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トイレの華子お嬢様

作者: まさかす

「ようこそ、あなたがしたいのは大きい方? それとも小さい方かしら?」


 俺は友人である田村の家に遊びに来ていた。そして家のトイレを借りた。トイレのドアを開けると長い黒髪の女性がいた。大正時代の女学生を思い起こさせる赤っぽい羽織袴を纏った女性は洋式トイレのふたの上、背筋をピンと伸ばした姿勢で以って何をするでも無く座っていた。その容姿はともかくとして、俺は人が入っているトイレのドアを開けた事に動揺した。


「あ、あの……小さい方で……」

「では思う存分ごゆっくり」


 てっきりトイレから出ていってくれるのかと思ったが、女性はそのまま宙へと浮き上がり、天井に背中を付ける様にしてへばりつき、凝視するかのようにして俺を見つめた。


「……あの、トイレから出て行ってはくれないのですか?」


「何故です?」

「いや、何故って……」


 俺は気が動転していた。故に「普通の家庭ではトイレとはこういう物なのだろうか」と考える。そして「こういう物なのだな」と結論付ける。俺はズボンのファスナーを下ろし、大人しく収まっている(ほこ)を外へと晒け出す。


「まあ、ご立派です事、オホホホ」

「いや、それ程でも…………って、やっぱおかしいだろっ!」


 俺は取り出した矛を収めた。


「おかしい? 何がですか?」

「いや、あなたが宙に浮いている事は置いておくとして、男がこれからする事を上から見るなんて事、おかしいでしょっ!」


「そうですか?」

「そうですよっ!」


「ですがここは私の居場所。そこに入ってきたあなたは云わば訪問者。それなのに私に出て行けとはあんまりじゃありませんか?」

「ここは俺の家では無いですから100歩譲って出て行けとまでは言いませんが、見・な・い・で・く・だ・さ・い!」


「何故ですか?」

「いや、何故って……」


「ここでそれをするのは自然な事。自然な事を目にするのはおかしい事なのですか?」

「いや、ここが居場所のあなたからすれば自然かもしれませんが、一時的にこの家のトイレを利用する俺からすれば非常におかしいです」


「変わった殿方です事。オホホ」


 会話がかみ合わない。ひょっとして俺がおかしいのだろうかとすら思える程に堂々と見ている。とはいえ時間は無い。俺にも限界が近づく。恐らくは初めて見たであろう幽霊の素性などどうでもいい程に限界が迫っていた。


「とにかくこっちを見ないで下さい!」


 彼女の顔からは先程迄の笑顔が消え失せた。怒ったのかと思ったが、言う事を聞いてくれたようで横を向いてくれた。本当ならば出ていって欲しいが仕方がない。ここの主は彼女であり俺は訪問者。そして俺は収めた矛を再び取り出し用をたす。


 ジョロロロロロ~


「大きくなぁれ、大きくなぁれ、大きくなぁれ――――」


 ほぼ全てを出し終え、体を小刻みに揺らし残り汁を出していると、そんな呪文らしき言葉が天井から聞こえた。俺は無表情のまま天井を見上げて「何言ってんだこのバカ女は」と心の中で呟いた。すると…………俺の矛が大きくなり始めた。


「ちょっ! 何だこりゃ!」


 指で摘んでいた俺の矛がどんどんと大きくなり始めた。それは戦闘態勢のサイズを超え、腕の太さを超え、ふともものサイズを超え、ウエストサイズを超えていく。


「ちょっ! 待てっ! 何しやがったお前っ!」

「知ーらない、プイッ」


 既に用をたし終えていたから良かったが、俺の矛は両手でも持ちきれない程の大きさとなって便器の上に乗っている。見慣れていたはずの俺の矛が未知の生物にしか見えない。


「ちょっ、どーすんだよこれっ!」

「知ーらない、フンッ」


 理由は分からないが幽霊のバカ女は拗ねていた。


「何なんだよお前はっ! そんなに俺のしてるところが見たかったのかよっ!」

「ふーんだっ、プイッ」


「もうどうでも良いから元に戻せよっ!」

「そんな事で騒ぐなんて小さい男……あら? 今は大きい男ですわね。オホホ」


「うるせぇよっ!」

「はいはい、わかりましたよ」


 そう言ってその女は、


「小さくなぁれ、小さくなぁれ、小さくなぁれ――――」

 

 と、先程とは逆の呪文らしき言葉を唱え始めた。そもそもその能力は何なのだろうか。幽霊ってそういう能力を持っているものだっただろうか……。


「ってバカっ! 小さくし過ぎだっ!」


 時既に遅し。俺の矛は摘むのも難しい程に、針の先と言える程に細く、屈まないと見えない程に小さくなっていた。


「あらあら、御免なさいね。オホホ」

「オホホじゃねーよっ! 良いから元のサイズに戻せよ!」


「この能力を使うと凄く疲れるの。しばらくは使えないわ」

「何言ってんだお前はっ!」


「心配しなくても大丈夫よ。しばらくしたら勝手に元に戻るから。オホホ」


 いったい俺は何をして何をされているのだろうか。そしてこの時間は何の時間だったのだろうか。俺は収める必要も無い程に小さくなった矛を収めると、トイレを後に田村のいる部屋へと戻っていった。


「遅かったね」

「いや、遅い早いよりもさ……」


「可愛かったでしょ?」

「は?」


「華子お嬢様だよ」

「華子? あのトイレの女の事か? つうかお前平気なのか?」


「まあ、華子さんは僕が生まれる以前からこの家のトイレにいたからね。だから皆の家にもいるのかと思ってたんだよ。親からは言うなって言われてたから誰にも言わなかったけどさ」


 生まれた時から居るというのであれば田村にとっては普通なのだろう。見られる事が普通なのだろう。しかし言うなと言われていたのに何故に俺に話したのだろう。俺の事を友達と思ってくれているから話してくれたのだろうか。そこまで信用されるのも正直言えば重荷に感じなくも無い。


「まあ、もうすぐお別れみたいだけどね……」

「何で? あの女出て行くの?」


「いや、この家さ、再来月に建て替える為に壊しちゃうんだよ」

「へぇ、そうなのか。で、あの女はどうなんの?」


「消えちゃうんだってさ……」

「消える?」


 田村は悲しそうな顔を見せるとそのまま俯いた。田村の家は昭和の始め頃、田村の曽祖父により建てられた年代物。とはいえ歴史遺産と呼べる程の立派な造りでもなく、木造トタン屋根のその家がよくも100年近くも保たれているなという家であり、強い風が吹けば家は揺れ、雪が積もれば潰れないかと心配し、雨が降れば漏電による火事を心配し、大きな地震が来たら恐らく耐えられないという状況らしい。工務店に相談すると「補強や改築をするなら建て替えた方が断然安い」と言われ、長期のローンを組んで建て替えるという判断になったらしい。


 トイレに住まう幽霊。いや、あんな能力があるからしてひょっとして妖怪なのだろうか。建て替えるから消えてしまうという理屈も良く分からない。家の何かにとりつく幽霊と言う事だろうか。とはいえ存在その物が理解出来ない訳であるので考えるだけ無駄ともいえる。


 それから数ヶ月が経ち、田村の家は取り壊された。田村はそこからほど近い親戚の家に間借りしている。そしてある日の午後、更地となった田村の家の前を通ると、その更地に姿勢良く堂々と立っている華子の姿があった。敷地の前の通りにはまばらに人通りもあったが、誰も華子の存在に気付いていない様子だった。


「よぉ」

「あら? 久しぶりね」


「あんたの姿って他の奴らには見えねぇの?」

「そうよ。この家の人達とアンタだけにしか見えないの」


「随分と都合のいい話だな」

「そうね。便利でしょ?」


 華子はそう言って笑った。よく見れば随分と可愛い女の子である。現代に生きていたらアイドルとしても通用するのではと思う程に可愛い。とはいえ、俺の矛に対して悪戯なんて可愛い言葉では片付かない程の事をしでかすようなアイドルなど好きにはなれない。


「そう言えばあんた、消えちまうんだってな」

「あの子から聞いたの? まあ、そうなるでしょうね。100年近く棲んでいたけど、そろそろ消える時期だったって事でしょ」


「寂しくないのかよ?」

「別に」


「つうか家が取り壊されるから消えちまうのか?」

「違うわよ」


 理由を聞かせてくれるのかと思ったがそれを話す気配は見られない。何か言いたくない事でもあるのだろうか。


「なんなら俺んちのトイレに棲むか?」

「は? 別にトイレ専門の幽霊じゃねーし」

「違うのか?」


 さっぱり分からない。とはいえ幽霊の話。正直どうでもいい。


「まあ、いいや。とりあえず俺行くわ。じゃあな」


 それから数日後、家の基礎工事が始まった。そしてショベルカーにより2メートル近く土が掘り返されると、そこから1人の人間の骨が発見され、ちょっとした騒ぎとなった。いや、人骨である以上は警察も動いての大騒ぎとなった。敷地のほど近くに警察の規制線が貼られると直ぐにその前には人だかりが出来、俺もその人だかりの後ろから覗き込むようにして見ていた。


「あなたも見に来たの? この辺の下衆な野次馬と変わらないのね」


 後ろから声がした。何気なく振り向くと、そこには腕を組んで家の壁によりかかる華子の姿があった。華子の眼は俺を含む人だかりを蔑視しているかのようであった。華子は敷地付近にしか居られないのかと思っていたが、立っていたその場所は家の敷地からは20メートル以上は離れていた。


「いや下衆って……。つうか友達の家の下から人骨が出たってんだから普通来るだろ? つうかお前はあの敷地内から移動出来るんだな」


「まあね……」

「つうかさ、出てきた人骨って……あんたの骨って事か?」


 華子は何も答えなかった。それから暫くの間、俺と華子は黙ったまま、人だかり越しに現場検証の様子を見ていた。


「ねえアンタ、私の事知りたい?」


 その言い方は「聞いて欲しい」という風に聞こえた。後ろを振り返り華子を見るも、華子は一切俺を見ず、敷地の方をずっと見つめたままだった。


「まあ、暇だしな。聞いてやっても良いぜ」


 何故に幽霊の話を聞いてあげねばならないのだろうかと疑問にも思ったが、赤の他人とも言いずらい仲でもあったので聞いてやる事にした。そして俺が華子の隣へ移動すると、華子は敷地の方を真っ直ぐに見つめたままに話し始めた。


 明治の中頃から昭和の始めにかけて、田村の家を含むその辺り一帯の土地はとある公家の末裔が所有し、豪邸と呼ぶにふさわしい程の屋敷が建っていた。華子は何人もの使用人を抱えるその家の令嬢であった。ある時、家族総出で旅行に行ったが華子だけが行かなかった。それは華子のわがままが理由であったという。華子を可愛がっていた父親も辛抱強く誘ったが一切聞き入れなかった。父親も観念し、いずれ華子を名のある家へと嫁がせる予定もあり、花嫁修業の一環と言う事で華子1人を残し、使用人全てを連れて旅行に行ってしまった。


 広大な敷地の中の大きい家には華子だけが残っていた。そして華子はトイレに入って用を足し終え出ようとするも、トイレのドアノブが壊れて出られなくなった。広大な敷地を持つその家のトイレから必死で叫んだが、その声は誰にも届かなかったという。


 その頃には未だ水洗トイレは無く、食糧はおろか水も無いままに3日間を過ごし、4日目の朝に華子は亡くなった。


 その3日後に家族が旅行から戻ってきた。華子の姿が見当たらず家族総出で探すと、トイレの中で衰弱死している華子を見つけた。公家の末裔の令嬢ともあろう者が自宅のトイレで以って衰弱死したなどとは公表できず、父親は広大な家の敷地内の一画に華子の遺体を埋め、華子は海外にいると周囲には伝えていた。


 父親にとって華子は愛娘。その愛娘を失った悲しみから逃げるが如く、父親は事業に邁進し続け我を忘れる程に事業を広げていった。そこに隙が生まれた。仕手筋を狙った偽情報にまんまと引っ掛かり、株で大損する羽目になった。その結果膨大な債務を抱える事となり、膨大な財もあっという間に消え失せて行った。それでも債務返済には至らず、広大な土地を細分化し切り売りしていったがそれでも足らず、屋敷も全て売り払っても足りずに破産するに至り、華子の家族はその地を去る事になった。


 それらの話は父親から聞いたと言う事だった。華子が眠る地面に泣き崩れ、すまなかったと何度も何度も謝りながらに父親が語ったらしい。その数日後、父親を含む家の者は全てその地を去り、その後家族がどうなったかについて、華子は一切知らないと言う事だった。その時華子は幽霊として存在していた訳ではないが、何故かその父親の声が届いていたらしい。


 そして切り売りされた土地の一部を田村の祖父が購入し家を建てた。その場所は丁度華子が埋められていた場所。昭和の始めに建てられたその家は現代のような頑丈な基礎も設けられぬままに建てられた。それ故に家を建てた時には華子の骨は見つからなかった。そして何故だかその家のトイレにだけ華子は現れる事が出来たらしい。だが現代の基礎工事に於いてはそれなりの深さまで地面を掘る。田村が華子にそう言った話を伝えると、そこで自分の骨が出てくるであろう事に気付いた。そしてそれこそが自分が成仏する時かもしれない思ったという事だった。


「まあ……誰を恨む話でも無さそうだな……」

「別に誰も恨んではいないわよ。公家の末裔としてトイレで亡くなったなんて恥晒しな事、誰にも言えないでしょ?」


「まあ、今の時代ならそうでもないだろうけどな……」

「私、あなたと違ってお嬢様なのよ? あんたなんて肥溜で死んでいてもおかしくはないでしょうけど私は違うの。そんな風に死んだなんて公表されたくないわ。だからお父様が庭に私を埋めて何も無かった事にしてくれた事に感謝しているのよ」


「けどそのお陰で田村の家のトイレに化けて出る羽目になったんだろ? 嬉しいのか?」

「別にどうでもいいけどね」


「つうか何でそれを田村に言わなかったんだよ?」

「人の骨が家の下に埋まってるなんて気持ち悪いでしょ?」


「いや、幽霊として出てくる方が気持ち悪いと思うんだけどな……」

「そうかしら? 小さい頃からずっと私の所に遊びに来てたわよ?」


 田村には友達がいない。居るとしたら俺だけ。そして俺と会うまでは華子だけが友達だった。トイレに棲む幽霊の華子だけが話し相手だった。


「でもよ、骨が見つかったからといって、まだ消えると決まった訳じゃないんだろ? それが成仏への条件なのか?」

「何よその『成仏の条件』って。嫌な言い方するわね。まあ、仮にそうだとしても自分で決めた条件ではないけどね。それに消えないと言うなら……それはそれで良いわね」


 寂しげな笑みを浮かべながらそう言って、華子は掌を俺に見せた。


「あ……」


 その掌の向こう側に、ぼんやりと華子の顔が透けて見えた。


「ほんとうに消えるんだな……」

「まあ、残念ながらそう言う事ね」


「成仏するって事か。でもそれって良い事なんだろ? それに未練は無さそうに見えるが」

「そんな物最初から無いわよ。上手く言えないけど、ようやくこれで終わるって感じかしらね……」


「何か田村に伝えたい事とか無いのかよ?」

「既にお別れは言ってるからいいわよ……。ああ、でも、折角だからアンタに1つだけお願いしておこうかしらね」


「お願い? 面倒な事と出来ない約束はしない主義なんだが」

「アンタなんかに難しいお願いなんてするはずないでしょ?」


「あーそうですか。で、そのお願いってのは何だ?」


 俺は表情が見えない程に透けている華子を見つめた。


「あの子とずっと友達でいてあげてね」


 その言葉を最期に華子は消え去った。最後の表情は見えた訳ではないが笑顔だった気がする。未だ現場検証は続いていたが、消える為に100年近くもその場所に居なければならなかった華子という幽霊に、ほんの少し同情した俺はその場を後にした。


 それから数日後、警察による記者会見が開かれた。現場検証と鑑定の結果、出土した人骨は明治から大正あたりに埋められた10代後半から20代前半の女性の骨である事が判明した。同時に、外傷も見られない事から何らかの病気で亡くなったのではないかと推測され、亡くなった当時に住んでいたであろう関係者を捜索してみるも、誰一人として見つからなかったという事だった。関係者を捜したと言う事は、そこに公家の末裔が住んでいたと言う事も掴んではいただろうが、それに関する発表はされなかった。そして100年近くも前の事であるから事件性無しと判断され、警察の規制が解除されると同時に、中断されていた基礎工事が再び開始された。


    ◇


 俺が田村と出会ったのは半年程前の事。田村は小学校時代にイジメに遭い、両親が「ならば学校なんかに行かなくても良い」と寛大な対応を見せ、以来ずっと家に引きこもる様な生活をしていた。家の中で話せる友達と言えるのは幽霊である華子だけ。ずっとトイレに籠って華子と過ごす毎日を送っていた。引き籠りと言っても一切外に出ない訳ではなく、夜の9時頃には近所の公園へと散歩するのが日課だった。それは華子が勧めた事でもあったらしい。人と会うのが嫌なら人通りが少ない夜に近くの公園へ散歩でもすれば、と。


 その公園で俺と出会った。俺はと言えばイジメを受けたり引き籠るといった人間では無く、毎日ちゃんと高校に行っていた。だが何故だかクラスに馴染めず友達と言える人間はいなかった。学校が終われば真っ直ぐに帰宅し、ただただ部屋でぼーっと過ごす。同じとは言えないが田村同様一人で過ごす毎日を送っていた。別に人が嫌いという訳では無かったが、大勢の輪の中に紛れるのは苦手ではあった。そんな俺に「たまには外で遊んできなさいよ。友達とかいるでしょ?」と、俺の状況を知らない親に言われ、ならばと外に出て、夜まで人の少ない場所で以ってただただ空を見上げるといった毎日を過ごしていた。


 そしてその公園は俺の帰り道。毎晩のように通るその公園。いつも一人でベンチに座って夜空を見上げる俺と同年代であろう男の姿を毎日のように見ていた。夜9時頃にそんな所で毎日のように夜空を見上げる男に恐怖と同時に興味も沸いた。そんな様子を十日間近く見続けて、俺は声を掛ける事にした。


「よお、毎晩そこで何してんの?」


 男は大げさな程にビクッとして、恐る恐る俺の方を見た。俺は別に怖がられるような顔でも無いし服装からいっても地味な高校生にしか見えないはずだが、夜9時頃に一人でいるところへ声を掛けられればその反応も仕方ない事だろう。


「別に……何もしてないけど……」


 男はそう言って視線を地面へと落とした。そうとう俺の事を警戒しているようだった。


「俺も毎晩というか毎日一人で散歩しててさ、大体この位の時間になると帰宅すんのよ。で、毎晩この公園の前を通るといつもベンチにすわる奴がいるじゃん? 何してんのかなって疑問に思ってた訳よ」


「いや……だから別に……何をしてるわけじゃないけど……」


「お前、いくつ?」

「……17」


「じゃあ俺と同い年じゃん。高校どこ?」

「……行ってない」


「へー。じゃあひょっとして働いてんの?」

「……何もしてない」


「ふーん。引き籠りって奴?」

「……今こうして公園にいるんだから引き籠りって訳じゃないだろ?」


「確かに。言われてみればそれもそうだな」

「……じゃあ僕帰るから」


 そう言って男は帰って行った。そして翌日の晩、またしても男は公園にいた。


「よお、またあったな」

「……っていうか君は何してんの?」


「ん? まあ、高校に行ってはいるけど何か馴染めなくて友達も居なくて、学校が終われば真っ直ぐに家に帰り、ただただ部屋で過ごしていたんだがそれを親に注意されてな。『友達と遊んできなさいよ』みたいな感じでさ。つっても友達いないって親に言いずらいしな。なんで学校が終わったら適当に近くで時間を潰すだけの毎日を送っているだけ。そして今はその帰り」


 俺はすんなりと友達がいない事を打ち明けられた。どうせ会わなくなるだろうと安心していたのかも知れない。


「……そうなんだ」

「そういえばお前は何でここにいるの?」


「……」

「まあ、言いづらいなら聞かないけどよ」


「……イジメ」

「ん?」


「……イジメ……が原因……かな」

「ふーん。なら仕方ないなあ。イジメってのは無くならないだろうからな。どうやったら無くなるってんだよなあ。大人の世界でもあるらしいのに子供の世界で無くなる訳無いよなあ」


「……そう……だよね」


 思い返せばイジメられている事をよくも教えてくれたものだ。普通それが原因とすれば他人には言いづらい事だろうに。俺が自分の状況を正直に言ったから教えてくれたと言う事なのかも知れない。


「俺のクラスでもイジメっぽい事されてる奴も居るけどさ、俺も止めようとは思わないもんな。クラスっていう集団の中にいれば中々止められる物でもないしなあ。そもそも何でイジメられているのか原因も知らねぇけどさ」


「たぶん、そんな所なんだろうね。僕も何をした訳でもないけど、気付いたらイジめられてたっていうかね、何か直せる原因があってイジメを受けているならまだしもね……」


「じゃあ、それが原因で登校拒否になって今に至るって感じか」

「まあ……そう言う事になるね」


「でもよく外に出てきたじゃん」

「ある人に言われてね」


「へー。夜でも良いからたまには外に出ろみたいな感じ?」

「そんな感じ……だね」


 そしてその日は別れ、翌日の晩にまた公園であった。


「案外俺達似たもの同士なのかもな」

「そうかな……君はイジメられている訳でもないでしょ?」


「そりゃそうだけどさ、友達がいないって点では同じだろ?」

「プッ、なるほどね。なら、似てるかもね」


「そういや名前聞いてなかったな。俺は鷲峯健(わしみねたけし)

「僕は田村火流(たむらかりゅう)


「カリュー? カッコいい名前だな」


 俺達はそうした他愛の無い会話を毎晩のように続けた。


「なあ、田村。今度俺んちに来るか?」


 田村は驚いた表情で俺を見た。自分ではそれ程驚かれるような事を言ったつもりはなかったが、今思えば他人の家に行くと言うのは、田村にしてみればハードルの高い事だったのだろう。


「いや、それはちょっと……」

「そうか……まあ、無理強いする事でも無いし、俺んちに何がある訳でもないしな」


「あのさ……」

「ん?」


「だったら、うちに来る? といってもうちにも何がある訳でもないけどね。ゲームとかやらないからマンガばっかりで」

「おお、俺もマンガばっかりだよ。ゲームってのはどうにも面倒臭くてやらないんだよ」


 そして翌日、学校が終わった俺は田村の家へと向かった。田村の家は思ったよりも近く、小学校は違っていたが、田村が中学校に行ってさえいれば同じ学校だっただろうという近さであった。


 家のインターホンを鳴らすと母親らしき人物が応答し、「カリュー君の友達の鷲峯と言います」と応えると、母親は驚いた様子で玄関から飛び出て来た。そして目を大きく見開きながらに数秒間俺の姿をジッと見つめると、「どうぞどうぞ」と満面の笑みを浮かべて家の中へと招いてくれた。玄関の土間にしゃがんで靴を脱ぎ、顔を上げると母親の顔に目がいった。その目には薄らと涙がにじんでいた。後で聞いた話であったが、田村が友達を家に招いたのは、それが初めての事だったらしい。


 そして俺は田村の家のトイレに入った。そこで華子と遭った。華子は突然現れた俺に対して、嫉妬にも似た感情が沸いたのかも知れない。だから俺の矛に対してあんな悪戯をしたのかも知れない。そして自分が消えてしまうという状況に於いて、俺を友達と認めて田村の事を託したのかも知れない。そう考えると良い幽霊だったのかもなあと、少しセンチメンタルになってしまう。


 田村の家は半年ほどで完成した。豪邸と言える程ではないが、近所に立つ家と何ら変わらない普通の家だ。そしてその家のトイレに華子はいなかったという事だ。


 田村は学校に行く事無く過ごしていた。だが親の勧めもあって、親戚が家族で営む小さい工場で働き始めた。そして徐々にではあるが、人と拘わりを持とうと頑張っているらしい。それが理由かどうかは分からないが、俺とは疎遠になっていった。それは少し寂しい気もしたが、きっとそれは良い事なのだろう。


 華子からは「あの子とずっと友達でいてあげてね」とお願いされた。その願いはうやむやになってしまっているが、今の田村は仲間と呼べる多くの人に囲まれているようだし、結果オーライという所だろう。むしろ俺自身が人と拘わりあう事に積極的にならねばならないのだろう。田村も先に進んだのだ。であるならば、次は俺の番であるのかもしれない。


 それから更に数か月が経ち、華子が消えてから1年近くが経過しようとしている。だが俺は毎日のように華子を思い出していた。というより……思い出さざるをえなかった。


『暫くしたら元に戻るから』


 華子はそう言っていたが、俺の矛は何時まで経っても元には戻らず、針の先ほどに小さいままで、摘むのさえ苦労する毎日を送っている。毎日のように見る俺の矛が華子を思い出させる。ちょっとだけ華子の境遇に同情してしまった自分に腹が立つ。田村を気遣う優しい奴だなあと、一瞬でも思ってしまった自分に腹が立つ。


「あのクソ女っ! 元に戻してから成仏しろってんだよっ!」


 俺は小さいままの自分の矛を見る度、あの女を思い出すのだろう。仮に元に戻ったとしても、矛を見る度あの女を思い出すのだろう。これは成仏した幽霊による呪いと言っていいのかもしれない。


 もしかするとあのクソ女は俺に一目惚れしたのかもしれない。そして「私の事を忘れないで」という想いで、こんな呪いをかけたのかもしれない。そう思うと可愛い奴だったな…………というか、そうとでも思わないと俺が可哀そう過ぎる!

2020年04月03日 2版誤字訂正

2020年02月11日 初版

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― 新着の感想 ―
[良い点] トイレが舞台の下ネタ話かと思ったら綺麗なお話でした。 プロが描くような話の構成。作者様の技量の高さがうかがえました。 [気になる点] 大きなイチモツをください♪から着想を得たのですか? ど…
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