5.空想世界からの訪問者 -2-
「撃て!紀子!」
背後から叫び声。
私はその声に反応して引き金を引いた。
麻酔銃だから、殺しはしないが…それでも放たれた弾丸が命中した人間は、死んだように力を失い眠りに落ちていく。
「開いた!先に行って!彼は任せた!」
2,3発撃ちこんだ後、蓮水さんはそう言って私を引っ張って脱出シュートの方に押し出す。
「え?」
私は押し出された勢いに余って、蓮水さんが確保したこの世界の主に抱き着くような形で脱出シュートの滑り台を落ちていった。
「っつ……」
「ってぇ。何なんだ、一体」
しっかしとした体勢で滑り降りなかったせいで、地面に転がり落ちるようになった私は、ズキズキと痛む腰を摩りながら立ち上がる。
それからすぐ、蓮水さんが降りてきた。
「これからどうするんです?」
「……こっち側。そこの君も、死にたくなかったら付いてきて」
蓮水さんは私と、飛行機から強制的に下ろした青年に向かってそういうと、背を向けて駆けだした。
背後からは、次々と脱出シュートになだれ込んでくる人達の声と、レナの怒号のような叫び声が聞こえてくる。
駆けだして5秒も経たぬ間に、人々の声は散弾銃の轟音で掻き消され始めた。
私達は、蓮水さんが開けた作業用通路の扉の中に駆けこむ。
そして、蓮水さんは扉を閉めて、横のパネルを弄って扉をロックした。
「互いのこと知ってる?」
扉をロックした後。追手から逃れて歩きながら…ほんの少しの間だけ落ち着いた時。
蓮水さんはそう言って、飛行機から連れ出した青年を指さす。
私と彼は、一瞬顔を見合わせた後、直ぐに蓮水さんの方に振り向いた。
私は首を傾げ、彼は首を縦に振る。
「なるほど」
「え?」
私は首を縦に振った彼の方を見て、驚いて声を上げる。
蓮水さんはほんの少しだけ口元に笑みを浮かべながら頷くと、私の肩に手を当てた。
「これから彼を連れて行くことになるけれど、それまでには思い出せるだろうさ」
彼女はそう言って、通路の先にある扉に手を掛けた。
華奢な鉄製の扉が開かれると、その先はまた通路だった。
だけど、今までの通路と違い、壁の向こう側からは喧騒の声が聞こえてくる。
通路に掲げられた看板や、何かのポスターに書かれた文字を見ると、ここがとある航空会社の作業用通路であることが何となくわかった。
「さて…この通路の向こう側は大混乱だ。彼がレコードから逸脱したお蔭でね。今出て行ったら、私達3人はどうなることやら」
「……どうするんですか…?」
「この空港にも幾つか抜け穴は用意してるから、そこから出て行けばいい」
そう言った蓮水さんは、通路にあった扉のうちの一つに手を掛けて、扉を開ける。
中に入って、扉を閉めた直後には、通路全体に響き渡る爆発音が響き渡った。
蓮水さんは取り乱すこともなく扉に内カギを掛けて、すまし顔で私達の方に振り向く。
「そこの電話ボックスに入ればゲームセット」
彼女がそう言って指さした先には、ガラス張りの、見慣れた電話ボックスが置かれていた。
私はその電話ボックスに駆け寄ると、そっと扉を開く。
蓮水さんと、連れ出した彼が電話ボックスに入り、私が最後にその中に入って扉を閉めると、即座にガラスの外側の世界が砂嵐に包み込まれた。
「さて…互いにちょっとの間、窓の外をみていて」
私が外の砂嵐の光景から目を背けようとしたとき、蓮水さんはそう言って私の背を押した。
私は言われるがままに、振り返らずに砂嵐を見ながらじっとする。
どうせ、砂嵐の光景は直ぐに晴れるのだから、気にすることもなかった。
やがて砂嵐が晴れて行き、周囲の光景が映ってくるようになると、私は見慣れた景色に少しだけホッと胸を撫でおろす。
「日向ですか」
丁度扉の前にいた私は、そう言って扉を開けて外に出る。
周囲を見渡すと、私達がレコードを持つ前に使っていたバス停の看板が見えた。
「日向西北港5丁目…」
「君の家の近所だよ」
蓮水さんがそう言いながら電話ボックスを出てきた。
煙草を吸っていないのかと見てみると、誰か小さな子供の手を引いている。
私は電話ボックスの中を覗き込んでから、もう一度蓮水さんに手を引かれた子供を見る。
「…その子は?」
「何を驚いているんだい?さっき空港で拾ってきたばかりじゃないか」
私の問いに、そう言って小さく笑った蓮水さんは、冗談だよと言って子供を前に持ってくる。
「見覚えは?」
「見覚えは…ああ、あります」
その子供は、私がポテンシャルキーパーのレナに消される直前にレコード違反を犯して、私に処置された子供だった。
彼は身に起きていること全てに付いていけずに、若干怯え気味にみえる。
「でも、助け出したのは大人の人でしたよね?サラリーマンというか、そんな感じの」
「そう。でも、あの可能性世界はこの子の夢の中だったのさ。だから、この姿が正解…さて…立ち話も何だし、まずは家に入ろう」
「え?」
「ま、付いてきてよ」
そう言った彼女は、手を引く子にも優し気な声で何かを囁いてから歩き出した。
「禁煙です?」
「まさか、今は昭和だよ?昭和53年」
私はそれを聞くと、蓮水さんの後ろを歩きながら、浴衣の帯から取り出した煙草を一本咥えて、ライターで火を付けた。
最初の煙を吐き出して、改めて蓮水さんに手を引かれた子供のことを見てみる。
彼の処置をしたのはまだ1週間と少し前の話だ。
まだまだ子供で、レコードを見ても、将来的に危ない子になるような事は書かれていなかった。
だけれど、レコードの命令は"通常処置"だったから、私は彼に注射器を打って処置したんだ。
その直後…何処からともなく現れたポテンシャルキーパーのレナに、彼諸共消されて…
そういえばあの子はどうなったんだろう?と思っていたらここに居る。
彼はここに来るまでに、どれほどの時間を超えてきたのだろうか?
それとも、あの夢の中の可能性世界を創り出していたということは、ずっとどこかで眠っていた?
私がそんなことに頭を悩ませている内に、目的地にたどり着く。
狭い路地にある大きな一軒家……ではなく、バス停近くの海沿いにある小さな一軒家。
「着いた」
「いや、待ってくださいよ。ここ…家は立て直しちゃいますけど、平成になって暫くすれば私達が引っ越してくる場所じゃないですか」
「そうだよ。将来の白川家。今は見知らぬ誰かの家だけど」
「いやいやいや入っていいんですか?」
「大丈夫。この世界に限って言えばここは僕の管轄。僕の持ち物だからね」
そう言って蓮水さんは扉を開けて中に入る。
私も困惑しながらその後に続いた。
玄関で靴を脱いで…扉を2つ開けた先にある居間のソファに腰かける。
そこでようやく一息ついて、テーブルに置いてあった凶器になりそうなガラス製の灰皿に煙草をもみ消した。
「さて、その子なんだけど…」
私はいつの間にか瓶のコーラを両手で持った男の子に目を移す。
既に蓋は外れていて、チビチビと飲んでいるようだったが、眠気が勝っていそうな表情だった。
蓮水さんはその横で煙草を一本咥えようとしている。
「君の処置したレコード違反者だよ。名前は知ってるだろうけど、舘林秀志。歳は7歳。小学校2年生」
蓮水さんは、私でも微かに覚えていたプロフィールをスラスラと言う。
それから咥えた煙草に火を付けて煙を吹かす。
そしてレコードを広げると、それに目を落とした。
「処置した直後、君の間近にいたせいで可能性世界に飛ばされたらしい。夢の中のの世界だけど、本体も夢の中に入り込んだパターンになったってわけだ」
「それで?サラリーマンになる年まで過ごしていたの?」
「みたいだ。飛行機に乗っていたあの段階で21歳」
「……なら、目の前で眠っている子は21歳の頭も持っているってこと?」
「まさか、夢から醒めたのと同じだよ。きっともう忘れてる」
「なるほど…処置もした直後だし私のことも顔見ても分からないと」
「そういうこと」
蓮水さんがそう言った後、私はソファを立ち上がって窓の外を見る。
昭和53年の、今はきっと夏だ。
「それで?ここの世界はどういう世界?」
私は新たな煙草を咥えて言った。
火を付けて、窓を開けて煙を吐き出す。
「この世界は6軸に面した可能性世界だ。ここも直ぐに行動を起こして破壊するよ」
「なるほど…?なら、この子は?」
「引き取り手には連絡してある。彼らが来てから僕達の仕事を始めればいい」
「引き取り手…」
私は彼女の言った事を呟くと、改めて外を見る。
そして、もう一度だけ外を見ると、家の目の前に見た覚えのあるカエル顔の車が止まった。
「よう。夏祭りでもあんのか?」
降りてきたのは芹沢さんだった。
レコードキーパーの部長さんの彼氏にしか見えない人。
私は首を左右に振って否定すると、煙草を口から離した。
「引き取り手って芹沢さんの事だったんですか?」
「ああ。急に子供が余ったっていうからな。ただ…注射器処置しちまってるんだろ?…って入ってもいいか?」
「どうぞ」
そのまま立ち話になりそうだった所で、芹沢さんがそう言って家の中に入ってくる。
丁度、蓮水さんも子供を起こしたところらしく、彼は眠たげに目を擦りながら、周囲にいる3人の大人をキョロキョロと見回した。
これまで一言も喋らないあたり、大人しい子にしか見えないが…キョトンとした表情を見るあたり、状況が掴めていないだけらしい。
それもそうだ。
彼の主観じゃ、レコードによる処置の直後に電話ボックスに飛ばされて、今に至るようなものだから。




