3.近似世界の番人 -3-
8軸に近い可能性世界の勝神威の街に出る。
8軸は、蓮水さんが生きていた世界…私が住んでいた3軸の世界や、前田さんや小野寺さんが生きた6軸の世界とは明らかに違っていた。
別の8軸の可能性世界へと行った時には時代遅れだと感じたが…
実際その通りで、私やレナが見たのなら、周囲の人々や車、建物を見回してもここが1990年代始めの世界だとは思わないだろう。
蓮水さんの運転する車に乗って、私達は会話も無く、目的地まで延々と煙草を吹かし続ける。
その最中…この昭和染みた景色をもう一度見回してみると、時代遅れという言葉だけでは言い表せない何かがあるように感じた。
道行く車は、今乗っている車がそんなに違和感なく溶け込める程に古く…
建物は小綺麗さが無く、私が居た日向のような田舎でよく見る家が立ち並ぶ。
道行く人々は、それこそ昔のテレビ番組に出てくるような格好をしていて…髪型もレナの所の部長さんのような髪型をしている女の人が何人か目についた。
上辺だけをサラリと見てみると、3軸よりも最低10年は遅れた世界に見える。
だけども、そこから私が気になったことがあるとするならば、更に古い時代の物があったり…逆にこの世界から鑑みるに不自然なほどに先進的な物が普通に存在することだった。
路上を行く人々の中には、蓮水さんのような着物姿の人がチラホラと目に入る。
絶対数は多いとは言えないが、かといって"珍しい"部類でもない。
私が居た世界なら、着物姿なんて年上の少々落ち着いた雰囲気の女性くらいしか着ていなかったか、京都にでも行かないと見られないように思えるのだが…どうやらこの世界では私服として一定数の需要があるように見えた。
"着物"は分かりやすいまでの"過去"を示すアイコンならば、"未来"を示すアイコンはちょっと分かりづらいかもしれない。
特に、私みたいな2010年代を生きるはずだった若者ならば…
それぞれにLED?が無数に埋め込まれた薄型の信号機やスマートなデザインになって白色光を放つ街灯…交差点の四方に置かれた広告看板が薄い画面になっていて、一定時間で置き換わる光景…
これは、私にとっては違和感が無い物だ。
だけど、よくよく考えてみれば、こんな古臭い世界には奇妙な物に思えた。
こんなものが出来るなら、建物も車もこんな形はしていないだろう。
服装とか…髪型はまぁ…ボタンを掛け違えばこうなりそうなものだと思うが…
だが、これでこの世界を見る目がちょっと変わった気がする。
ただの"時代遅れな世界"から"過去と未来が入り混じった歪な世界"に…
こんな歪な世界…レコードに異常が起きた結果のように思えた。
「意外と遠いんですね」
煙草を吸いながら十分すぎる程に景色を眺めていた私は、周囲に建物が見えなくなった頃にポツリと言った。
蓮水さんは一瞬こちらに視線を向けて、それから小さく頷く。
「街外れにあるからね。10分やそこらで着く場所じゃないの」
「こっち側に来たのは初めてです。まぁ、私が来るような場所でもないですけど」
「確かに、君の生活圏からは外れてる…」
「でも、こんな場所に工場があるんですね。長閑と言うか…まだ畑が出てくる方がそれっぽく感じますが」
「確かに…工場って言っても車の修理工場のようなものだからね。ちょっと洒落た感じで、秘密基地って感じの」
彼女はそう言って口元を笑わせる。
今から行く先に、蓮水さんはそれなりに好印象を持っているように見えた。
「千尋や一誠を8軸系の世界に連れて来ると、彼らは落ち着かないものだけど…君はそうじゃないんだね」
「どうでしょう?前来た時は古い時代だなって思ってましたけど、よく見れば私がレコードキーパーになる前の時代のものもあったりして…変な感じには思えます」
「そう、過去のものだけじゃないらしい…僕にとってはそんなに違和感は無いんだけどね」
「でしょうね」
「彼らからすれば、この世界はチグハグに見えて…レコードに異常があるように思うんだってさ」
「あ…それは私も感じました…」
「異常は無いんだけどね。僕にとってはこれが普通」
私は小さく頷くと、短くなった煙草を取って灰皿に捨てる。
「でも…色んな世界を見て回っても、3軸~7軸みたいな世界が普通なのかも…それ以外の、他の世界はそれぞれが大きく異なってるし」
蓮水さんはそう言ってギアを一段下げた。
エンジンが少々唸りを上げ、それと同時に車の速度が落ちていく。
周囲には緑色の景色しか無く、ただの直線道路なのでそれは不思議なことに思えた。
「…?」
私は不思議に思ってフロントガラスの先の光景をもう一度隅々まで見回す。
すると、木々に囲まれた道の先…左側に微かに木々が欠けた空間があるような気がした。
それは直ぐに確信に変わる。
奥まったところに立った看板が急に見えてきて、蓮水さんはその看板が立つ建物目掛けて速度を落としていた。
もう1度…そしてもう1度ギアを下げ…ウィンカーを左に上げて敷地内に入ると、綺麗に舗装された駐車場のような場所に入って行く。
駐車場の奥には、お洒落な倉庫のような建物が見えた。
「ここですか」
駐車場のド真ん中で車が止まり、エンジンが切れたと同時に私が尋ねる。
蓮水さんは小さく頷くと、咥えていた煙草を灰皿に捨てて車外へと出て行った。
「レコードを見ればここのポテンシャルキーパーは分かるものだけど、パラレルキーパーは誰が居るのか分からない…と思うでしょ?」
車を出て蓮水さんの元へ近づくと、彼女はそう言いながら看板を指さした。
"トワイライト・インターナショナル"…古風な書体のカタカナで書かれている。
「だけど、レコードの管理人は世界に"根"を張る事が出来る…僕もそうだったし…今は張って来た根を使って色々な世界を漂流してる」
「…なるほど?」
「だから、この世界にこの工場があるってことが分かってちょっとホッとした。ここは3軸のレコードキーパーである中森琴が張った根っこで、俊哲がそれを色々な世界で使いまわしてるのさ」
彼女はそう言いながら、倉庫の大きなシャッター横に付けられた小さな玄関口に歩いていった。
「ここがあるってことは、芹沢さんがここを見ているかも知れないと?」
私は彼女の後ろを付いて行きながら尋ねる。
「そう…彼かもしれないし、可能性世界だから一誠がやってるのかもしれない…どのみち僕を知ってる人間だろう」
彼女はそう言いながら扉を開けると、中へと入って行った。
中は綺麗な空間で…事務所のように見える。
私が後について中に入り、扉を閉めると蓮水さんはこちらに振り返った。
「ここがある時点でこの世界は大丈夫だと思ったんだ。マンションで教えておけば良かったけれど…君には色々と話せていないし、それならここに来た時でいいって思ってね」
何時もの特徴的な薄笑いをこちらに向けると、彼女は事務所のような部屋の椅子を指さした。
私は何も言わずに椅子に座る。
すると、彼女は事務所の戸棚を漁りだした。
「話せていないって言っても、これまでで何を話したかも分からないんだけど…多くは言ってないよね?」
「そうですね…元パラレルキーパーで…小野寺さんと並んで最古参…8軸出身で…元スパイ?…って位ですかね」
「他には?」
「えーっと…人は殺さない主義だったり…3軸の勝神威のレコードキーパーを知っている…とか?」
「あそこの人達は優秀だからね。まぁ、それくらいだろう。仕事をする上だと十分だしね」
彼女はそう言いながら、戸棚から古びたケースを取り出して私の元へと持ってきた。
それを私の前に置かれたテーブルに置き…彼女は向かい側の椅子に座る。
「よく考えて…僕は君の事を良く知ってる。君に言われたのもあるし、レコードを見たというのもある…その逆は違って上っ面だけしか知らない…フェアじゃないよね?」
「え?ええ…そうですけど」
「オマケに"レコードを騙す方法を探そう!"なんて言って、やろうとしていることはレコードを持った人達全てを…世界全てを敵に回す行為だ。少しは僕の事を知っておいて貰っても良い気がしてね」
彼女はそう言って私の顔をじっと見つめる。
私はどんな顔をすればいいかもわからずに、曖昧な苦笑いを浮かべて見せた。
「君が純粋な時期にレコードを外れてくれて良かったよ…まぁ、日本人でレコードを持てる人だと無条件で他人を信じ切るからね」
「ああ…それは…ああなった時に目の前に居たのは蓮水さんですし…他に頼る人が居なかったって言うか…」
「確かに選択肢が無かったといっても、君は性善説で動いた訳だ」
私は彼女の言葉を聞いて、苦笑いを浮かべたまま頷いて見せる。
彼女は普段の笑みとは違った、少々哀れみが入ってそうな笑みを浮かべていた。
詐欺に引っ掛かりそうとでも思われたのだろうか?それくらいを警戒する頭と言うか…感覚は持ち合わせている方だと思うのだが…
「世界中の人が君みたいなら僕の仕事も要らなかったんだけど」
どうやらその哀れみは私に向けられたものでは無かったみたいだ。
「レコードを持つ人の特徴…見ず知らずの他人は信頼する。そう言う人は、レコードの指示に無条件で従ってくれるから」
「確かに…会う人は大抵そんな人ばかりだったような…警戒はすれど信頼というか、疑いはしないって感じの…でも…こういったら悪い気がしますが、蓮水さんや前田さんの仕事?はそれに合わないような…」
「確かに…でも、違うんだよ。警戒心が高いだけで、基本的には疑いは向けない…それを調べるのが仕事だしね」
彼女はそこまで言うと、机の上に置いたケースのロックをパチン!と解除した。
「前置きはこれくらいにして…改めて自己紹介紛れな事をしよう…君に…"紀子"にはもう少し僕の事を理解して欲しいから」
そう言って、中に入っていた品々を取り出しながら彼女は口を開いた。
「時任蓮水っていうのはちゃんと本名だよ。8軸の1943年9月30日生まれ」
「随分とおばあちゃんだったんですね」
私は黙って聞いていないで、軽く合いの手を入れてみる。
彼女も、これまでの…何時ものように作ったような表情からほんの少し軟化させてくれた。
「紀子は孫で居てもおかしくない離れ方だね。父は"連合軍"のエース級のパイロットで母はそれなりに裕福な家の娘だった」
彼女は声色も軟化し、それこそ…まるで孫に言い聞かせるかのような穏やかな口調になる。
元々感情が表に出てこない人だから、"何時もと比べて優し気だ"程度だが…
それでも、私は言葉の中に引っ掛かる表現があった。
「"連合軍"…?」
「ああ、僕の居た8軸ではそうだった…あの時代、この国が良い思いをしたのは8軸だけらしいけど」
彼女はさも当然のようにそう言うと、気にする素振りも見せず話を進める。
「問題はその後でね。戦後の混乱期に"ちょっとした内戦"があって…結局はアメリカが仲裁してきて、彼らが主導の国に作り替わったわけだ。それが1950年代の出来事…結局、1960年になる頃には他の軸と変わらないような日本が出来上がった」
「へぇ……8軸の歴史の教科書を見てみたいかも…下手なIF小説よりも面白そう」
「見る分には良いかもね…僕の運命が変わったのはそんな"内乱"の最中だった。国の中で戦う時に真っ先に消されそうだろう?」
「裕福なら…確かに」
「オマケに父は"旧軍"のそれなりの地位に居た。もう、良い的でしかなかったよね。簡単に父と母…親族を失って孤児になったところを"新しい国"の人に拾われたんだ」
私は淡々と話す蓮水さんをじっと見つめたまま、彼女が次に何を言うのかを待った。
彼女はケースの中に入っていた、古くなって錆びついた拳銃を手に取る。
それは、彼女が"麻酔銃"に改造したはずの、彼女の愛用銃だった。
「拾われた先は"第6部署"と呼ばれる非公式の諜報部門で、僕のような行く当てのない孤児が数人集められて、そこで将来の諜報員として教育が始まった」
彼女はその拳銃を持ったまま、私の方を見て小さく肩を竦める。
「今でこそ人を殺さないけど、当時は仕事としてやっていた。今の僕のベースも全部その組織の教育の賜物だ…だけど、10歳に満たない子供にそんなことをやらせるとどうなると思う?」
「さぁ……?」
私は彼女の問いに、全く答えが思い浮かばずに答えを濁す。
すると、彼女は小さく苦笑いを浮かべながら言った。
「人として何かが終わるんだ。僕はそれに気づけたから…その前に行動に移せたけれど…それが良かったのかどうなのか…レコードを持ってから"その後"を見るのは…未だに怖くて出来ないね」




