3.空想世界の放浪者 -2-
「え?3軸?」
私は蓮水さんが急に語りだしたレナのプロフィールを聞いて、思わず聞き返した。
3軸は、私が居た世界。
その世界のレナは自殺を選ばずレコード違反を起こしてレコードキーパーになっているはずだから。
「そう。3軸…その世界に生きて死んだのが彼女だ」
「待って、理解が追いつかない。3軸は私が居た世界ですよ?」
「そこは…君へのクイズにするとしよう。さて…君の備品を返したところで、だ。繰り返しになるけど、僕達はレコードを持っていて、レコードの管理下から外れてる」
「……」
「条件は同じはずだ。僕達が町を歩いて、数秒間狂わせたのだとしたら、君達のそれと同じように、レコードが勝手に修復するはず…知ってるだろう?」
「知ってる。だけど…」
「だけど僕と君達のでは存在が違うとでも?レコードを持っているのなら、それはレコードに縛られないことを示してるだけなんだ」
蓮水さんは、レナの発言を遮ってそういうと、彼女のレコードを取り出してページを開く。
「第一、僕が居たからといって必ず世界が正常に終わらない訳じゃない。僕が漂流してきた可能性世界の大半は、僕がそのまま暮らしていても平和のまま消滅していった…君達の手も必要なく、ね」
蓮水さんは何時の間にか表情を消していた。
じっと睨みつけたままのレナを見据えて、ゆっくりと口を開く。
「ハッキリと言ってしまえば、君達のような存在は邪魔でしかない。僕から言わせれば、君達ポテンシャルキーパーが入り込んできた世界の方が異常だと思ってる」
淡々と、刺々しい言葉を放つ蓮水さん。
直後、静寂が部屋を包んだが…その静寂のお蔭で、何かの異質な音がなっている事に気が付いた。
「ん?」
私は不意に窓の方に目を向ける。
がさがさと、外壁を引っ掻くような音が聞こえていた。
その直後。
私は驚愕に目を剥ぐ事になる。
降ろされるロープ。
降りてくる人影。
手に持った棒状の物が寸分の狂いも無く私の腹部に向いている。
直後に銃声。
ガラスの張り裂ける音に、私の腹部が貫かれた感触。
それでも、痛みと死がやってくる数刻の間に…"降って来た"何かをよく見ることができた。
レナと同じ意匠のセーラー服に身を包んだ少女が、散弾銃らしき物を片手に飛び込んできている様子がハッキリと両目に映し出される。
レナの目付きを鋭くしたような顔。
レナと違って外側に膨らんだ髪。
そして、血走った目は私に明確な殺意を向けていること。
腹部を文字通り抉って貫かれた私は、飛び込んできた彼女の蹴りをそのまま真面に食らう事になった。
「…!」
私は声も出さずに蓮水さんの方へと吹き飛ぶ。
一瞬の出来事に、蓮水さんも動く暇は無かったらしく、私の肉片と血と本体を真面に受けることになった。
派手な音を立てて崩れる棚と壁。
私と蓮水さんは続けざまに放たれた散弾を受けながら、隣の部屋まで吹き飛ばされた。
「お姉ちゃん。迎えに来たよ」
死から再生した私達の耳に聞こえたのは、少し低いけど、どこかで聞いたような声色の女の子の声。
お姉ちゃん。ということは、レナの妹だろうか?
「ごめんなさい、ちょっと失敗。あの倉庫に居た他の人達は?」
「もう他の処置に回ってるけど、もう手が追いつかないから。この世界は壊すことにしたよ。千尋にも言ってる」
瓦礫か…何かが積みあがっているせいか、こちらから向こうの部屋の様子は見えない。
それは向こうからも同じで、私と蓮水さんが瓦礫の下敷きにでもなっていると思っているようだった。
「でも、一体ここは何処?レコードにない場所に居るんだから」
「時任蓮水のセーフハウス。そう…この場所はレコードにないんだ…目立つ場所にあるマンションなのに」
「うん…こういうのも、この世界を狂わせてたのかもね。歪であればあるほど…」
「パラレルキーパーに後を任せよう。何となくだけど、理解できたこともあるしね」
レナがそう言い終わると、銃声が3発聞こえてくる。
私達の居る場所の近くに弾が当たった。
いつの間にか弾倉を入れ替えたのだろう。
「去り際でいいから、今私が撃った場所の近くに、散弾を当てておいて…瓦礫の下で生き返ってるだろうから…トドメはさせないけど、時間は稼げる」
その一言と共に、2人分の足音が聞こえる。
私も蓮水さんも、瓦礫の下敷きになったせいで身動きが取れないが…今撃たれた場所の近くに台所があったことだけは覚えていた。
カシャン!という、散弾銃特有のコッキング音。
その直後に聞こえた銃声の直後、私達の意識は彼方へと飛んでいった。
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目を覚ました私は、体の上に覆いかぶさっていた瓦礫を除けて体を起こした。
地中深く埋もれていたら諦めもついたのだが、瓦礫の隙間からは日差しが見えたから…
起き上がって、体中に付いた砂利をほろい落すと、改めて周囲を見回すと、私はマンションの前の道路の上にいた。
蓮水さんの黄色いポルシェが見える。
その車は、運よく瓦礫や落ちてきた私達を受け止めなかったらしく、綺麗なままだったが…周囲の光景は災害の直後かと思う程。
私達が居た11階のあたりは崩壊しており、そこから落ちてきた物が地面や周囲の家、車を破壊してしまっている。
私はそんな光景と、嫌という程に感じるレコード違反者が沸き起こった感覚に苦笑いしながら、煙草を1本咥えた。
煙草の箱を上着に仕舞ってから体中を探ると、持っていたのはレコードと、クレジットカート…そして、蓮水さんに渡された拳銃とその弾倉。
ルガーP08という、昔のドイツ製の拳銃。
私はそれを持つと、中に弾薬が入っていることを確認してから、蓮水さんを探し歩くことにする。
可能性世界の最期。
そこでは、世界中の人間が暴走するらしい。
誰かの夢が永遠に覚めぬよう、可能性世界の主を探し求めて、人は暴れだす。
周囲の光景を見ていると、まさにそんな光景が映し出されていた。
銃声こそ鳴り響かないが、街の人々は殺気だった様子なのは間違いない。
私はもう一度、右手に持った拳銃を見下ろす。
「見つけた。こっち」
銃を見下ろして、覚悟を決めようとしていた私に掛けられる声。
すぐさま顔を上げると、私の直ぐ傍に蓮水さんが立っていた。
彼女は私に昨日から使っている擲弾銃とその銃弾をを押し付ける。
「ポテンシャルキーパー…所詮は2流品の溜まり場だ。この程度で世界を壊しているようだったら、軸の世界は何個無くなってることやら」
彼女は淡々とした表情でそういうと、私に手招きをしてから歩き出した。
「唯一の救いは、ここに居たこと。こっち」
「こっちって…入ってきた電話ボックスはここじゃないんじゃ…」
「パラレルキーパーは神出鬼没だよ?首都とも在ろう街なら、そこら中に穴は開けてある」
彼女はそう言って小さく笑う。
狭い路地のようなメイン通りの歩道を行く私達の周囲は、常に怒号とざわめきの中にあった。
蓮水さんは気にせず煙草を一本咥えて火を付ける。
私も彼女につられて煙草を咥えて火を付けた。
「世界の終わりが目の前に迫った時。最後、世界が無に帰すその時を見たことは無いでしょう?」
一度目の煙を吐き出した彼女はそう言った。
私は小さく頷く。
「君は3軸の21世紀初頭のレコードキーパーだったから…2回時間跳躍を経験してるわけか。綺麗だった?」
「え?…ええ。二度と忘れたくないくらいには…何度でも、何時までも見ていられるくらい綺麗でした」
「あれと比べたら、どうだろう。凄く短く感じるし、冷たく感じる」
蓮水さんはそう言って、地下に繋がる階段を降りていく。
私もその後を追った。
「一瞬…とまではいかないけど、それは素早いんだ。昔の電化製品みたいにね、スイッチが切れても少しの間は惰性で時が刻まれる」
彼女はそういうと、足を止めて煙草を吐き捨てた。
煙ったままのそれを足でもみ消して、ゆっくりとした動作で拳銃を取り出す。
「さっきので僕達が生き埋めになったと信じてほしかったけど」
そう言った彼女の視線の先…私もつられて見た先には、派手な銃声と共に次々と殺されていく人達の姿。
地下鉄駅のコンコース。
折り重なるようにして倒れた人達が目指していたのは、普段は入ることのない立ち入り禁止通路。
そこから放たれた銃弾は、狭い通路に折り重なるようにしてなだれ込んでいた人の命を纏めて刈り取っていった。
やがて銃声が鳴りやみ、硝煙と静寂が舞い散った空間になる。
次々と人が殺されている合間にも、ジワジワと、蓮水さんと私はその通路に近づいていった。
蓮水さんは麻酔銃を、私は擲弾銃を持って立ち止まる。
コツコツと、足音の響く空間の中から出てきた少女は、半ば呆れたような顔をして私達の前に立ちはだかった。
丁度、彼女が持っていた大型拳銃は弾が尽きたらしく、空弾倉が地面に放り出される。
「この先に何か用事でも?」
「ああ。その先は僕の使ってた扉があるんだ」
蓮水さんは止めた足を再び前に進めながら、ゆっくりと拳銃を向ける。
「またお昼寝したいのなら別だけど。そこを退いてくれると助かる」
コツコツと、不気味に聞こえる足音。
私はその一歩あとを付いていった。
前にいる少女…レナは一切私達から目を逸らさず、そして一切後ずさりしない。
無表情だけど、どこか、何か企んでいそうなその顔が微かに揺れた時、私は蓮水さんの背を押しながら、咄嗟に背後に振り返った。
「!」
驚いた蓮水さんは直ぐに銃の引き金に手を掛けたらしい。
私も、振り返った光景を確認する間も無く引き金に掛けた指を引いた。
響きの良い銃声と、ポン!と強くなさそうな音に、それらをかき消すほど大きな音を発した銃声。
3つの弾丸が一気に交差する。




