4.空想世界の模範市民 -3-
「ここは軸の世界なんだから余計な真似は止して欲しいものだけど」
長い上り坂を登っていく最中。
前田さんは少しだけ毒づいたような声色で呟いた。
私は腰に付けたホルスターに手を伸ばしかけたが、それは前田さんに止められた。
「相手にしない。振り切ればいい」
彼女はそういうと、登り切った先のカーブを見据える。
私は唐突なジェットコースター体験に身構える余裕も、悲鳴を上げる間もなくフロントガラスの景色に釘付けになった。
左に折れて直ぐに右。
そして真っ直ぐ。
何度もギアを上げ下げして、そのたびにエンジンからは呼吸音のような"キュウン"とした声が聞こえてきた。
シートに張り付けられた私は、チラッとサイドミラーを見ると、さっきまでは真後ろに居たグリーンの車が遠くに見えることに気が付いた。
横の運転席にいる前田さんに目を向けると、彼女もそれに気づいたらしい。
ふーっと口元で小さく息を吐き出すと、速度を殺すこともなくアクセルを踏み続けた。
「ここから裏道を使っても高速道路には乗れるっけ?」
「確か…ずっと真っ直ぐ行けば行けるはずです。どうせ街に繋がるので…真っ直ぐ行って右です」
「そうだよね」
結局、坂の多い街並みが目に移るまで飛ばし続けた前田さんは、市街に入っても周囲の車を縫うように走らせた。
黄色信号になった交差点に突っ込んでいき、急減速とともに車の鼻先は右を向く。
タイヤの悲鳴が聞こえて、私は目を見開いて身体を強張らせたが、車は交差点を曲がり終えて、高速道路に繋がる坂道を駆け上がっていった。
「ふー……ごめんなさい。驚いた?」
「ええ…それは、もう……」
私はまだ恐怖心が消えないが、かろうじて彼女の問いに答えられた。
「きっとポテンシャルキーパーだ。君がここに居ることを感知して処置しに来たんだろう。何時かの…夜みたいに」
「じゃぁ、あれはポテンシャルキーパーのレナ?」
「おそらく」
「なら、勝神威に来るんじゃ?」
「おそらく」
前田さんは淡々とそういうと、新たな煙草を一本咥えて火を付ける。
煙を一つ吐き出した後、一瞬だけ私に目を向けると、直ぐに前を向いた。
「大丈夫。勝神威のレコードキーパー達は俊哲が持っているマンションに集めたから」
「え?いつの間に?」
「さっき、日向で。あそこなら彼らは手出しは出来ない」
「成る程…でも、ここは軸の世界なのに容赦無いですね」
「ポテンシャルキーパーにも立場がある。彼らの仕事は可能性世界が他の世界の影響を及ぼさないことだから…貴女のような存在は多少影響を及ぼそうとも消しにかかる」
前田さんはそういうと、ギアをトップに入れて…左手でハンドルを掴んで、右腕をドアの窓枠に当てた。
「蓮水は何て言ってた?ポテンシャルキーパーのこと」
「何時か絶対に消してやるって…行く先々で必ず襲われるので…1週間でほぼ毎日。蓮水さんは…私と会う前からそれがずっと続いてた見たいで、ちょっとイライラしてたみたいです」
「そう。パラレルキーパーだった頃から毛嫌いしてた節があるし。そうなるか…でも、間違えてでも彼らを消すような真似はしないこと。徐々に数が増えてきたとは言え、人手不足が深刻だから…ここから数を減らすようなことがあったら…軸の世界は守り切れない」
前田さんの言葉に、私は小さく頷く。
蓮水さんを止められる気はしないが…
そんな会話を重ねている間も、車は平成の時代にも残っている高速道路を進んでいった。
前田さんが短くなった煙草を灰皿に捨てる。
「……そっちの前田さんにも襲われました」
一瞬静かになった車内で、私はポツリと言った。
「僕に?手ごわかった?」
「それはもう」
私がそういうと、前田さんは小さく口元に笑みを浮かべた。
「だろうね。僕だって彼女の相手はしたくない。でも、これから先はやり合う場面が出てきそうだ」
「…私達に関わったから?」
「それもある。だけど、どのみちそうなるのは分かってた」
「え……?」
「ポテンシャルキーパーだからさ。彼らは…何ていえばいいんだろうね?平成生まれの君に…ああ、充電が必要な機械って言えばいいかな?」
前田さんの言葉に、私は少しだけ首を傾げる。
彼女は一瞬私の方を見ると、私の顔を見て肩を竦めた。
「スマートフォンだっけ?画面のついた電話」
「はい…」
「それは、充電が切れたら使えない。それと同じ。彼らはポテンシャルキーパーになった時点で充電残量が決まっているようなもの」
「で、充電も出来ないって…?」
「そう」
私は唐突に知ったポテンシャルキーパーの事実に驚いて言葉を失う。
前田さんは、そんな私の様子を見ると、表情を一つも変えずに口を開いた。
「蓮水もそこまでは言わなかったんだ」
「はい…ただ死んだ人だけがなれるって」
「成る程…ただ、それは事実なんだ。彼らは必ず精魂尽き果てて可能性世界に取り込まれて消えていく…レコードも残酷だ。レコードの通りに死までの期間を遂行しきってようやく死ねたというのに、まだレコードに縛りつける」
彼女の言い方は、どうもこの世界のレコードのことを快く思っていないような言い方だった。
「更にポテンシャルキーパーは"推薦"することによって死人を取り寄せて仲間に引き入れることだってできる。役目を終えて、もう生きなくていいはずの人間の目を覚ますのは悪趣味だ」
そういう前田さんの目は何処までも澄んでいて、そして冷たい顔をしていた。
余り口数の多くない、大人しくて何処か怖い雰囲気の彼女がここまで感情的になっているのを見るのは初めてだったから、私は何もできずに聞き役に徹するしか出来ない。
「そうやって、余計に生き返った人間の最期の様子は結局、彼らが仕事として消して回ってる可能性世界の人間と何ら変わりはない。それはそう…あれだけ消して回っていた世界に取り込まれた挙句に消えてなくなる。最期は僕達が赴いてその世界を消すんだ」
彼女は徐々に声色を強めて言った。
「ポテンシャルキーパーとは仕事を共にすることが多い…そのもう一人の僕とて例外じゃない」
前田さんはそういうと、急に無言になった。
エンジン音と風の音だけが車内に聞こえてくる。
私は膝の上に置いたレコードに目を落とすと、もう一度前田さんの横顔を見つめた。
前田さんがポケットから煙草の箱を取り出して、煙草を一本、口に咥える。
シガーライターを押し込んで、カチ!っという音と共に元の位置に出てきたそれを掴みあげると、煙草の先端に押し当てて火を付けた。
車はもう札幌についていた。
さっき過ぎた看板が、それを示してくれる。
目的地の勝神威まではあと少し走れば良い。
私は何も言わなくなった前田さんから目を離すと、レコードを上着のポケットに入れた。
左腕を開いたままの窓枠に付けて頬杖するような体勢になる。
結局、あれから車内で会話が交わされることは無く勝神威のインターチェンジで高速を降りた。
何度か…手で数えるしか無いほどにしか来たことがないが、最初にここに来たのがレコードキーパーになって最初の大事件だったこともあって、目の前の景色には馴染みがあった。
昭和の…1985年の世界でも、あの時の面影は残っている。
彼女は勝神威の町の中心部に車を走らせた。
そんなに大きくない街だ。
直ぐに目的地についたようで、前田さんはウィンカーを上げながら車を減速させていく。
入っていったのは、街の中心部にある、一番の高層マンションの駐車場だった。
晴れ渡っていて、日差しが車の中に入り込んでいたが…駐車場に入ると一気に暗闇に覆われた。
心もとないこの時代のライトを点けて駐車場の地下へと入っていく。
何度か見たことがある銀色のスポーツカーの横に車を止めると、前田さんはエンジンを切って車から降りた。
私も降りて前田さんの横に並ぶと、彼女は配電盤の前に立ち止まって、躊躇することなくそれを開く。
「え?…」
驚く私を他所に、彼女は淡々と配電盤の中の機械を弄り始めた。
配電盤の中に赤く光る掲示の横。
キーボードのような物に彼女の指が走る。
ST-38S19Y-02D-07M
真っ赤に光る文字が見える黒い画面にそう記されたのち、彼女はエンターキーを押した。
その直後、真っ赤だった文字が緑色に光った。
そして聞こえてくるブザーの音。
背後から何かが沈み込むような音が聞こえて、ビクッとして振り返ると、銀色のスポーツカーが止まった箇所だけが人の背丈分だけ沈み込んでいく。
「こんなことにしていいんですか?」
「ルール違反じゃない。ここは俊哲のテリトリーだから」
床が降り切ったのち、前田さんはそう言って窪みに飛び降りる。
私はそれを見て少し戸惑ったが、直ぐに彼女の向かう先に階段があることに気づいてそこから下に降りた。
車の真正面。
沈んだ床の中に隠れていた扉に手を掛けた前田さんは、一瞬だけ私を見ると、躊躇すること無く扉を開ける。
扉の向こうは明かりが点いた部屋だった。
何もない、玄関のようなホール。
前田さんはそこをスタスタと歩いて奥まで行くと、もう一つの扉を開く。
カランコロンとベルの音を立てて開いたドアの向こう側。
見えてきたのは大きなビリヤード台に、ダーツ版…そして射撃場。
既に人がいるみたいで、煙草の煙とジャズの音が聞こえてきた。
「お揃いで何より」
前田さんはそう言ってバーカウンターに腰かける。
私も前田さんの横に座って煙草を一本取り出した。
目の前に居たのは小野寺さん。
前田さんの向こう側には蓮水さんが居て…彼女の前にはグラスに入った飲み物が置かれていた。
「意外と直ぐだったんだ。日向から」
私が煙草に火を付けた頃。
小野寺さんは優し気な顔でそう言った。
「そう。途中でポテンシャルキーパーに追われたから速かった」
「……参ったね。ここに来そう?」
「僕達を敵に回す覚悟があるのなら来るだろうね。だけど、その時は彼らは期限切れも同然だから気にしないでいい」
前田さんはそういうと、彼女も煙草を一本咥えて火を付けた。




