5.空想世界からの訪問者 -5-
「成る程。急ごう。こっちだ」
もう数発、威嚇も込めて撃ち込んだ私は直ぐに蓮水さんのいう通りに彼女の後を追いかける。
「残る一人は成人男性ですよ?」
「構わないさ」
彼女はそう言って非常階段の扉を開けると、私を入れてから閉めて鍵を掛けた。
「あとはここの一番上まで!」
蓮水さんはそう言って私から先行して階段を駆け上がっていく。
私も直ぐにあとに続いた。
……階段を幾つか登った直後、非常階段の扉が叩かれるような音がする。
だけども、私達は意に介さず階段を駆け上がっていった。
何度も何度も上がっては踊り場で体の向きを変えて登っていく。
6階まで上がった時、踊り場の表記が変わった。
どうやらこの建物は7階以上は無いらしい。
蓮水さんが一歩早く屋上の扉を開けて外に飛び出した。
直ぐに私も後に続いていき、扉の鍵を閉める。
飛び出した先の屋上には、大粒の雷雨が吹き込んでいた。
「ふー…蓮水さん。これでいい?」
「……ああ。上出来」
私と蓮水さんは少しだけ上がった息を整えながら、中央部まで歩いていき…屋上にポツリと置かれている電話ボックスに手を掛ける。
「さて…2丁上り……」
そう言って電話ボックスに掛けた手に力を入れて扉を開けようとする。
「-!」
だが、その手は何者かの銃撃に阻まれた。
私の右手首から先は電話ボックスの方へ飛んで行って、私はただそれを呆然と見下ろすだけになる。
持っていた拳銃ごと飛んで行ったらしい。
不思議と、痛みは無かった。
ただ、真っ白い肌になった私の右手首を目で追っただけ。
その手首は、不思議と自分の物だとは思えなくなっていた。
それからゆっくりと振り返ると、私の傍で驚く様子を見せた蓮水さんと…結構広い屋上の隅で永い間雨に打たれていたようにずぶ濡れの2人組が目に入った。
私はその2人組にゆっくりと目を移すと、自分の無くなった手先に目を向ける。
相も変わらず血が噴き出ている。
黄色人種で、日に焼けて小麦色をしていた部位は、すっかり真っ白の病的な肌色に置き換わっている。
「……」
その瞬間。私は何もかもが頭の中に入って来たような感覚に囚われた。
その瞬間。私は私である何かが、薄っすらとボヤけてきた。
「蓮水さん。右手首無くなっちゃった」
土砂降りの雨音しか聞こえてこない中で、ボソッとそう言って、左手で彼女を電話ボックスの中に引っ張った。
「芹沢さんも直ぐに来る。1人で飛んでよ」
「え?」
私は2人組に背を向けるようにして、蓮水さんに笑いかけると、浴衣からもう一丁の実弾入りの拳銃を取り出してこめかみに銃口を向ける。
「私は……いや、"僕は"直ぐに追いかけるから。問題は無い。1人で消えるんだ」
そう言って引き金を引く。
最期の瞬間、網膜にはこれ以上にない驚き顔の蓮水さんが目に映った。
そのまま力を失い、雨に濡れて、大きな水たまりになったコンクリートの上に倒れていく。
倒れる直前、電話ボックスの中から、ジリリリリリ…というけたたましいベルの音が鳴り響いた。
「…………」
しばしの間の静寂。
意識を失い、倒れている間にはもう蘇生しかけていたので、もうすでに周囲のことは耳に入っていた。
ずぶ濡れになり、じっとりと濡れてしまった浴衣を繕ったまま立ち上がる。
「…………」
右手には麻酔銃。
左手には実弾入りの拳銃。
浴衣の中に仕込んだ品物は多かれ少なかれ水に浸かった。
顔を上げると、目の前にあった電話ボックスはもう存在しない。
「やれやれ…また一人」
周囲に迫って来た2人分の人影も、扉をぶち破って来た2人組の男女のことも、もう間合いには十分すぎる距離に入っていた。
「白川紀子。レコードを持っている以上。私達のやろうとしてることは分かるわよね?」
その間合いに一人、レコードキーパーの間では"部長"と呼ばれている女の姿が映る。
「今度は逃げられない。コードを幾つも改変させてきたお蔭でね。時任蓮水に逃げられたのは悔しいけれど、あなた一人でもこの世から消せれば私達の仕事もだいぶ楽になる。それだけのことを貴女はやってきている…」
「そう…そのようだね」
"僕"はうわごとのように答えると、両手に持った拳銃を天高く、宙に放り投げて目の前の女へと突貫した。
「な!」
「へ?」
スローモーションになった目の前に映るのは、レコードを掲げた中森琴と、驚いて拳銃の銃口を向けた芹沢俊哲の姿。
「ヤバッ!」
背後からは永浦姉妹の声も耳に入った。
でも、僕にはもうどうだっていい。
間合いに入ったのは君達の方だ。
その中心部に僕を入れたのは大きな失敗だった。
レコードを持って、無防備になった中森琴の手を掴みあげた僕は一思いに彼女を軸に回転する。素早く彼女の背に自分の背を当てるように回転すると、落ちてきた拳銃を掴み取って…そのままの勢いで芹沢俊哲に向けて引き金を絞る。
カシュ-!
実弾だった。
僕はそのまま背にした中森琴の腰を蹴飛ばして、身体を反転させて、時間差で落ちてきたもう一丁の拳銃を掴み取ると、両手に持った拳銃を躊躇なく3人に向けて見せた。
そして、得物こそ持っていれど、射線に中森琴がいるせいで引き金を引けない永浦姉妹の代わりに思う存分引き金を引く。
実弾と麻酔銃。
2種類の銃弾の雨が3人の女に襲い掛かった。
3人は弾に撃たれて死を経て生き返り、麻酔弾に眠りに落とされる。
ものの一瞬で3人を無力化した僕は、振り返って、実弾の死から蘇った芹沢俊哲の額に麻酔銃の銃口を押し当てた。
「お休み」
その捨て台詞とともに、芹沢俊哲も眠りに落ちる。
そのまま僕は入って来た扉から施設の中に逆戻りしていった。
急に自分の中で何かが変わったらしい。
それを自覚できていれど、そんなことを考えている暇はなさそうだった。
この世界の主を殺して15分でこの世界は終わる。
まだ6分。あと9分で脱出しなければ世界の崩壊に巻き込まれることになる。
屋上にいた3人はもう無理だろう。
そのまま崩壊に巻き込まれて…あわよくばそのまま時空の狭間で永遠を苦しむことを期待するが…何度も窮地に追い込んでいるはずの彼らがピンピンした姿で現れる所を見るとそれを期待するだけ野暮な物だろう。
ともすれば、僕も巻き込まれたところでどこか適当な可能性世界にでも出てくるのではないだろうか?
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎり、直ぐに左右に首を振って否定した。
彼らはポテンシャルキーパーで、僕は何でもない。
役目があれば、きっと狭間に飛ばされようとも何時かは呼び戻される。
例え彼らの過失であろうと、世界の消滅であろうと、レコードを持ち、役目がある者たちは…その精魂が尽き果てるまで使い潰される。
だが、役目のない浪人になったレコード持ちはそうじゃない。
もはやレコードすらも縛れない者。
それが狭間に流れ着こうと、レコードは検知できずに流されるがままになる。
きっとそうだ。根拠は無いが…
だが、悪い根拠を持ったまま、消える世界に居残ろうなんて気はサラサラ無かった。
僕は実弾の入った拳銃を持って、麻酔銃は浴衣に仕舞って、施設内を駆け巡る。
適当に扉を開けて中を見て回り、襲い掛かってくるというか…訪れる世界崩壊から逃げまどう職員たちは手当たり次第に殺していった。
やがて弾倉を一つ使いつくして、次の予備弾倉に取り換える。
カシャ!と挿してスライドを引き準備完了。
丁度目の前にしゃしゃり出てきたか弱そうな男の額に初弾を叩き込むと、男の頭がパン!と破裂したように真っ赤に染まって倒れていった。
「こんな妄想もしたっけか」
僕はそう呟きながら、迫りくるタイムリミットを意識しながら館内を回る。
やがて、2階の主を殺した部屋からはだいぶ歩いていった先…その先にあった大広間の一室に、電話ボックスが見えた。
僕は少しだけ目を見開いて、その電話ボックスの中に入る。
そして、レコードを開いて現れていた数字を電話ボックスの電話に打ち込んでいった。
蓮水さんと入るときのようなダイアル式の昔の電話ボックスではなく…緑色の、ボタンを押すタイプだったが…数字が打ち込まれると、電話ボックス内の電話がけたたましいベルの音を響かせた。
「やった…」
僕はそう呟いてぐっしょり濡れた浴衣もそのままに電話ボックス内にへたり込む。
残り数分の可能性世界。
その景色が砂嵐の中に包み込まれていくのを見届けながら、僕はゆっくりと目を閉じていった。




