3.空想世界の放浪者 -4-
彼女はそういうと、灰皿に置いた煙草を取って口に咥えた。
煙草の先端が少しの間だけ赤くなって…それから煙草を口から離した彼女は煙を吐き出す。
「最初はレコードからの指示に従って動いてた。…結構な時間、一人で仕事をこなしてたけど、そのうちにパラレルキーパーは増えていった。ポテンシャルキーパーも、レコードキーパーも…日本人だけじゃなくて、世界中に、ね」
「その…だったら、最初に言ったあの場所…なんか不思議な商店街って蓮水さんがパラレルキーパーになった頃は無かったんですか?」
「いーや。あったよ。駅もあの商店街も…廃墟同然だったけど。僕以前にも、パラレルキーパーがそこにいて、今と変わらない活動をしていた痕跡もあった。僕だけしか知らないことだけどね」
彼女は短くなった煙草を灰皿にもみ消しながら言った。
「彼らが消えた先が"向こう側"ってわけ。きっと大多数は精神的に消耗しきって時空の狭間に飛ばされたんだろうけど、全員が全員そうなるとは思ってない」
「だから…あるかもわからない"向こう側"へ?」
「あるかわからないっていうのは違う…方法は見つけた…」
「見つけた?」
「そう。さっき見つけたというよりは、ヒントを手に入れたという方が正しいかな…前田千尋だ。空想世界で出会ったレコードに載っていない存在。なのに、彼女はそこにいて…レコードに載っているはずの人間と暮らしていた…レコードの管理から本当に外れた人間ってこと…」
「じゃぁ…目的は追加ってことでいい?」
「追加?」
「私の創った空想世界だっけ?それを全部壊して回りながら、"レコードに載ってない"前田さんを探し出す」
「ああ……当面の僕達の目標はそれでいい」
彼女は私の言葉に小さく口元を緩めて答えると、直ぐに首を左右に振った。
「だが…その前にやることがある。まずはポテンシャルキーパーの連中の処理だ。ハッキリ言って邪魔だからね。彼らは必ず滅して見せる。次にパラレルキーパーの説得…彼らはポテンシャルキーパーと比べれば話が通じやすい相手だ…だから、どこかで彼らを味方に付けられれば良いんだけど」
蓮水さんはそういうと、まだお皿に残っているチキンをナイフで一口大に切り刻んだ。
切ったそれを直ぐに食べると、蓮水さんは溜息を一つ。
「ポテンシャルキーパーがもう少し話の通じる人間であれば良かったんだけど。人の質が悪いんだ。構ってられない」
どうも彼女のポテンシャルキーパーに対する評価はぞんざいだ。
何か嫌な思い出でもあるのだろうか?
「結構辛辣ですね。ポテンシャルキーパーに。レナも前田さんもポテンシャルキーパーとしていますけど…彼女達ってレコードキーパーとか…パラレルキーパーとかとは違うんですか?」
「ああ。全然違う。死を経てポテンシャルキーパーになったから…死を経ているのは僕もそうだし、パラレルキーパーにも大勢いるけど…何よりも人として終わった者がポテンシャルキーパーに選ばれる。死を受け入れて、生への執着心がない…生への執着心が無い」
「ああ……」
「今のところ、彼らは眠らせて無力化するほかないけど…何とかして彼らを狭間送りに追い込む方法を考えないと…」
彼女はそう言ってから、私の目をじっと見て、ハッとした顔をする。
「君のルガーも別のに変えよう。その場しのぎだったし、ルガーは銃としてタフじゃない」
「タフじゃない…?」
「ああ、大昔の銃だし、職人の手作りでね。ラフに扱えばすぐ拗ねる。1951年以前には行かないんだから、そんな1800年代末期の銃を使う必要もない…この世界なら、少しは時間があるだろうから、直ぐに調達出来るはずさ…」
「そんなに昔の物だったんですね…」
「タフさだけなら迷うことなく38口径のリボルバーだけどね。消音器を付けるとなるとオートマチックしか選択肢は無くなる。ま、食べ終わってから少しだけ時間を貰うよ」
彼女はそういうと、綺麗に食べきったチキンの皿をテーブルの脇に除ける。
出したまま置いていたケーキをテーブルの中央に置くと、いつの間にか空になっていた私達のグラスにシャンパンを注いだ。
「久しぶりのケーキでね。楽しみでたまらなかったんだ」
彼女はそう言って小さく笑うと、小さなナイフでケーキを6等分に切り分けた。
・
・
ケーキの甘未とシャンパンのアルコールに刺激を貰ってから30分後。
私は蓮水さんに連れられてマンションの地下室に来ていた。
パラレルキーパーだった頃の彼女が作った隠れ家。
レコードには載ってない秘密基地。
レコードでは1階で止まるエレベーターで、地下1階まで進んで降りた先にある広い空間。
「パラレルキーパーは"軸"の世界ごとにこうやって根を張ってる。部屋もそうだけど、レコードに無い空間を削り出してね…3軸のこのマンションは芹沢俊哲のだけど、4軸は僕の物さ」
前を行く彼女はそう言って、重厚な扉を開ける。
開いた扉の向こう側。
私は思わず口を半開きにして見せた。
「これ、何かの映画を参考にしたの?」
私はそう言って部屋を見回す。
3つに区切られた空間は、1つが衣類の掛かったクローゼット…1つは多数の銃器や弾がズラリと並ぶ武器庫…そしてもう一つは…少し細長い空間だ…空間の一番奥に見える的から察するに、射撃場だろうか?
蓮水さんは部屋に入ると、一言も喋らずに銃器類が並ぶ部屋へと入っていった。
「君はシューティングレンジにいて欲しい。ヘッドセットを被って待ってて」
私が続こうとすると、彼女は振り返らずにそう言った。
私は言われた通りにする。
煙草を咥えて火を付けて…射撃場の撃つところ…そこのテーブルに置かれていたヘッドセットを被った。
「……」
煙草を吹かして待っているのも何だったから、適当に、テーブル脇の壁にあったスイッチを押してみる。
チン!と音が鳴って的がこちらに寄って来た。
映画とかで見たことがある光景だ。
私はまだ一発も貫通していない的の用紙を見て、映画の中にいるみたいだと思いながら口元に小さく笑みを浮かべる。
もう一度スイッチを押して、的を遠くに戻すと、丁度奥に入っていった蓮水さんが料理が乗っていそうな大きなワゴンを押して出てきた。
載っている物は、料理ではなく拳銃だ。
それも多くの拳銃…弾薬…弾倉…
彼女は私の方を一目見ると、載っていた小さな拳銃を一つ取って私に寄越す。
私はそれを受け取って、彼女の方に耳を傾けた。
「適当なの渡していくから、弾が尽きるまで撃ってほしい」
彼女の言葉に頷いた私は、受け取った拳銃を見下ろすと小さく頷いた。
「セーフティは解除してる。ハンマーも降ろしてる。骨董品ばかりだけど快調に動くものばかりだよ」
彼女はそう言って私の横に並ぶ。
私は一歩前に出て、位置に付くと、ゆっくりと狙いを定めて引き金を引いた。
消音器のない銃口から、乾いた銃声が鳴り響く。
小さな拳銃の反動は一切感じない。
エアガンみたいだ。
私はそのままの調子で弾が切れるまで引き金を引き続けた。
「次は…これ」
蓮水さんは直ぐに次の銃を持ってくる。
今持っていたのよりは一回り大きいが、彼女の持つ拳銃よりは随分と小さい。
さっきと同じように弾を撃ち尽くすと、蓮水さんは次の銃を寄越さずに壁のスイッチを押し込んで的を引き寄せた。
「慣れてる撃ち方だ。君も細い割に力がある」
蓮水さんは10発以上の弾の痕がある的を見て言う。
小さく口元に笑みを浮かべると、何も言わずに私が口元に咥えたままの煙草を取った。
灰を灰皿へ落として、私が吸っていた煙草を咥えた彼女は、私の手元から拳銃を取ると、代わりに彼女が使っていた拳銃を私の手に置く。
「ルガーの9mmには苦労してたけど、どうせ麻酔銃にするなら減装弾だからね。結局これで丁度よかったのかもしれない」
私は彼女にそう言われてから、握った拳銃を見下ろす。
見間違いでなければ、これは麻酔銃に改造された方の蓮水さんの愛用銃だ。
後から同じ型の別物を用意していたが…そっちはマットブラック。
私の手にあるものは、若干青みがかって、年季の入った物。
「これは…」
「言っただろう?調達出来るって。撃ってみてよ」
彼女にそう言われた私は、壁際のスイッチを押して的を遠ざけると、すぐさま的に狙いを付けて引き金を引いた。
先ほどよりも鋭く重い反動が肩まで突き抜ける。
私は少しだけ歯を食いしばって13発の弾丸を撃ち込んだ。
最後の一発を撃ち込むと、数十発撃ち込まれていた的がバラバラに引きちぎれて…紙切れが床に落ちていく。
スライドが開きっぱなしになった銃を持った私は、ゆっくりと蓮水さんの方へと振り返った。
「見事」
彼女はそう言って私の手元から拳銃を取り上げる。
「ルガーは苦労してたみたいだけど、あんな骨董品を押し付けた僕の責任。これが最初から余っていたのなら、これにしてたさ…仕上げにこれを…」
彼女はそう言って拳銃をワゴンの上に戻すと、もう一丁取り出して私に手渡した。
拳銃じゃないそれは…鉄パイプにワイヤーと使い込まれた濃い色をした木製の部品が付けられて…下ではなく横に突き出た突起物…弾倉?が特徴的な少々大きな銃。
私はそれを両手で持つと、首を傾げてそれを見回した。
「エンフィールド ステン。古いイギリス製のサブマシンガン…僕が使ってたものだけど、本当に久しぶりに引っ張り出した」
「マシンガン?」
「拳銃じゃ物足りないだろうからね。手は回しておくに限る…弾も9mmで同じだから、都合がいい」
彼女はそう言って私の肩を押して射撃場に誘った。
私は彼女に言われる前に、ゆっくりと銃を構えて引き金を引いた。
「…!」
銃の前方が消音器のようになっているせいか、くぐもった発砲音。
肩に連続して伝わる反動が少々きついが、捌き切れないほどでは無かった。
直ぐに弾倉を撃ち尽くし、硝煙と静寂が部屋を包み込む。
ふーっと溜息をついた私の横で、蓮水さんは満足そうに頷くと、私から取った煙草を灰皿にもみ消した。
「決まりだね」
「この…ステン?とかいうのと、蓮水さんのと同じ拳銃で?」
「ああ…それを持って世界を壊して回ろうじゃないか」
彼女はそういうと、私が持ったままだった銃を取って、作業台の上に乗せる。
もう二丁、同型のマシンガンと、拳銃も作業台に載せると、慣れた手つきで銃をバラバラに分解し始めた。
私は新たな煙草を咥えて火を付けると、少し離れた場所から蓮水さんの手元を眺める。
「こっちのブローニングも、ステンもずっと僕が使ってきたやつなんだ。1951年以前に普遍的にあって、お眼鏡に叶う物を選び出すんだったら選択肢は余りない」
手を動かしながら彼女はそう言った。




