2.可能性世界の狂人 -5-
展望台を降りた私達が向かったのは、私がレコードキーパー時代に過ごした家だった。
さっき、展望台を目指して獣道を登っている最中に、ふと気になった光景が見えたから…
この世界から去る前に、それを確かめに行こうというわけだ。
獣道…トンネル横から出てきて、そこから歩いて直ぐの距離。
蓮水さんは何も言わずに私の後を付いてきてくれていた。
さっき見えた光景…家の近くに止まった車…何処かで見たような車だった。
背が低い…黄色い車…こんな場所で見かけることなんて、先ず有り得ないと言い切れる車だ。
家につながる細い路地に入っていくと、少し早歩きになる。
路地を進んで…数件の家を越えた先…パッと視界が開けた。
その視界の左側にあるのが、見慣れた…懐かしい家…その向かい側は空き地になっている。
「……やっぱり」
私は、その空き地に止まった車を見てそう呟いた。
道のど真ん中で立ち止まって、その車をじっと見つめていると、横に来た蓮水さんが煙草を煙らせながら私の方に顔を向ける。
「3軸で見た車…ここは3軸だったっけ?」
蓮水さんが車を見ながら冗談っぽくそう言った。
私は苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
「……この車が気になったんです。向こうで見掛けた時は、この車がボンヤリと見えただけで…でも、レンが乗ってて…その横にはレナが居る。そんな気がして」
私がそう言うと、ガラガラと背後の家の引き戸が開く音が聞こえてきた。
直ぐ近くの、これまた聞き慣れた音を聞いた私は、ビクッと肩を震わすと、ゆっくりと後ろに振り向いた。
「珍しいところで会うものだね…久しぶり…といった所かな」
「レナ……」
家から出てきたのは、先程…3軸に居た時に再会した友人…
レナとレン…3軸の勝神威に住むレコードキーパーだった。
私と蓮水さんは思いがけないところで出会ったせいか、自然と身構えてしまうが、それを見たレナは小さく笑って肩を竦めて見せる。
「警戒しないで。私達は敵じゃない…」
「そう言われても…レナ、ここは何処だか分かってるの?」
「数ある可能性世界の一つ…こっちも仕事でね、小野寺さんのツテを辿ってここに来たの」
彼女はそう言って車の横まで歩いてくる。
2人は相変わらずの仲の様で、レナはレンの横から一時も離れる様子は無かった。
「ああ。特例中の特例でな?可能性世界に出張ってきてるってわけさ…寧ろ…そっちこそどうしてここに居るんだ?」
レナの言葉に同調したレンがこちらに尋ねてくる。
2人の話している様子から察するに、私達が先程会った直後の2人だという事は無さそうだった。
「僕達は世界を漂流してるって言ったの覚えてるかな?その途中だよ」
蓮水さんはレンの問いにそう答えると、ふーっと煙草の煙を吐き出して、煙草を地面に捨てた。
足でそれをもみ消すと、彼女は一瞬だけ私の方に目を向ける。
私は彼女の視線から、ある程度彼女が何を言いたいのかが理解できた。
小さく頷いて見せると、レナはそんな私をじっと見つめてくる。
「……紀子、貴女が本来は居ないはずの人間だってこと知ってるよね?」
私のことをじっと見つめて来ていたレナがそう切り出した。
私はコクリと頷いてそれを肯定する。
「今回の世界ではそれを防ごうと動いてる最中なの」
「防ぐ…?」
「そう…最近の調べで、あの世界がまた同じような軌跡を辿って行くのなら…どのみち2020年代以降には行けないってことが分かってね。原因は1995年付近に起きた可能性世界からの流入…レコードですら検知されなかった流入を防がないと、私達に未来が無い事が分かった」
レナは私の目をじっと見つめたままそう告げてくる。
私にとって最早それはどうでもいい事のはずなのだが…今の3軸で私が再び生まれてこないという事が、妙に悲しく思えてきた。
私はイレギュラーな存在なのだ。
世界にとって不都合な存在だから、次はもう出てこない様にって…考えてみれば当たり前の事なのだが、いざそれを面と向かって言われると良い感情は抱かない。
「それで、レコードの指示には無いけれど…色々と調べものをしている最中なの。紀子のお父さんがどの可能性世界から入って来たか…どんな手段で入って来たかをね」
レナは淡々と説明してくれる。
彼女にとって、私達は信頼できる人という事なのだろう。
だが、彼女の告げたことは、明らかに私達にとって都合が悪いように思えた。
調べものは同じ…
でも、それの使い方が全然違う。
レナ達はそれを突き止めて"使えなくする"事を目的としている…
私達はそれを突き止めて"活用する"事を目的としている…
「そうなんだ…思ったより大事なんだね」
私は内面を隠すように、いつも以上に"何時も通り"の口調を意識して答える。
レナはそんな私をじっと見つめたまま、小さく頷いた。
「偶々、ここで紀子に会えたから言えた。私としては悲しいことだけどね。未来の世界に紀子が居ないなんてさ…」
「ううん…元々、居ないはずの人間だったんだから、だから今こうなってる訳でしょ?気にしないでよ。レナ達が動けばきっと直ぐ原因が見つかるはず…」
少々、落ち込んだ様子のレナにそう返すと、レンが苦笑いを浮かべながら首を左右に振った。
「白川さん、それが直ぐって訳でも無くてだな。俺等だって…まぁ、仕事の合間を縫って…手分けして探ってるんだが……」
「…手掛かりが掴めない?」
レンの言葉に蓮水さんが先回りして言うと、彼は小さく頷いた。
「ええ。手掛かりが掴めない…やっと白川さんのお父さんが居る世界に当たったんですけど、さっきレコード違反を犯して処置されたみたいだし…」
「そうなの。ここのポテンシャルキーパーには会わなかった?」
「いや、会ってない…でも、会う前に用事が潰れたし、このまま帰る所だったんです」
「そう…僕達も偶々通りがかった世界だったから、もう行くところだったんだ」
蓮水さんはそう言って新たな煙草を一本取り出した。
「互いに、居るべきじゃない所に長居するのは良い事じゃない」
「ですね…長居しすぎるとレコードにどんな影響があるかも分からないし」
レンはそう言って黄色い車のドアを開けた。
「レナ、帰ろうぜ」
「そうね…紀子と、蓮水さんも…また、何処かで」
「うん…またね」
2人は背の低い、黄色い車の中に乗り込んでいくと、直ぐに何かの機械音が聞こえてくる。
エンジンがかかる前に鳴る音…私は耳を塞いだ。
「……!」
久しぶりに聞く、地鳴りのようなエンジン音。
横に居て、何も身構えなかった蓮水さんが少し驚いたように体をビクつかせる。
レンは、道脇に避けた私達の前まで車をバックさせてくると窓を降ろした。
「それじゃぁ、また!」
エンジン音に負けないように、少々張った声でそう言って手を上げる。
レナもレンと同じように手を上げていた。
私達はそれに頷いて答えて手を振る。
レンはゆっくりと車を進めて行き…やがて路地を出て行った。
煩いながらも、低音でまだ大人しかったエンジン音は一気にハイトーンの高音に切り替わる。
「あの音が聞こえれば、あの2人が来たって直ぐに分かるんですよ」
「良い趣味してる。一誠とかと話が合いそう」
私と蓮水さんもレンが消えて行った方へと足を踏み出した。
私達も、路地を出て少し行ったところに車を止めているのだから、そこまでは徒歩だ。
蓮水さんはさっき取り出していた煙草をようやく咥えて、それに火を付けると、一服した後で…煙を吐き出した。
私も暫く吸っていなかった煙草の箱を取り出すと、一本取り出して咥えて火を付ける。
「良い時に彼らに会えた」
路地を抜けた後…レンの車の音も遠くに消えた頃に蓮水さんがボソッと呟いた。
それには私も同感だったので、小さく頷いて見せる。
「さっきまでの私達と会っていれば彼らも敵に回っていたはず…」
「ですね…でも、結局私達とぶつかりそうですが」
「それは…仕方がないだろうし、何より僕達は手掛かりを探してるだけさ。今調べてることが必ずしも思った通りの結末を導いてくれるとも限らないんだし」
彼女はそう言ってポケットに手を突っ込むと、車の鍵を取り出した。
「でも、彼らよりも先に"調べもの"を終えなければね。幸い、彼らは時間がかかるみたいだし」
「そうしましょう。次の世界に行くんですよね?」
「そのつもりだけど」
「それなら…この町にある"電話ボックス"でも良いんじゃないですか?」
私は港の方を見ながら蓮水さんに尋ねる。
すると、彼女は私と同じように港の方を一度見ると、直ぐに首を横に振った。
「……一誠が勝神威にある装置だけに手を加えてくれたのさ」
「何時の間に…」
「そこでしか向かう世界は選べない。さっきだって、高速の近くにあるボックスからこの世界に来ただろう?」
「そういえばそうでしたね。何時もと違うな…程度にしか思ってませんでしたが」
「一誠が時間を作ってくれてね、僕が使う"世界転移装置"を解析して、改造してくれたって訳さ」
「……へぇ……」
「パラレルキーパーは僕達の存在の解析が進んでる…彼らとは協力関係が築けてラッキーだったよ。的には回したくないからね」
そう言っている間に、商店街に止めた蓮水さんの車の元まで戻ってこれた。
助手席のドアを開けて中に収まると、慣れた所作でシートベルトを締めて窓を開ける。
咥えていた煙草は灰皿にもみ消した。
「発見が多い世界だったから、無駄にはならなかった」
エンジンをかけて車を発進させた蓮水さんがそう呟く。
動き出した車から見える車窓は、日向の街並みから…向日葵の咲くロータリーを映し出して…直ぐに海沿いの光景に変わった。
「まだ1つ目の世界が終わっただけですけど、今探していることが正しかったとして…それを知ってしまえば…蓮水さんはどうするんですか?」
日向から2つほど町を移動した頃に、私は何気なく尋ねてみた。
蓮水さんは首を小さく傾げて、何も答えない。
「その…"天国"とやらに行く方法が分かったとして…」
「ああ…そこまでたどり着いたらどうするかってこと…」
「そうです。レコードから解放されて…レコードに映ることなく…邪魔されることなく…そうなったとして、です」
私は何気ない会話の一つにしては重い内容になってしまうなと思いながらも、気になったから彼女に尋ねてみる。
「どうだろう。さっき喫茶店で言った事を続けると…成れの果てにたどり着いた後は、ただただ色々な世界で1人の個人として生きていく事を繰り返すのだと思ってるけれど」
「永遠に?」
「永遠に…」
「随分と悲劇的な末路に思えてくるのですが…今も対して変わらないというか…」
「どうだろうね?だけど、再び自分がこんな世界の"外側"に居ることなく…"普通"の暮らしが出来るんだよ?それに…」
蓮水さんは前をじっと見つめたまま話し続ける。
「幾つかの世界であった千尋は、僕達をしっかり認識するまでは"レコード"の存在を知らなかったように思えてさ…」
「どんな仕組みなのかは知ったことでは無いけど、自分の記憶から"レコードの管理人"という記憶が消えたうえで、色々な世界で何度でも人生を繰り返している…そう言う風に見えたんだ」
「だから…僕もそうなりたいって思ったんだ。記憶を真っ新に戻した"時任蓮水"として人生を送ること…レコードの管理下だろうが関係ない…"ただの大勢の内の一人"として生きることが…随分と羨ましく思えたからさ」




