1.夢の世界の姉妹 -3-
蓮水さんが言っていた"寄り道"とは、私の実家に寄ることだった。
既に暗くなった日向の町…その奥にある何の変哲もない一軒家。
可能性世界とは言え…そこにはまだ中学生の私が居て…親も居るはず…
時間的にも、夕食後…きっと誰かがお風呂にでも入ってる頃合いだろう。
「2人は今どこに?」
「病院に居るみたいです。もう廃墟ですけど」
「そう。暫くはそこに隠れてるつもりなんだろうね…」
蓮水さんは車を家の前に置くとハザードを付けてエンジンを止めた。
私の方を一目見ると、私の持っていたレコードを取り上げて何かを書き始める。
トンっとペン先をページに書き入れると、私の身体に少しだけ変化があった。
「僕の方から情報を書き換えた。今の君は15歳」
「…どうして年を下げたんですか?」
「今後のためにね。ちょっと外に出よう」
蓮水さんはそう言うと煙草を咥えながら外に出る。
私は何も問わずに蓮水さんの後を追った。
普段なら詳しく説明してくれるのだが…偶にはそう言う事もあるのだろう。
外に出てスーッと深く息を吸って、深い溜息を付く。
遠くからは波の音が聞こえてきて…周囲の木々は潮風に揺れていた。
私は蓮水さんの方をじっと見つめて、彼女が次に何をするのか…何を言ってくるのかを待つ。
「さぁ…ちょっとの間、この世界の"本物"と入れ替わってもらうよ?」
蓮水さんは家を目の前にして私にそう言った。
私はポカンと口を開ける。
確かに…家の中にはまだレコード違反をしていない私が居て…もう随分と顔を見ていない両親が居るのだが…
「どうしてです?」
「ちょっと調べて来て欲しい事があるのと…君の家族の"処置"だ」
「え…?」
私の問いにサラリとそう言った蓮水さんは、私の手に彼女の持つ注射器を握らせた。
「欲しいのは君の親の過去の記録…レコードでここに過去のアルバムがあることは掴めてる…2人の分のね。それを取ってきて。そして、この世界の君を含めた3人を処置して来るんだ」
「分かりました…けれど何故アルバムを?レコードで全てが見れるんじゃ無いんですか?」
私は蓮水さんから渡された注射器を一目見た後で、顔を見上げて尋ねる。
「3軸は中森琴の暴走のせいでレコードが狂ってる。それに君がいるってことは時間逆行前の3軸ってことだ。狂った世界の、まして時間逆行前のレコードは最早信用できる物ではなくてね…パラレルキーパーなら、終わった過去のレコードを修復できるけれど…僕達にはそれが出来ないから、面倒な手を使うことにしたのさ」
蓮水さんは私にそう言うと、背の低くなった私に目線を合わせるように少し屈んだ。
少々淀んだ赤い瞳がこちらを見つめてくる。
私は注射器を手にしたまま、少し息を飲んで彼女の顔を見返した。
「一体、どうして過去の話を…?」
「厳重に管理されてるはずの軸の世界がどうして10年以上も可能性世界と混ざっていたかを知りたいんだ」
「答えになってない気がします…けど、時間は無いですよね。次の世界に行ったら説明してくださいよ?」
「ありがとう。頼んだよ」
蓮水さんはそう言って私に笑顔を見せると、私は小さく会釈してから家の方に振り返る。
レコードキーパーだった頃は偶に様子を見に戻っていた家。
当然、私は2人に話しかけることなんてしなかった…もう、レコード上では子供が居た事なんて記憶の片隅に追いやられているのだから…話しかければレコードがどうなるか分かってたから…
私は玄関からではなく、家の裏手側に歩いていった。
奥の方にある居間についている縁側?とでも言うのだろうか、床まで伸びた窓から裏庭に出られるようになっている。
そこは年がら年中鍵をかけていなかった。
不用心といえばそれまでだが、こんな田舎町だから出来ることでもある。
幾ら村八分みたいな真似をされたからといって、ここの住民たちは不法侵入まで犯してちょっかいをかけてこようなんて考える人は居なかった。
私は着ていた浴衣を正して、一つ深呼吸をする。
そして、懐かしい明かりが付いている居間の方をじっと見つめてから行動を開始した。
そっと、窓から家の中を覗いてみる。
居間にはテレビを見ているお母さんの姿しか見えなかった。
きっと、私は風呂場か自室…お父さんは書斎で仕事でもしてるのだろう…
壁に掛かった時計から察するに、居間で一家団欒というのは、もう少し経ってからのはずだから…
「……今はこの人たちの娘じゃ無い…か」
私は一瞬、話しかけてみたくなる衝動に駆られたが…直ぐに首を横に振って振り払う。
可能性世界…それも、レナが主の世界なのだから…イレギュラーな世界も良いところなのだけど…でも、壊れかけの世界でわざわざレコードを壊しに行くような真似をしたらどうなるか、考えよりも先に危険だと知っている。
私は息を殺して、履物を脱ぎ…空いたままの居間の窓からそっと居間に入っていった。
手帳も何も無い状態での処置…
力ずくに近い状況でやるしかない?…と、そこまで考えた私はふと動きを止める。
目と鼻の先に…手を少し伸ばせば、ソファに座った母に触れられる距離で…動きを止めた。
何故、蓮水さんが行かなかったのだろう?
普通に、手帳と注射器で処置をして…それから私を入れて探させれば良い話じゃないか?
わざわざ親殺しみたいな事をさせるよりも…
私は突如として湧き上がった疑問に頭の中が一杯になる。
あの人が意味に無い事をさせようなんて無いはずだ…それも、仕事に限って…
なら、説明不足じゃないだろうか?それとも、あの説明だけで全てだった?…
私は疑問を頭の中に駆け巡らせながら…それでも、目の前の…実の親に気づかれればどうなるかを理解していたから…思い切って行動に移る。
「!?」
「ごめんなさい!」
背後から襲い掛かって、小声であやまって…そして首筋に注射器を突き立てる。
やってることは暗殺と同じだ。
私はどうしようもない罪悪感と、所詮可能性世界に過ぎないのだから…という逃げ腰な感情を織り交ぜなから注射器の中身を突き立てる。
「!…」
その最中、もがいた母がこちらに目を向ける。
私は既に注射器の中身を全て入れ終えた時だったから、つい力を緩めた時だ。
「紀子…?」
その一言を残して粒子となって消えていく。
私は空になった注射器を手に持ったまま、呆然と立ち尽くす。
……考えるのは後にしようと心に誓って注射器の押し棒を引き上げると、次の目的地へと足を進めた。
家に上がって、風呂場の方から音が聞こえないという事は…私は自室に居るらしい。
先に近い方にある書斎の方へと足を進めて、父を処置することにしよう。
私はそう決めて、階段をゆっくりと上がっていく。
書斎の扉は開けっ放しになっていて、そっと覗き込むと父がこちらに背を向けていた。
窓際に置いた机に向かって、ノートパソコンにじっと目を向けている。
私はそれを見て、そっと部屋の中へと入っていった。
「…ごめん」
そう言って、さっきと同じように注射器を突き立てる。
今度は油断しないように…力を込めたまま…中身を全て入れ終えて、粒子になり始めても…消えるまでは手に込めた力を抜かない。
「…その声は紀子か」
それでも、ちゃんと分かってしまったらしい。
ますます罪悪感が増してきた。
私は消えて行った父の座っていた椅子に座り…ノートパソコンの画面を覗いてみる。
仕事の中身はさっぱり分からなかったが…難しそうな資料が机に広がっているのを見て、どこかホッとした。
この町に来た時は母娘揃って左遷でもされたのかと冗談めかしに言っていたものだけど、この画面を見る限り…左遷ではなく栄転の方が正しいように思える。
それも…この世界では有り得なかった話なのだが。
私は書斎を後にして…残る一つ…自分の部屋の方へと体を向ける。
可能性世界に生きるはずだった父と、3軸で別の人と結婚するはずだった母…そこから産まれたのが私…
そんな彼女は今、きっと部屋の中で何をしているのだろうか?
自分がその立場だった時に何をしていたかなんて、思い出すのも難しくなってしまったが…きっと宿題をやっているか、年に合わない小説を黙々と読んでいるかのどちらかだ。
私は扉が閉まっている部屋の前に立つと、意を決して扉のノブに手をかける。
ずっと昔には当たり前だった行為をするのにも、心臓はやたらと早鐘を打ちたがった。
「…え?何?」
扉を開けた向こう側。
ベッドに腰かけて本を読んでいた私は、眼鏡越しに見える目を思いっきり見開いて突如として現れた私を見た。
「……もしかして、私?ちょっと、待って、何が何なのか!……ああ!…あぁ…そういうこと…」
私は驚く彼女に近づくと、無言のまま彼女に乗りかかる。
「待って、打たないで!…一つだけ貴女にいう事があるの」
注射器を掲げて彼女の首に突き立てようとした刹那。
彼女は私ではなく、向けられた注射器を見てそう言った。
私はピクリと反応して、注射器を打とうとした手を止めて彼女をじっと見つめる。
「…その選択に後悔は無い?」
「ええ。何か知ってるみたいね?」
「知ってるも何も…でも、良く分かった。私は正しかったんだって!楽しかった!この世界も!」
彼女はそう叫ぶと、突如として私の手を掴んで注射器を彼女の首筋に突き刺した。
目をこれでもかと見開いて、狂ったような笑みをこちらに向けたまま、中身を全て注ぎ込まれると同時に粒子となる。
「頑張ってね」
全てが終わる間際。
目を瞑って、もう一度…過去の私のような穏やかな表情を浮かべた彼女はそう言ってこの世界から消えていく。
一人残された私は呆然とした後で、直ぐにベッドから降りた。
手にした注射器は一旦仕舞って…蓮水さんに言われた物を探すために部屋の扉まで戻る。
もう一度部屋を見回した私は、机の上に載っていた物を見てそれを取りに戻った。
こうなる前の私のトレードマークだった…レトロなデザインの丸い眼鏡。
それを手にして、近くにあったケースに居れると浴衣の中に仕込んだ小物入れの中に入れる。
そして今度こそ、未練も何もないのを確認して部屋を出た。
目的の物…2人のアルバム…場所は覚えてる。
それは書斎の本棚の一番下…そこにあるアルバム全てが2人の過去を写した物だった。
途中からは…私も交じって、3人家族のこれまでの全ての記録になる。
私は父を消した書斎をもう一度訪れて、本棚の下にあるアルバムを引きずりだした。
携帯の写真…スマホの写真…デジカメが出て来ても…頑なにフィルムカメラに拘って撮った今までの記録…
その数はそこそこ多く、ざっと数えても20冊もあった。
全てを取り出して床に並べた私は、その数を見てとても一人じゃ無理だと思い、さっきまで父の座っていた机の奥にある窓を開ける。
道路沿いの部屋だから、窓を開けたすぐ下には煙草を吸っている蓮水さんの姿が見えた。
「蓮水さん。ちょっと手伝ってもらえますか?アルバムが多くて…」
私はこちらに目を向けた彼女にそう言うと、彼女は小さくサムアップを見せて煙草を地面に捨ててもみ消した。
「今行くよ。裏手から入った方が良いのかな?」
「玄関の鍵は開いてるはずです」
私はそう言うと、窓越しに手にしていたアルバムを見せた。
「回収して、私のレコードと手帳を取り戻さないと」




