2.可能性世界の狂人 -Last-
蓮水さんの運転で勝神威まで戻ってきて、今は何時ものマンションの最上階…1009号室の中に居る。
レコードを見返して、次に行く世界を定め…クローゼットの中にある"エレベーター"に入った。
次の世界も、8軸をベースとした可能性世界。
私の父が居る、数多の世界のうちの一つだ。
他の世界と比べて時の流れが遅い…いや、3軸出身の私の目から見れば"歪"な世界。
エレベーターに乗って辿り着く先は、エレベーターに乗ってた時と同じマンションの一室だった。
「着いた…」
私はそう呟きながら、部屋の窓から外を眺める。
そこから見えた景色は、先程まで居た世界と大差ないように見えた。
「さっきまで居た世界と年代的には変わらない。今は1994年6月7日…この世界が終わるまでは後2週間。何の変哲もない、可能性世界の1日に紛れ込んだって所」
蓮水さんはそう言って私の横に並ぶと、私の肩を掴んで…もう一方の手を窓の外に向けた。
「目的地は向こう…勝神威の外れにある山の上…」
「そこにお父さんが居るってことですか?」
「レコードによると…ね。ダムの近くにある湖に居るらしい」
彼女はそう言うと、私の手を引いて部屋の外に出た。
さっきとは逆の順番…廊下に出て、エレベーターに乗って、地下駐車場まで出ていく。
駐車場に止まっている車もさっきと同じ…本当にさっきの世界と変わり映えが無い。
「さっきの世界の1年後って言われても納得できますよ」
助手席に乗った私はそう言って煙草を取り出して咥えて火を付けた。
「ベースが同じで時代も似ているから」
蓮水さんはそう言ってエンジンをかける。
駐車場を出て晴れ渡る空の元に出ると、私達は思わず目を細めた。
「いい天気…」
私がそう呟くと、彼女は口元を少しだけ緩めた。
「せめて何処から3軸に紛れ込んだかさえ分かるだけでも違うんでしょうね」
蓮水さんの運転する車の中で、私は煙草を吸いながら話題を振ってみる。
窓の外に見える景色から見ても、マンションで指さしていた山の上に着くまでには結構かかりそうだったから、何となくの退屈晴らしだ。
「そのレコードはもう何処にも無いから…でも、あのアルバムがヒントをくれたじゃないか。他の世界よりも古いって」
「確かに…それが無ければ、8軸にしかいない父を探して色々な世界に行ってるのか…」
「8軸の可能性世界を周りながら…きっと何処かで君の父親は2周目の3軸に入り込もうとする。その見立てで動くしかないんだ」
彼女は勝神威の市内を走らせながらそう言うと、私の腕を突いた。
「?」
「レコードの確認を。遠くに見えるあの車…」
蓮水さんの声色が、一気に冷たさを増す。
私は直ぐにレコードを取り出すと、彼女が指さした先に目を向けた。
「……緑色の?」
そう言う私の瞳に映ったのは、何処かの世界でレナが乗っていた緑色のスポーツカーの後ろ姿。
蓮水さんはコクリと頷くと、私は直ぐにレコードにペンを走らせた。
「……」
「……」
結果は予想通り。
私は何も言わずに蓮水さんの方に顔を向けると、彼女は分かっていたかのように頷いた。
「…レコード違反とかは出ていないようです。単に偶々の遭遇かと」
「そう…ここはあの2人の地元だから…か」
「はい…あ、曲がっていきますよ」
数台前にいたレナの乗る車は、私達が真っ直ぐ行く交差点で左に入っていった。
私はその後姿をじっと見つめると、直ぐに前に向き直る。
「前田さんも居るかも知れませんね」
「居るだろうね」
「…さっきの世界から、どう変わっているんでしょう」
「さぁ…?願わくば、僕達を感知できていないままの方が助かるけれど…」
「気づかれないことを祈るのみですね…」
私はそう言いつつ、周囲を見回してみる。
レナ達以外で面識のあるポテンシャルキーパーの姿は見て取れなかった。
そういっている間に、蓮水さんの運転する車は市街地を抜けて峠道に入る。
私が吸っていた煙草も、気づけば1本目が短くなっていて、灰皿に捨てた。
レコードキーパー時代まで遡ってみても、勝神威は何度か来たことがあるが…この場所は初めてだ。
私は窓の外を流れていく新しい景色を、目で追いかける。
周囲に家というものは無く…左右には木々しか見えなかった。
山をくり抜いた…というよりも、元々山にあった獣道のようなものを拡張して作られたような峠道。
道はまだ真新しい舗装になっていて…とても昔からある道のようには見えなかった。
蓮水さんは心持少し上機嫌そうな様子で、少々スピードを乗せて駆け上っていく。
きっと、レナも、レンも、部長さんでも…同じようにスピードを上げて走るのだろう。
勝神威からドライブに来るには丁度いい距離だし…上手く言い表せないが、走っていて気持ちよさそうな道だから…
暫く登っていった先、道の脇に看板が出てきた。
この先に道の駅があるらしい。
「道の駅でしたっけ?」
「違う…その少し先にある湖…その湖畔に車を止めてる」
何気ない問いかけに、蓮水さんは直ぐに答えてくれた。
その直後にもう一つ看板が見える。
彼女が言った場所…湖の案内看板だった。
「ただの駐車場ですか。ちょっとした展望台が付いてる程度の」
「そうらしい。僕も道の駅は行ったことはあるんだけど…こっちは無いからね」
看板を越えてすぐ、カーブを曲がった先…車道脇の木々が生い茂る光景が一気に開けて道の駅が見えてくる。
その前を素通りして、幾つかカーブを曲がった先に湖が見えてきた。
「ああ、そこか…」
蓮水さんが声を上げる。
道の横に見える大きな湖を見ていた私は前に向き直ると、少し先に休憩所程度の大きさの駐車場が見えた。
車の速度が落ちてゆき、ゆっくりとした速度で駐車場の中に入っていく。
父の昔の写真に映っていた車が、駐車場の隅に見えた。
蓮水さんは、その車から少し離れたところに車を止めると、エンジンを切って外に出る。
私も同じように外に出ると、深い深呼吸を一つついた。
「見つけた?」
「車だけです」
横にやって来た蓮水さんに、私はそう答えて車を指さす。
肝心の父の姿は何処にも見当たらなかった。
直ぐにレコードを取り出して、居場所を探し出すと…どうやら湖の傍まで降りているらしい。
私はそれが記されたレコードを蓮水さんに見せると、彼女は小さく頷いて湖の方へと歩き出す。
私も直ぐに彼女の後に続いた。
「遠くから眺める程度で良い…」
彼女はそう言って、駐車場の近くにあった…少々人の手が加わったと思われる獣道に出る。
この獣道を少し歩けば、湖の直ぐそばまで抜けられた。
「……」
「……!」
その時。
遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。
「蓮水さん…」
「こっちに…」
聞き覚えのある、独特な咆哮。
その車の持ち主は、結構な速度で近づいてきている。
私は蓮水さんに手を引かれて、とりあえず近場の林の中へと飛び込んだ。
どうやら、湖の傍には散歩道に出来そうな林道が整備されていて…木で作られた看板を見る限り、それは道の駅まで続いているらしかった。
「レコードを…」
蓮水さんに言われるがまま、レコードを渡した私は、迷うことなく懐から麻酔銃を取り出す。
「またお父さんが…?」
「いや違う…ただの違反者に過ぎない…だけどこの急ぎようはおかしい…」
そう言っている間にも、エンジン音は更に近づいてきていて…そのエンジン音は大きく聞こえるようになってくる。
「どこの誰です?違反者は…」
「そこの…君の父親の横にいる男」
陰に隠れた私達は周囲の状況を探りつつも、先程まで聞こえていた甲高いエンジン音が近くで止まったことで更に緊張感を増した。
さっきのように、レナやレミが私達を認知していない世界であると思うのだが…
ただの"処置"程度にここまで急いでやってくるというのが解せない以上…最悪の展開になることを覚悟しなければ…
私達が物陰に息を潜めて、レコード違反した男と…私の父が見える位置に留まっていると、やがて視界の中に見慣れた2人組が現れる。
レナとレミの姉妹…ポテンシャルキーパーとして活動する2人は、レコードを片手に、レコードを違反した男の元へと駆け寄っていくと、手際よく処置を済ませた。
だが、2人の仕事はそれだけで終わり…というわけでは無いらしい。
私達は2人の行動を黙ったまま見ているしかなかったが…2人は、次の瞬間には私の父の元へと歩み寄っていった。
「……」
「……」
息を飲んで見ているしかない。
2人は、あろうことかレコードを犯していないはずの父までもを注射器で処置してしまう。
何の迷いもなく行われた行動に、思わず私達は口を開けてしまった。
そして2人は周囲を見回すと、少々ホッとしたような表情を浮かべて車の方へと戻っていく。
どうやら、私達のことは未だにレコードで追えないままらしい。
「何をしているの?…」
2人が駐車場の方へと消えてゆき、再び特徴的なエンジン音が聞こえてきた頃。
私は呆然と呟いた。
相変わらず視界の先には処置された男と私の父の姿が見えるのだが…注射器による処置のせいで人が変わってしまっている。
蓮水さんは私が持っていたレコードを取り上げて、それに何かを書き込んだ。
私は彼女の手元を覗き込んで、文字が飲み込まれた直後に浮かび上がって来るはずの文章を待つ。
「どうしたんですか?」
「ああ…ちょっと嫌な予感がしてね」
私の問いに、蓮水さんの歯切れは悪かった。
そう言ってる間にレコードはジワジワと文章を表示させてくる。
私と蓮水さんは息をのんで、浮かび上がって来た文章を見つめていた。
"過去に第3軸・第4軸への浸透を検知:事前対処を開始"
短く表示された文章。
それだけでも、何となく言いたいことは分かったのだが…私は蓮水さんの言葉を聞きたくて彼女を見つめた。
「事前対処って…?」
「次の世界は過去と同じ間違いを犯さない…それは可能性世界を要因とするものには適用されないはず…少なくとも、僕が現役の時にはそうはならなかった…」
彼女は薄っすら苦笑いを浮かべると、煙草を咥えながら微かに毒づいた。
「…出来損ないの神様も居たものさ」




