3.近似世界の番人 -Last-
思いがけない答えに、私は当然として蓮水さんまでもが言葉を失った。
確か…目の前にいる有栖さんと昭三さんは…私が居た3軸から6軸までに存在したレコードキーパーなはずだ。
つまり…1人…2人…3人…4人…最低でも4人の有栖さんが居なければならない。
なのに…目の前の有栖さんは何て言っただろう?
"全てを経験している"と言った…その言葉を裏もなく真っ直ぐ受け取るのならば…私がレコードキーパー時代に関わっていた有栖さんは目の前の有栖さんだけど…同時に別の軸の世界で生きていた経験を持つ…という事に他ならない。
考えれば考える程、簡単な答えなのに困惑の色が強くなっていった。
常識では別の世界の自分は別人なのだ…例え見た目が同じでも、微妙に経験の差異が出る。
2人のレナだったり…黒い髪と白い髪の前田さんだったり…同じとはいえ、性格からして微妙に異なるものなのに…
目の前で、困惑する表情を浮かべる私達を見つめる2人の表情は、さも当然だと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「…言ってる意味が分からないけど、説明してくれって言ったら説明してくれる?」
蓮水さんは頭に右手をやりながらそう言った。
有栖さんはクスッと笑って頷いて見せる。
「良いけれど、蓮水が彼女を連れて何をやってるのかを教えてくれたらね…紀子ちゃんがもう蓮水の傍に居るのはちょっと意外でさ」
有栖さんの言葉を受けて、蓮水さんが私の方に顔を向ける。
私は蓮水さんと有栖さんの顔を見比べてから、首を傾げて見せた。
「良いよ。話さなかったところで進まなさそうだし」
蓮水さんはそう言うと、ソファの背もたれに寄り掛かって足を組み、楽な姿勢を作る。
「紀子の事だけど、彼女のレコード違反を処置したのは君達で良いんだろう?」
「ああ、俺がやった。地元の高校生がバスん中で違反したってんでな」
「2人が1月足らずで消えた理由は後で聞くとして…紀子は結局何年でこうなったんだっけ?」
「え?…ああ、その。2年半位だったと思います。3軸が2度時間逆行した後の1978年の夏です。私が消えたのは」
蓮水さんに話を振られた私は、何時も見ていた面々の前ながらも少し緊張気味に話し始める。
「何故か来ていたポテンシャルキーパーに処置されたんです。これは後で知ったことですが、私の父は可能性世界にしか居ない人間で、母は軸の世界にしか居ない人間…本来であれば絶対に繋がらない2人の子供だったそうで、ポテンシャルキーパーが特例として3軸の世界に来て、そしてレコードキーパーをしていた私を"処置"した…と」
「紀子とはそれからの付き合いでね。急に僕の前に現れたんだ。本当に、予兆も何もなく」
私が説明し終えると、直ぐに蓮水さんがそれからの出来事を語ってくれる。
それを聞いていた2人は、興味深そうに耳を傾けてくれていた。
「それからは僕と同じ存在さ。レコードが白くなって…ただ、漂うだけの存在」
「なるほど?…それから?」
「色々と足掻いてはいるよ?…ただ、こうなってから相変わらず僕の存在が一体何なのかは分からなくてね。分からない中で適当に当てを付けてはそれに向けて動いてる」
蓮水さんはそう言うと、両手を広げて降参といったようなポーズを取ってお道化て見せた。
「最近は、彼女…紀子の父親がどうして3軸に紛れ込めたのかを調べててね。さっきまで彼女の父親が居たであろう可能性世界を調べて回っていたんだ」
「…どうしてそれを調べてたのさ」
「何となく、レコードにすら感知されない何かがあるなら、僕達にも応用が出来るかと思ってね」
「応用してレコードから完全に姿を消すって?」
「そう。レコードの手枷から離れた時…僕は"天国"って表現してるけど、そんな所に行けるんじゃないかって思ってる」
「何か随分と話が吹っ飛んでるぞ蓮水…天国って」
「例えだよ例え…レコードの手枷から離れた先に僕が見る景色だ。行きつく世界かもしれない…レコードを持ちながら、管理人じゃなくなったとなれば、次に来るのはきっとその境地だと思ってる」
蓮水さんは、つい最近3軸の喫茶店で話してくれた事とほぼ同じ内容を2人に言うと「どう?」と言いたげな顔をして2人の方に目を向ける。
有栖さんと昭三さんは互いに顔を見合わせると、少しだけ首を傾げて見せた。
「次はそっちの番だと言いたいんだけど」
蓮水さんが、直ぐに反応を見せない2人に向かってそう言うと、昭三さんの方がこちらに目を向けた。
眼鏡越しの視線が私達2人に突き刺さる。
「お前の頭ん中はどうなってるんだって思ってな」
「あら、話してることは当たりだった?」
「遠からずと言っておいてやる。そこまで辿り着いたなら大したもんよ」
「過分な評価だね。そして…君達が上から見てくるという事は、僕と紀子が目指す先のことを知ってると見ても良いのかな」
2人の会話は、無機質な口調で繰り広げられた。
私はただただ黙って聞いているだけ…やがて昭三さんが苦笑いを浮かべて首を振った。
「どうだか…蓮水の言う"天国"に居るかって言われればなぁ?アリス。ちょっと違うよな」
「そうかしら?人それぞれなんじゃない?」
「後悔はしていないが…かといってこれだけでは物足りない…か。ま、俺らは今そんなところに居るわけよ」
「そんなところにでも居れるだけ、貴方達2人は進んでるよ。何処かの世界の千尋をレコードの管理人から外して…僕は彼女にしてやられたのに」
「それは…あの子が条件を満たしたからな。蓮水も条件を満たしたんだろう」
「あのね…説明も無しに放り込まれてさ、管理する側だったのに、今ではレコードに悪影響を与えるお尋ね者…色々ありすぎて…そして永い間を過ごしすぎて…兎に角、僕の頭じゃ処理しきれない…」
蓮水さんは、何時もの余裕そうな態度を少しだけ崩して言った。
それを見た2人…そのうち、有栖さんの方が蓮水を見てクスッと笑うとゆっくりと口を開く。
「初めから説明出来るか分からないけれど…アタシ達が知ってる事を教えてあげる」
そう言った彼女は、口調と合わない表情を浮かべていて、どう見ても悪役のように見えた。
「頼むよ」
「でも、良い?きっとこれは"人それぞれ"の感じ方だから、正解も不正解も無いって事を理解してね?」
目だけが笑っていない優しい表情…これから怖い話でも始まるかのような、何とも言えないオーラを纏っている。
それでも、私と蓮水さんは有栖さんの言葉に耳を傾けるほかなかった。
「レコードを持つ人にも"賞味期限"みたいなものがあるでしょ?レコードキーパーは…凍結睡眠期があるから"期限切れ"になることは少ないけど」
「ああ…何故そこから?」
「大事な前提よ。ポテンシャルキーパーとパラレルキーパーは"期限切れ"になった者はレコードから罷免されて"時空の狭間"へと飛ばされる」
「……話が見えてこないな」
「蓮水。アタシ達は"期限切れ"の前に"あること"に気づいたからこうなったの」
「あること?」
蓮水さんが聞き返すと、有栖さんはコクリと頷いた。
「それは自分で考えて?」
「……紀子はどうなる?」
「一旦、紀子ちゃんのことは置いておいて」
「分かった…」
「でね?そうなったらアタシのような"先にレコードから外れた"存在が赴いて行って"レコードから切り離す"の…アタシ達の役目はそれだった。蓮水にもその役目を担う日はきっと来るはずよ」
有栖さんはそう言って、黙々と話し続ける。
「"レコードに感知されない"存在の役目はそれだけ…当然"レコードの管理人"からすれば厄介極まりない存在だから追われる立場になるのも分かるけど、どうせ彼らはアタシ達を完全に消すことなんて出来ないんだもの。何をされても…例え世界ごと消されても、アタシ達は何事もなかったかのように別の世界で目を覚ますわ」
彼女の発言には、いちいち驚かされてばかりだ。
私と蓮水さんは、妙な迫力を持つ彼女の言葉を待ち続けた。
「そして、世界を飛び回って行く間に…自分の中の何かが変わった事に気づくでしょう…それは個人によって違うけど…きっと蓮水の場合はさっき言ってた"天国"に辿り着ける。蓮水のさっきの言葉は、きっと予想なのだろうけど…当たらずしも遠からず、と言った所でしょうね」
有栖さんはそこまで言い切ると、ふーっと一つ溜息を付く
「……これでいい?」
「全然…君が全ての軸を経験している答えが出てない」
「アタシ達に起きた"変化"のお蔭よ。そうとしか言えないわ」
「ありがとう。サッパリ分からなかった……」
蓮水さんはそう言い返すと、2人の顔を見比べる。
「こうなったのはレコードの管理人から一歩進んだだけで、僕は今そこに居る。そこから更に一歩進んだのは君達だ?それで良い?」
「ええ。合ってる」
「じゃぁ、紀子の事はどういう事?君達の話には合致しない存在だと思うけど」
「言ったでしょ。正解も不正解も無いって。ただ…聞いている限り、イレギュラーの存在ながらもレコードを持ててしまったんでしょう?」
「ああ」
「なら…他のレコードの管理人達とは少し違うところが合ったんじゃない?…無意識の内にに何かが出来たとか」
有栖さんはそう言って私の方に目を向けてくる。
「え?…そう…ですかね?」
私は何も言い返せずに、曖昧な表情を浮かべて見せた。
思い立る節が…無いわけでは無い。
それは、助けを求めるような視線を向けた蓮水さんにとっても同じことだったのだろう。
私と同じような表情を浮かべてこちらに目を向けた時点で、私達の間では何かが通じ合った。
「図星かな?」
有栖さんはそう言ってニコリと笑って見せると、ふと何かに気が付いたように眉を上げた。
「さて…"久しぶり"に可能性世界に来たけれど、どうやら長居は出来ないようね?」
「ああ…そうらしい」
何かに気づいた2人は、互いに言葉を交わすとスッとソファから立ち上がった。
私達は、彼らが何に気づいたのか…何故お開きの様相を呈しているのかがサッパリわからない。
そんな私達を置いてきぼりにしたまま、2人は居間の扉に手をかけた。
「俺から最後にもう一つだけ」
立ち去る間際。
昭三さんがこちらに振り返る。
「軸の世界がどうして始祖の世界からあんなにも離れた時代なんだと思う?」
「まだまだレコードの"管理人"気分が抜けていないなら、変えられるところはまだあるでしょ?」
昭三さんの言葉の後で、有栖さんがヒョイと顔を出してそう言った。
「これくらいで蓮水なら十分でしょう?…それじゃ、また…何処かで」
そして、2人は私達の反応を待つことなくそう言い捨てて家を出て行く。
一瞬、雨音がハッキリと聞こえる程に静寂に包まれた後で、家の外に止められていた初瀬さんの車のエンジン音が聞こえてきた。
「……」
「……」
「……」
「……」
私達はどちらが口を開くでもなく黙り続ける。
その静寂が破られたのは、部屋に付けられていた時計が14時を告げる電子音を鳴らしてからだった。
「生まれ変わった気分だと言えば良いのかな?」
「どうでしょう…話が広がりすぎて…実感が湧かないですが」
「ああ…」
「これからどうします?この世界は軸から遠い見たいですし…」
「少し時間をくれないかな?…何をすればいいかを言われた気がするんだけど、踏ん切りが付かなくて」
「あ…それ、私も同じ事言いたかったです」
力が抜けた会話を重ねる私達。
「!!!」
そしてその空気を一変させるガラスが砕け散った音。
「なっ…」
「ああ…」
私達は、突如として空気を一変させた相手を見止めて、すっかり油断しきっていた事を呪った。




