2.空想世界の異端者 -Last-
煙草を一本取り出しながら言った蓮水さんに、私はちょっと驚いた表情を浮かべるが、直ぐに小さく首を振った。
「急に言われても思いつきませんよ…蓮水さんは?」
「…特に。昼間の東京は混むから嫌いなんだ」
朝食を食べ終えて、倉庫の壁に掛けられた時計は11時前を示していた。
何処にも行かないと決めた私達は、倉庫から出ないで思い思いに過ごすこととなる。
私も彼女も、倉庫に備え付けられていたシャワーを浴びた後に、何故か箪笥に入っていた私服に着替えて休日を謳歌する体勢は整った。
蓮水さんは相変わらず、作業棚に向かって彼女の拳銃を弄りまわしている。
私は、読書でもしていようと思っていたのだが…この倉庫は本が1冊もない。
仕方がないから、レコードを開く。
レコードを開くと最初のページには幾つかのレコード違反が挙がっていたが、数は多くなかった。
蓮水さんのいう通り、世界が終わる4日前の世界は平和そのものだ。
私は適当にペンを走らせる。
3軸に近い世界なら、今が2018年なら、私はもうこの世から去った頃合いだ。
例えレコードのミスで産まれた人間だとしても、もう3軸の歴史は溯れない。
サラサラとペンを走らせて、私の名前を書く。
レコードに吸い込まれていった文字は、直ぐにこの世界の私の人生を映し出した。
所々歯抜けになったレコード。
父は可能性世界の人間。母は3軸の世界の人間。
歯抜けになっていたのは、母の記述。
父が3軸に紛れ、レコードが混ざり合った時期に出来た子供が私。
出来てしまった以上、私にも可能性世界の住民であることは出来たらしい。
レコードの大筋は変わらずに、最期は結局3軸のそれと変わらなかったが。
私は自分のレコードを一通り読み終えてから、煙草を咥えて火を付けた。
そのまま、煙草を煙らせて、レコードにペンを走らせる。
"平岸レナ"
蓮水さんと会う前…私が最後にあった人。
人のレコードを見るのは…普段はやらないし、レコードキーパーの頃にもやったことはないけれど、何故か私は気にせずにペンを走らせていた。
レコードは少しのタイムラグがあった後、文字を飲み込む。
何時かの彼女が言っていたが、彼女がレコードを違反しなかった場合、今の私の年齢に届く前に死んでいる。
この世界でもそうなのだろうか?そう思った私の目に入って来たレコードは、真っ赤な文字に染まっていた。
私は煙草の灰を落とすのも忘れて目を見開く。
レコード違反?このタイミングで?
そう思って見つめたレコードに書かれていた彼女の現在地は意外過ぎる場所だった。
"2018年6月13日午前11時27分33秒:東京都 レインボーブリッジ"
私はレコードに浮かび上がった文字を呼んで徐々に心音を高めていった。
"特殊処理対象の処置任務中"
赤字はレコード違反を示すものではないということを、この表示で初めて知った。
"平岸レナの素性は……?"
何でも飲み込んでくれるレコードに、私は思わずといった風に問いを書く。
文字を飲み込んだレコードは、レコード違反を示す赤字よりも、鮮血に近い赤文字でこう返してきた。
"ポテンシャルキーパー"
浮かび上がった文字を見た私は思わず声を上げる。
"やっと追いついた。白川さん。そこまで"
脳裏に浮かんだのは、レコードキーパーとしての最期の夜。
機械的な口調で、表情を一ミリも変えない能面で私にかけた言葉。
直後、派手な爆発音が鳴り響き、頑丈な倉庫がグラリと揺れた。
「な…!」
驚く間もなく、私は飛び上がって蓮水さんの方に駆け寄っていく。
彼女は表情を変えず、私が持っていた銃を入り口に構えて躊躇なく引き金を引く。
ポン!
その音と共に飛び出した弾丸は、カラカラと音を立てて直ぐに煙をまき散らした。
「奥に行こう」
そう小さく言った蓮水さんは、私の手を引きながら数発続けて銃を放つ。
「2人奥に逃げた!追うからここの処理は任せたよ!」
キャットウォークの方から叫び声が聞こえてくる。
その声は、今は私達に敵対すれど、聞き慣れた声。
「レナだ!」
「何だって?」
倉庫の奥へと掛けていく最中。
バン!と扉を蹴飛ばして次の部屋に入った直後。
私の言葉に反応した蓮水さんは、手にしていた銃を私に押し付けると、麻酔銃に改造した彼女の拳銃を取り出して撃鉄を起こす。
「1階の入り口に撃ち込んで!」
そう叫ぶ蓮水さんに従った私は銃を構えて引き金を引く。
ポン!
バン!
入っていた弾薬は、煙をまき散らすそれではなく、強烈な音と光を放つ弾薬。
キーンと耳鳴りがして、一瞬視界が真っ白になった。
直ぐに視界が回復し、真っ先に見えたのは、蓮水さんが誰かに向けて銃を放つ姿。
直後に蓮水さんの方に勢い良く倒れてくるのは、あの日の夜から様変わりしていない、セーラー服姿の少女。
驚く私を他所に、蓮水さんは倒れ伏せた彼女を一瞥すると、私の方に駆け寄ってきて手を引いた。
「チェ!平和な休日のはずだったのに。この世界でも襲ってくるとは、流石はポテンシャルキーパー様といった所さ」
珍しく毒づく彼女の引っ張られて、倉庫の外までやってくる。
外…というよりは裏手側。
数人のポテンシャルキーパーと思わしき人間が居たが、蓮水さんが一瞬で眠らせた。
「あのZ以外にも移動手段はあるんだ。しかし解せない」
倒れ伏せて、眠っている人達の横を通り抜けながら、蓮水さんは言った。
「この世界で事を起こせばどうなるか、彼らは分かっていないんだろうかね?」
「既に混ざってるのに、これ以上混ざり合ったら…どうなるんでしょう」
「それは…3軸が軸の世界から脱落して…どうなるかなんて考えたくもないけど」
蓮水さんは、赤い上着のポケットから煙草を取り出して咥えると火を付けて煙を吐き出した。
「レコード、見れる?」
彼女に言われるがまま、私はレコードを開く。
すると、先ほどまでの平和な様子が一変していた。
どこもかしこも真っ赤なレコード。
そのすべては処理対象。
到底この世界のレコード持ちには対処なんてできっこない数だ。
「ああ…これは酷い。何時か3軸の危機があった時…1999年でも、こんなに数は多くなかった」
私は表示されたレコードのページを見て放心するような声で言う。
「んん……ああ。成る程」
煙草を煙らせながら、私が持つレコードを覗いた蓮水さんも、小さく頷く。
「彼らは僕達なんかよりも、サッサとこれをどうにかいいものを…」
「何だって私達は狙われるんです?レコードも持ってるのに」
「分からない。僕だって、いつの間にかパラレルキーパーから、今の生活に様変わりしたんだから」
「……そう、ですか…なら、聞いてみます?その、一番私が会話しやすい相手に」
レコードを開いたままそういう私を、蓮水さんは少しだけ目を見開いて見つめてきた。
声には出さないが、貴女正気?とでも思っていそうな顔だ。
「レナです。平岸レナ。彼女は私が知ってる彼女じゃないけど、面識はあるんです。眠らせてるんだし…彼女の銃とか、レコードとか取り去ってしまえば、」
「……」
蓮水さんは、煙草を咥えたまま、じっと私を見つめて黙り込む。
そのうち、何度か小さく頷くと、煙草を口から取って地面に投げ捨てた。
「乗った。前田千尋とか芹沢俊哲を相手にするよりはやり易い相手だろうし」
彼女はそういうと、私に何かの鍵を手渡す。
「場所を変える。このまま奥に行って、倉庫の陰に回れば黄色いポルシェが置いてある。それに乗って待っていて」
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私は蓮水さんの言いつけに従って、倉庫の脇に止められていた黄色い車の助手席に座った。
黄色いポルシェは、きっと最新の車だ。
今までが昭和だったせいか、凄く未来の車のように感じる。
蓮水さんは、それから数分後。そんなに時間は取らずにレナを抱えてやってきた。
運転席のドアを開けて、後部座席に眠ったままの彼女を座らせると、運転席に収まってエンジンを掛ける。
「行こう」
「…一体どこへ?」
「芹沢俊哲が持っていたマンションだ。今は彼が居ないせいで、都心の廃墟になってる」
車を走らせだした蓮水さんは、そういうとアクセルを一気に踏み込んだ。
急に甲高くなるエンジン音。
シートにグイっと押し付けられる圧を感じる。
「彼女のレコードを見た。もうこの世界に残された時間は無いんだってさ…可能性世界はレコード通りに行かないものだね」
驚いた私の顔を横目に見た彼女は、そう言って薄っすら笑みを浮かべる。
途切れることのない加速力を維持したまま、高速道路へと上昇していった車のスピードメーターは、とっくに200キロを越えていた。




