2.可能性世界の狂人 -1-
私達は喫茶店を出ると、直ぐに車に乗って移動した。
行先は何度か訪れた事がある、勝神威の中心に建つ高層マンションの地下。
パラレルキーパーの芹沢さんが用意したレコードにはない空間"だ。
彼の乗る銀色のポルシェが止まっている場所が入り口…
私達は何時か入った時と同じ手順を踏んで中に入る。
中に入ると、お洒落な空間が見えて…私は誰も居ないバーの椅子に腰かけて一息ついた。
「毎回思うけど、彼も洒落た男だこと…」
蓮水さんはカウンターの奥へと入り込み、そう呟きながら冷蔵庫を開けて中から適当な缶を2つ取って、片方を私にくれた。
「コーラで良かった?」
「え?はい…ありがとうございます」
私は受け取ったコーラのタブを開けて一口飲み込む。
シュワっとした炭酸が喉を通り、少しだけ目を細めた。
「軸の世界にこういう場所を用意できるのは、結構位が高い証拠。僕もパラレルキーパー時代はこういう場所を持ってた。北海道じゃなくて、東京にだけどね」
蓮水さんは部屋を見回しながらそう言って、私の背後…大きなビリヤード台の上に腰かける。
私はもう一口コーラを飲むと、煙草の箱を取り出して一本口に咥えた。
「さて…状況を整理しよう」
蓮水さんが私を見据えて言う。
私は煙草に火を付けながら頷いた。
「君が無意識のうちに創造してきた世界はほぼ壊滅状態…とりあえず、君がレコードキーパーから外れてやるべきことは一つ減った」
「…当の私は覚えていませんが…」
「僕の方でも幾つか壊して回ったけど、数から考えれば君が手を下した世界の数の方がはるかに多いんだけどね」
蓮水さんはそう言って口元を笑わせると、私は煙草の煙を吐き出しながら肩を竦めて見せる。
「何はともあれ、やるべきことは終わった。これで君も僕と同じように世界を漂う存在になったわけだ」
彼女はそう言うと、口元の笑みを消す。
私は再び煙草を咥えて彼女の言葉を待った。
「これからは、さっき喫茶店で話した"天国"とやらにたどり着く方法を探そう」
その言葉を聞いた私は思わず目を見開く。
「え?」
呆然とした表情を浮かべた私に、彼女は表情を一つも動かさない。
「取っ掛かりはこの前の、3軸の可能性世界と、そこで処置した君の一家に、そこにあったアルバム…そして歪な3軸の世界そのものだと思う」
「どういう事なんです?その…何もかもがバラバラで、繋がる要素が一つも無いような…」
「ああ。確かに一つもない。さっきアップルスターに居た時もそんなに説明してないし」
彼女は頭にクエスチョンマークを幾つか並べた私にそう言うと、持ってきたアルバムのうちの一冊を手に取って膝の上に載せた。
「君は僕に比べて"白いレコード"を持っていた歴史が浅い。だから世界を漂っていた期間は僕の方が長いはずだよね?」
「え?はい…確かに…そうですけど」
アルバムを膝に乗せた彼女が唐突に言った言葉に、私は首を傾げながら答える。
「だけど、君と別れている間…君が"僕"の一人称を持つ人格だった頃に過ごした期間が実は僕が今まで"白いレコード"を持っていた期間よりも長いんだとしたら?」
「それは無いと思いますよ?だって、幾ら離れ離れになっていたって言っても…私が創った世界の数なんて…」
「それを言い切れる?"僕より過ごした年月は短い"って思っているのはあくまでも君の主観だろう?」
蓮水さんは私の言葉に被せてそう言うと、私は言葉を失った。
確かに、私の主観の話だ。
離れ離れになった間に、蓮水さんよりも長い年月を過ごしたかもしれないと言われれば、私の主観を持って否定するほかないが…それは私にしか効かない。
「僕は長い間…世界を漂ってきたある日…それを疑った。僕が感じてきた時間はあくまでも"僕の主観"…他人から見て経ったのかなどを証明する術が無い。ここまで良い?」
「……はい…ここまでは、何となく」
「そこで僕が生きてきた時間を数直線にしてみよう。ここからここまで…起点が産まれた瞬間で、終点は今この瞬間だ」
私は蓮水さんが何もない空中に手を使って表した数直線を目で追いかける。
実線など何もないのだが…彼女の指先を目で追って、それを"空想"で補えば、何となく分かる。
「パラレルキーパーになったのがここ…そして、パラレルキーパーから外れて今のようになったのがここ…君に会ったのがここで、そして今につながる」
「蓮水さんから見れば、それは一直線上の出来事ですよね。当然」
「ああ。だが、他人から見た僕の歴史はこの通りじゃないかもしれない」
「……んー?」
「僕がパラレルキーパーだった頃…大体この辺りにしようか」
彼女はそう言って"パラレルキーパーになった時"と"パラレルキーパーから外れた時"の間に指を当てた。
「この当時、僕の同僚…正確には小野寺一誠と前田千尋がパラレルキーパーから外れた僕に出会ってる…それも何回も」
彼女はそう言って私の方に目を向けると、私は頭の片隅に何かを思い起こした。
・
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「誰か出て来てくれないか?」
まだレコードキーパーだった頃。
そして、私がその役目から外れる間際の出来事。
家で過ごしていた私達のチームの耳にレンの声が聞こえてきた。
日向町は長閑な田舎町…季節は夏…窓は全て空いていて…何なら鍵も開いている。
だから、普段彼らがやってくるときは、レンの運転するスーパーカーの爆音がすぐそこに迫って来て、その音が途切れるのがお決まりだったのだが…その日は違った。
「……」
少々焦りの入ったレンの声…私達は普段とは違う登場の仕方に驚いて家を出ると、彼は虫の息といった感じの少女を抱いていた。
「レン?一体何が…」
私の友達の一人がそう言って駆け寄る。
私も同じように駆け寄って、彼に抱かれた少女…その少女は思いもよらない人だった。
「前田さん…」
前田千尋…私が当時知っている彼女は、パラレルキーパーで、綺麗な白髪を持つ少女のことだった。
「ふ…歪な線に…歪な存在……本当…この世界は…退屈……しなかった」
彼女は私のことをじっと見つめてそう言うと、苦しみに歪めた表情を徐々に緩めていく。
私は彼女の言うことが理解できずに、唯々彼女が表情と共に生気を失っていくのを見つめることしかできなかった。
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「…さらに言えば、僕がパラレルキーパーを外れる前。一誠と千尋は既に"様変わり"した僕に会った事があるらしい」
蓮水さんは、ふと何時かの前田さんのことを思い出して目を見開いている私に向かって淡々と話し続ける。
「きっと、僕がパラレルキーパーだった時に一誠と千尋と会った僕は…この辺りじゃないかな?…今まで過ごしてきて…"あの時のは一体何だったんだ"ってなった事が、時が経てば"ああ、あの時の僕は今の僕のことか"ってなる」
「その経験…私は当事者になったことはありませんが…何となく…似た経験は…あるような…」
「理解できた?」
「はい……」
私はそう言って頷くと、咥えていた煙草を取って灰皿に捨てる。
蓮水さんはそこで一息つくと、じっと私の目を見据えて再び口を開いた。
「そうやって、歪になった時間を過ごしてきたことに気づいてしまえば…一種の達観というか…諦めのような境地になるよね。このまま過ごせばきっといつか僕達もああいった存在になるんだって」
「まぁ…そうですよね。レコードの事も知っていて、そこから外れてもなお生き続けて…ふと、自分の中で進む時間と周囲の存在の時間軸がバラバラになれば…まぁ、私ならもう動かないで諦めちゃいます」
「そう…きっとそうなる日は近い…けどもだ。"千尋"はレコードの管理下を外れてもなお、レコードが存在する人と会話が出来ていた。今の考えのままならレコードの外に追いやられて"傍観者"になるのが終着点だけど、そうじゃない」
蓮水さんはそう言ってアルバムを手に取り、表紙を捲った。
「きっとその先に"レコードに感知されない自分のための世界"が待ってる気がする」
「はぁ…でも、それがどうして私の家族と関係するって思ったんです?」
私は最初のページに現れた随分と古い写真を見ながら言った。
彼女が手にしていたアルバムは、母の子供の頃のアルバムの様だ。
「一つ…本当にそれが"正しいのだろうか?"と思ったからさ」
「はい?」
「僕の考え的には、レコードを管理する期間…そこから一歩離れて世界を漂流する期間があって…そしてその先に終着点があるという予想だ」
彼女はアルバムの写真1枚1枚を見ながら話を続ける。
「このまま待ってても、多分何が起きるわけでも無い気がする。ここからもう一つ…きっと何かがあるような気がする。今の漂流者の状態から脱するためのね…レコードで決められたわけじゃないけど、この雁字搦めから抜け出すには…似たような事をやってのけた…もしくは経験した人を調べるのがいいのかなって」
私は彼女の言葉を聞いてハッとする。
彼女は驚きに固まった私の顔をチラリと見ると、小さく口元に笑みを浮かべた。
「君の親はそれぞれが軸の世界と可能性世界の住民。本来混ざり合う存在でもないし…何よりレコードがそれを許さない。なのにそうはならなかった」
「だから…私の家族のことを…?」
「そう。僕の考えが正しいかどうかも分からないし…何よりヒントが無い中で取っ掛かりが欲しい」
蓮水さんはそう言うと、ふーっと溜息を一つ付く。
初めて私に憂いを帯びた表情を見せてくれた。
「何かがどこかで微かに関係してる…そうでも思わないと、永遠に僕達は漂うだけ…何もできず、縛られるだけ…正直言って、僕の精神が何時まで持つか分からない」




