"ここは8軸?"
"肯定"
時と世界はこれで分かった。
私は先程までとは全く別の意味で早鐘を打ち始めた心臓のあたりを抑えながら、気持ちを落ち着かせる。
何がどうして8軸に居るのかサッパリわからないが…
真っ白のレコードを持ちながら、私がレコードキーパーとして扱われるのはもっと解せなかった。
だから私は、根本的な問いかけをレコードに書き込む。
"私は何者?"
短く書き込まれたその文字は、直ぐにレコードに沈んでいって、そして直ぐに真っ赤な文字が浮かび上がって来た。
私は直ぐに浮かび上がってきた文字…短く刻まれた2文字を見て、更に驚くことになる。
"不明"
その文字を見た瞬間、私の頭は混乱の極致に達した。




