2.空想世界の異端者 -3-
私は靴を履いたまま廃墟の中に入るなり、そう言った。
余り埃被っていない室内に目を向けながら、真っ暗な居間に残されたカーペットにへたり込む。
緊張が解けると、直ぐに腰が抜けた。
「案外、悲観主義?良いニュースを聞いて笑顔の一つでも作らないと」
蓮水さんはそう言いながら、部屋の明かりを付ける。
薄暗い明かりに照らされた居間。
蓮水さんはカーペットに座り込んだ私をいとも簡単に持ち上げると、ソファに座らせてくれた。
「で…悪いニュースかぁ……幾つもあって困るよね」
私の横に座った蓮水さんは、左手に持ったままの拳銃をじっと見つめながら言う。
「3つある。1つは、僕は前田千尋に敵わないということ。1つはこの世界の崩壊が他の世界に影響を与えてしまうということ。そして、最後は…彼らが僕達を狙う理由」
蓮水さんは右手で3本指を立てて私に見せる。
私は、半ば放心状態で蓮水さんの顔をじっと見つめる。
微かに私が首を傾げた後、蓮水さんは口を開いた。
「1つ目。前田千尋に敵わない。事実だよ。僕は彼女に敵わない。人を殺すために育てられた人間と、それを全力で回避するための工作に長けた人間が戦って勝てるわけがないじゃないか」
彼女はそう言って、短くなった煙草を廃墟のテーブルでもみ消す。
「どれくらい、前田さんは強いの…?」
「真正面からやり合えば僕が負けるくらい」
「その…真正面からじゃなかったら?」
「それはどうだろう?だけど、彼女が脳筋女じゃないことくらいは君も知ってるだろう?僕より強くて、ひょっとしたら僕よりも頭が切れるかもしれない。彼女からは全力で逃げることにするつもりだよ」
彼女はずっと、左手の拳銃に目を落としたまま言う。
「2つ目。彼らの介入によってこの世界はまともな終わりを迎えるのが難しくなった。それはレコードを持っている君でも分かるだろう?レコード破壊を一気に…よりによってレコード使いにやられたんだ」
「それは…気になってたんです。前田さんや芹沢さんがこんなことするのかなって…パラレルキーパーとして来てくれていたころは…とてもじゃないけど…こんなことする人だなんて…」
「それは認識を変える必要が有るかな」
「え?」
「さっきあったのはパラレルキーパーじゃない。ポテンシャルキーパー…可能性世界の管理人だ」
「それって…?」
「ポテンシャルキーパー。彼らはパラレルキーパーと違って、消えゆく世界に転移を繰り返しながら、転移した世界を終わらせるレコード使いさ。レコードキーパーだった君は知らないだろうね…だって軸の世界にいる限り、彼らとは会うことすらないのだから」
蓮水さんは左手の拳銃に落とした視線を、ゆっくりと私に向けた。
「ポテンシャルキーパー…聞いたことはありますよ?でも、前田さんに芹沢さんって…」
「パラレルキーパーにもいるよ。今の僕達はそっちにも追われる身さ」
「……そう…ですか…それで?すいません。話の骨を折っちゃって」
「ああ…この世界がまともに終われないというのは…今さっき破られたレコードに起因する…レコードを持つものによってレコード違反が故意であろうと何であろうと破られてしまった場合、レコード違反を犯した人間は知ってか知らずか…他の世界に流されていくんだ」
「……世界が交わる?」
「そう。どこかの世界にこの世界の…空想世界の人間が紛れ込んでいく。その世界のレコード持ちは暫く働き詰めになるだろうね。なんてったって可能性世界じゃなくて"空想世界"から迷い込んだ人間なんだ…」
蓮水さんは淡々とした口調ながらも、何処か普段の余裕を崩さないような笑みを浮かべて言った。
「どうやってここを感知して来たかは知らないが…彼らは当然、可能性世界の中でも異質なこの世界の仕組みに気づくはず。そして…既に前田千尋や芹沢俊哲といった…パラレルキーパーでも、ポテンシャルキーパーでも名を馳せた大物が僕達のことを補足してる…意味は分かる?」
「……例えここから逃げたとしても、私達に逃げ場も何も無い?…」
「ご名答。彼らのレコードに僕達は映らないだろうけど、状況証拠で幾らでも探し出せる方法はある。逃げても逃げても追いかけてくるんだ。参るよね」
「……それもこれも、私が創り出したから…?消えるはずだった人間が消えなかったから?」
「プラス…パラレルキーパーという枷から逃れて世界を漂流するだけになった人間を"処理"出来なかったから」
彼女はそう言って小さく笑うと、左手に持った拳銃の撃鉄を下ろした。
「さて…お相手様は僕達を退屈させてはくれないらしい」
彼女は右手で私の左腕を掴むと、そっと立ち上がる。
私も、腰が抜けて動けなくなっていた時よりはマシになったが、まだ少しだけ震える足を気にしながら、手を引かれるがまま蓮水さんに付いていく。
「外に出たら、真っ先に煙幕を上げよう。出て直ぐ右側…適当に撃ったら僕に続くんだ」
彼女はそういうと、私の左手を離す。
蓮水さんが玄関扉の横に立ち、私の顔を見つめてくる。
私はコクリと頷くと、彼女は戸に張り付いたまま戸を開けた。
私は息を止めて外に飛び出すなり、銃口を右側に向けて引き金を引く。
「走れ!」
引き金を引いた刹那。
すぐ後ろを駆けだして言った蓮水さんの言葉を聞いて、私は直ぐに反転して走り出した。
廃墟を出て数秒後。
角を曲がった先…廃墟の裏手側から聞こえてきた銃声は、煙で包まれた廃墟に向けられていた。
距離は…そこそこある。
私は蓮水さんの背中を追い続けながら、さっきよりも幾分か落ち着いて付いていく。
「突き当りの路地を出たら右にもう一発!遠くに飛ばして!」
前を行く彼女の張り上げた声を聴いて、私は手に持った銃にもう一発、弾を込める。
カシャン!と音を立てて装填が終わり、直後、私達は突き当りを左に曲がった。
一瞬だけ体を反転させて、スローに感じる一瞬の間に引き金を引く。
ポン!と銃声にしては弱そうな音と共に、強烈な煙幕を張る弾を放つ。
直ぐに蓮水さんの背を追って駆けていく。
路地を何度も曲がり、徐々に地上へと登っていく。
歪に進化した人工島の、狭いことこの上なく、入り組みすぎた道を、蓮水さんは迷うことなく駆けて行った。
「一体何処に?」
「次の世界まで!」
彼女の声を聞いた私は、驚きながらも後を追った。
やがて、地上までたどり着いた私達は、人気のない深夜の島を脱出する。
島の外周路に止めた蓮水さんのZまで走った私達は、少し息も切れ切れになりながら車に乗り込んだ。
「それ貸して!」
エンジンを掛け、ついでに火のついた煙草まで咥えていた彼女は、走り出してすぐそう叫ぶ。
私は何も弾が入っていない銃を渡すと、彼女は運転しながら浴衣から取り出した1発の弾を銃に込めた。
「人が乗っていないなら、僕だって物は壊せるんだ」
煙草を咥えながら、少しだけ滑舌を悪くしながら呟いた蓮水さんは、島の周囲をグルリと周っている最中、路肩に止められていた数台の車に向けてそれを放った。
窓から手を伸ばし、ドアミラー越しに定めて放たれた弾丸は、数台の車の止まった道に当たって派手な爆発音とともに破裂する。
その爆発に巻き込まれて、止まっていた車は殆どが炎を上げた。
私はドアミラー越しの光景が真っ赤な炎に埋め尽くされたのを見て驚いた顔で蓮水さんの方に振り向く。
「それって…?」
「40ミリグレネード弾。これの純正弾だよ。見ての通り"必要以上の威力"があるから使わないけど、今日は僕のおごりさ!」
彼女は何処か吹っ切れた様子で言った。
「…何処に行くんです?」
「何処か別の世界に」
私の問いに、彼女はそう答える。
制限速度なんて関係ないと言わんばかりにアクセルを踏み込んだ。
心もとない街灯の明かりと、車のヘッドライトが照らす橋の上を一気に駆け抜けると、車の鼻先は右を向く。
きっと、次の世界へ…なんて言ってたから、行先は電話ボックスなのだろう。
でも、あのボックスを出ても、きっと私達は安堵出来ないはずだ。
ついさっき…この世界に来る前のことを思い出した私は、少しだけ体を震わせる。
「僕が認識している限り、君の創り出した世界は10あるかどうかって所…当面はその全部を消すのが目標だったけど…彼らがあんな派手な手を使ってきた以上、安易にその世界に飛んで消される訳にも行かなくなった」
「一体どうしてポテンシャルキーパーの人ってあんな強引なんです?消える世界だからって、そんなことして他の世界に影響が出るのを知らないんですか?」
「まさか。彼らが知らないはずがない。それをやれば、パラレルキーパーが黙ってないはずなんだ」
「じゃぁどうして?ここが空想世界だから?」
「知らない。恐らくそうだといえるけど、確証が無いうちは知らないとしか答えられない。でも、彼らの攻撃は異常だよ。普通なら、レコードを壊さない為にあんな派手な行動を起こさないはずなんだ」
車内で私と蓮水さんは少しだけ棘のある口調で話し合う。
そうしている間にも、スピードメーターが3桁を越えたままの車はあの電話ボックスに近づいていっていた。
「迷ってるんだ。次の世界を君の空想世界にするか、ただのそこら辺の可能性世界にするか…」
「その…行く世界って決められるの?」
「ああ。僕は死んでからパラレルキーパーになったから…軸の世界は無理だけど、消える世界なら幾らでも」
「…じゃぁ、可能性世界にしません?そこなら、彼らも安易に手は出せないはず」
「と思ってるんだけどね。それも、軸の世界に近い可能性世界に逃げ込めば、彼らはこんなことできないんじゃないかって」
「……何か?」
「ああ。このまま行って、彼らの思うつぼだった時、僕達がどうなるかは分からない」
彼女はそう言ってZのアクセルを緩める。
スピードメーターの針が2桁台の速度に戻り、トンネルの入り口…暗闇に包まれた海沿いの道が見えた。
「どうする?」
「私に決めろっていうんですか?」
「そう」
電話ボックスが見えて、ブレーキを掛けた頃。
蓮水さんの言葉に私は絶句した。
直ぐに答えを出せず、車を降りて、電話ボックスに入る。
静かな空間に、波の音だけが聞こえてきた。
「どうする?」
「……軸の世界に近い、可能性世界まで」
蓮水さんは私の言葉を聞くと、小さく頷いた。
そのまま、電話機のダイヤルを回して電話をかける。
直後、電話を掛けた側であるはずの…こちら側の電話機が、昭和に来てからようやく聞きなれたベルの音を発した。
私は思わず驚いて一歩下がったが、直ぐに蓮水さによって引き寄せられる。




