1.夢の世界の姉妹 -Last-
電話ボックスで世界を飛び越えた先は、私が産まれた世界でもある3軸の世界だった。
レナが可能性世界に迷い込んでから数日たった後…1985年の夏の日の日向町。
周囲は微妙な明るさで…腕時計を見る限り、今は早朝6時半といった所。
私と蓮水さんは可能性世界から持ち込んだアルバムを可能性世界でも乗っていた車のトランクに積み込んでから車に乗り込んだ。
「俊哲の部屋を使わせてもらう約束なんだ」
蓮水さんはそう言って港に呼び出した車を発進させる。
窓から見慣れた景色を眺めた私は、くっきりとした視野にならないことに気が付いた。
3軸に戻ってきてからというもの、視力が元に戻ってしまったのだろうか…
妙に視界がぼやけるので、さっきまで居た世界の私がかけていた眼鏡を取り出してかけてみる。
「体が元に戻った感じがします」
レトロな丸眼鏡をかけた私はそう言って蓮水さんの方に顔を向ける。
彼女は私の方を一目見ると、すぐ前に向き直った。
「その眼鏡は?」
「さっきの世界の私がかけてたものです。あの世界はこの世界の写し世だったのなら…実質自分の物ですよね」
「確かに」
蓮水さんはそう言って笑うと私は彼女の方を見たままあの家で起きた事を尋ねようと口を開く。
「蓮水さんは分かって私を使ったんですか?あの家に居た私が何か訳ありだって」
何気なく…蓮水さんなら"ああ。どうだった?"なんて言ってくれるのだろうと思って尋ねたのだが…
その問いを聞いた彼女は少しだけ目を細めると、首を小さく傾げて私の方に少しだけ視線を動かした。
「訳ありだって?」
「はい…知らなかったんですか」
私は予想外の反応を見せた蓮水さんを見ると、少しだけ声色を潜める。
彼女は少しだけ考えるような素振りを見せると、煙草を取り出して口に咥えた。
「知らなかった。何があったの…?」
「その…処置する瞬間に…親も、私も…私を見て何か全てが分かったかのような事を言ったんです」
「…どういうこと?」
「上手くは言えない…けど…ああ!そう!何時か、会ったばかりの頃に見た前田さんみたいな感じです。何もかもを分かっているような感じで…世界が消えるのも、自分にさも次の世界があるように振舞うあの感覚!それが…"あの一家"から感じました」
「……なるほど…なるほど、そうか…」
蓮水さんは私の言葉を聞くと、そう言いながらシガーライターを使って煙草に火を付ける。
そして、最初の煙を吐き出して灰皿に灰を捨てて再び咥え直す前に言った。
「…その件はマンションで話そう。僕の考えに一つ確証が出来たかもしれない」
「でも、その前に約束がある」
・
・
日向を出て向かった先は、レナの住む町だった。
車で普通に走って2時間半位?にある勝神威市。
私はレコードを持ってからは随分と見慣れた景色を窓越しに眺めながら、蓮水さんが車を止めるのを待ち続けた。
何処に行くかはさっき聞いた。
アップルスターという名の喫茶店だ。
市の中心部にある高校近くにある隠れ家的な店。
規模はそこそこ大きいみたいだが、場所が何とも地味なお蔭で人は疎らなのだとか。
景色は徐々に都市の色合いを濃くしていき…車の速度もそれにつれて遅くなってきた。
蓮水さんはかれこれ6本目の、短くなった煙草を灰皿にもみ消して捨てて灰皿を閉じる。
もうすぐ目的地の喫茶店だ。
私は取り返してきたレコードと手帳を浴衣に仕舞いこむと、シートベルトを外して楽になる。
街の中心部といったような道を進んでいた車は、細い路地へと入っていき…少し進んだところにある雑居ビルの前で止まった。
「到着…」
そう言って車を止めた蓮水さんは、前に止まった車を指さして私の方を見る。
フロントガラス越しに彼女が指さしたのは、背の低い蓮水さんの車よりも背が低い、黄色いスポーツカーだ。
見覚えのある…レナの相方が乗っている煩い音の出るスーパーカー。
私は久しぶりに見た車を見て苦笑いを浮かべると、つい癖で耳を塞いだ。
「?」
「あれが走るときはこうしないと耳が痛いんです」
私は不思議そうにこちらを見た蓮水さんにそう言うと、先にドアを開けて外に出る。
平成でも昭和でも、スポーツカーから浴衣姿の女が2人降りてくる絵面は奇妙な光景だ。
私は他人事のように思いながらも、蓮水さんの横に並んで彼女に付いてビルの中へと入っていく。
喫茶店は入ってすぐの所にあった。
薄茶色のガラス張りで…店内は適度に薄暗く…音楽も有線放送がそれなりの音量でかかっている…
何もかもが"丁度いい"と感じる空間。
そんな店内を見渡すと、直ぐに私達が会いに来た2人組の姿が目についた。
「時間通りに来たと思ったんだけど」
「私達は地元ですから。それに…ホラ。レンも飛ばす方だし」
蓮水さんが軽口を言って2人の向かい側に座ると、レナが軽い口調で返してくる。
蓮水さんの横に座ると、レナは私の方に顔を向けてホッとしたような顔を浮かべた。
「やっぱり眼鏡がある方が紀子って感じ」
「そうかな。この世界に来てから急に目が悪くなって…レンも久しぶり?なのかな」
「そうでも無いぜ?俺からすればついこの間会ったばっかって感じだし」
「そう…なら2人の仲にそれといった進展は無いんだ」
私が軽い冗談を飛ばすと、2人は少し顔を赤くして苦笑いを浮かべる。
私はそれを見て肩を竦めると、蓮水さんがテーブルにレコードを開いて見せてきて、空気を引き締めた。
「さて。これくらいにして本題に入らせてもらおうかな」
蓮水さんはそう言って真っ新なレコードを持っていたペンでトンと叩く。
「ここは1985年の8月…ということは、彼女が一度戻って来てからまだ2週間と経ってない。今回は僕達2人でお邪魔させてもらう訳だけど、まずこれだけはハッキリと伝えておく。僕たちは世界を危機に陥れようだなんて思ってない」
そう言いながら、レコードに文字が浮かび上がってくる。
それはこの世界で出ている現状のレコード違反者の名前のようだった。
「そうする気なら君達の前になんて出てこないからね」
「はぁ…」
「君達には知っていて欲しいことが幾つかある。1つ目は今後この世界に混ざり込んでくるはずの存在について…そして2つ目はレコードですら感知しない存在について…」
「……それ、調べたんですか?それとも知ってる知識?」
「どっちも僕が調べた事。それを伝えたうえで、君達に警告しに来たんだ」
蓮水さんは私でも知らないことをサラリと言うと、一瞬私の方に顔を向けて、直ぐにレナとレンの方へと向き直る。
当然だが、きっとこれは私への共有でもあるはずだ。
私は彼女の横で座ったまま、次に何を言うのかを待った。
「警告…ですか?」
「ああ、警告さ。でもその前に、2つの事柄を頭に入れて欲しい…まず一つ目だけど、この3軸でもまた、1990年代後半には以前のように可能性世界からの流入がある」
蓮水さんがそう言うと、2人は少しだけ驚いたような顔を見せた後で顔を見合わせた。
思ったより反応が薄いのは、きっとこの世界が既に異常だからだろうか。
「そしてそれは直ぐにレコードが異常とみなさない。きっと1周前の、君達が"本物"の平岸レナと宮本簾だった頃のように、2010年代にならないと異常とならないだろうね…君達は可能性世界からの流入を止めようと動けないんだ。混ざり込んできたと知っていても」
「それは…俺らが感知して動けないってことは…レコードが指示しないから?勝手にやると寧ろダメっていう…そういった類ですか?」
「ああ。君達レコードの管理人はレコード以上の動きは出来ない。それは絶対的なルールだよ」
蓮水さんはレンからの問いにサラリと答えると、2人に交互に目を合わせてから口を開く。
「これが一つ目」
そう言って、少し間を置く。
「二つ目はレコードですら感知しない存在が居ること…覚えはある?」
「あります…何時だったか…そうだ。紀子が消える前に前田さんが2人現れた事があります…その時はレコードに出てなかったような…」
「その前に部長が暴走した時に、俺らの前に出てきた前田さんもそれっぽかったかな?あの時はレコードを見る暇が無かったから確証は無いけど」
2人はそれぞれが感知していた"レコードに存在しない"前田さんのことを話す。
レナの言った方は覚えていた…確か、私が消える日かその前の日だったはずだ。
血塗れで虫の息だった前田さんをレンが家に運んできた…そして私達の前で粒子となって消えて行ったのだ。
「ふむ…遭遇したことあるみたいだね。なら話が早い。その存在の事は観測しても手は出さないで…何をするかを監視するだけでいい」
蓮水さんはそう言うと、周囲を見回した。
「それは…確証はないが、僕の理解で言えば"レコードの管理人"の成れの果てと言える存在だ。そしてそれはレコードを持つ者がたどり着く"天国"みたいなもの」
「「天国?」」
蓮水さんが言った言葉に2人は目を丸くした。
横で聞いていた私も2人と同じ反応だ。
「今はそれだけを知ってくれているだけでいい。この世界が再び可能性世界に取り込まれる事…そしてレコードが感知しない存在には関わらないで観測し続けること…」
蓮水さんは2人の反応を受けても淡々としていた。
「僕が言いたかったのはそれだけ。3軸にしかいない君達はここまで知っていればいい」
彼女はそう言うと、煙草を一本取り出して…レナの視線に気づいて動きを止める。
「良いですよ。吸ってる人、周りに居ますし」
「悪いね」
レナは苦笑いを浮かべてそう言うと、蓮水さんはクスッと笑って手にした煙草を咥えて火を付けた。
「それで…時任さん。"3軸にしかいない"ってわざわざ言ったってことは、まだ何かあるんじゃないんですか?」
煙草を煙らせ始めた蓮水さんにレナが問いかける。
蓮水さんはピクッと眉を動かしてレナの方に目を向けた。
「ある。けどもまだ僕の中に取っておきたい」
「それは…話せるほど固まってないってことですか?」
「ああ…今言った2つとは違って…想像でしかないからね」
蓮水さんはそう言うと、テーブルの上に広げたレコードを閉じた。
「パラレルキーパーをやってきて…ある日突然そこから外れて世界を漂ってきて…何となく見えてきた事なんだけど」
彼女は何処か自信無さげな口調で言うと、肩を竦めて口元を笑わせる。
「まだ言わない。言うとしても、その時は僕の口からは言わないと思うよ。そもそも次会えるのは何時かも分からないし、その時の君達は本当にこの時間軸の先にある君達なのかも分からないし」
蓮水さんは思わせぶりな口調でそう言うと、私がよく見る…どこか楽しんでいるような、どこかに嘲笑が入っているような薄笑いを浮かべる。
「ヒント…というより、取っ掛かりは自分を主観に置いた時の時間の話。君と妹があの世界で一緒だったけど…君がレコードキーパーとして過ごしてきた時間と妹がポテンシャルキーパーとして過ごしてきた時間には相当なズレがあった」
「パラレルキーパーの彼らと君達の時間…そして僕と彼女ですら、はぐれていた時に過ごしてきた時間は同じじゃないと思う…隣に居て、常に同じ時を過ごしていないと…互いにズレが生じるの…」
「その"ズレ"…主観を何処かに置いた時に位置づけられる君達の"現在地"…それがハッキリすれば…僕はきっと答えが出せると思ってる…僕達が"レコードを手放す時"…さっき"天国"って表現した、レコードに感知されない存在になるための方法…その答えが」
「それが永遠の時を強制された僕達の"正しい終着点"だったとしたのなら…という仮定の上だけどね」




