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 -8 『相方』

「なんでよりにもよってそんなところを」とミトが陰口を漏らしているのを聞き流しながら、私は旅館の裏手にある獣人用の従業員宿舎を前にして見渡した。


 木造平屋のその宿舎はさっそく全面を布で覆われ、至る所に足場が組まれている。思い至ったが吉日。私は早速工事の手配をして、次の日には作業が始まっていた。


「そもそも、あたしたちの旅館のどこにそんな金が……」とミトは言っていたが、私が鞄の中から大量の札束を取り出すと、彼女は怪訝そうな顔をしながらも悔しそうに押し黙るしかなくなっていた。


 もちろん降って湧いたお金じゃない。

 私が持ち出した私物の宝石や高級な衣服など、ありとあらゆる物を売りに出して捻出したものだ。


 けれど思ったよりは良い金額となったので、旅館の改築などの費用としてそれなりに賄えそうだった。これなら補修の必要な本館の工事も足りるだろう。


 従業員宿舎の工事は専門の大工の他に、そこに居住している獣人達も作業を手伝って進められた。


「あ、あの。どうしてフェス達の宿舎を改築するんですか……?」


 工事の進捗を眺めている私にフェスが尋ねてくる。


「理由は簡単よ。衣食住の充実は仕事の効率に大きく関わる。主にモチベーションとして。せっかく頑張ってくれている従業員を、こんな厩舎のようなところに押し込めておくなんてひどい話だわ」

「そ、それはとても嬉しいですが……でも、フェスたちは人間さんのようにしっかりとした仕事はできませんです」


「なに、問題はないわ。私は別に、貴方たちに職人になってほしいわけじゃない。しっかりとした人手として役に立ってほしいだけ。それに昨日の料理を用意したのは獣人の板前でしょう? 人間と遜色ないくらいに美味しかったわ」


 にっこりと、フェスに向かって微笑みかける。


「貴方たちは決して人間に劣ってはいない。とても良い仕事ができるわ。そんな大切な戦力を家畜のような家にいさせるなんて可哀想じゃない」

「シェリーさん……」


 言われて感極まったのか、フェスは目尻にうっすらと涙を浮かべ、口元を綻ばせていた。


 いや、実際は料理も完璧というほどではなかった。けれど悪くはない。これからしっかりと指導して、料理を出すタイミングなども色々教え込めば、客に出すには十分なくらいにはできるだろうと思った。


 人を伸ばすのに無駄に貶める必要はない。暴言はその人の向上心を挫き、もう一度踏み出すことへの恐怖を与える。大切なのは、改善点はその都度しっかり伝え、やる気をさらわないように何度も続けて挑戦させることだ。


「お父様がよく部下に対して言ってることが、こんなとこで役立つなんてね」


 領主であるお父様は、ただ領地管理の事務作業だけでなく、実際に現地に赴いて視察をしたりして、治安を守る警備団や町役場の職員たちに檄を飛ばしている。お父様は決して職員のミスに対して強く言わず、反省の度合いを見てから処分を決め、反省の色の強い人間には優しく接していた。その姿をよく見てきたから、私も同じように考えるようになったのだろう。


 実家から飛び出しても親の影はどこまでも脳裏を横切るんだな、と私は内心で苦笑した。


「国も店も同じ。働き手は血潮よ。動きが鈍れば衰退するし、活発であれば成長する。これからたくさんやることがあるのだから、貴方たちには頑張ってもらわないとね」


 私が不適に笑ってそう言うと、フェスはちんまい体をびしっと伸ばし、


「が、ふぁんばります!」と、やや噛んで応えていた。


 微笑ましい。


「……あら?」


 ふと、そんな私達の談笑を、遠くから眺めてくる視線が合った。私が気付いてそっちに目をやると、その視線はひょいと物陰に隠れる。しかしまたすぐこちらへと覗き込んできた。


「……子供?」


 物陰から顔を覗かせていたのは年端もいかない小さな少年だった。どうやら近隣に住んでいる子らしい。


「工事が気になったのかしら」


 あまり大きな建物の少ない田舎町の中で、この旅館は比較的大きく目立つものだ。その一角が建て直しで賑わっていて、様子を見に来たのかもしれない。この旅館が近隣住民からどう思われているのかは知らないが、気にかけられているのは悪くないことだ。


 何かを考えるべきか――。


「……って、もういない」


 気がつくと少年の姿はなくなっており、まあいいか、と私は一旦考えることをやめた。


 それから、従業員宿舎の改築は思ったよりも早く終わりそうだった。


 大工は棟梁の人間以外はほぼ獣人で、重たい角材も持ち運べるほどに屈強な職人ばかりだった。そこに旅館の獣人たちも加わって雑用を手伝っているのだから、二、三日もあれば瞬く間に完成しそうなほどだった。


「大工も優秀ね」

「あったぼうよ。俺たちゃ町一番だからなぁ!」


 私の小言に、頭領のオヤジが気前よく胸を張る。大言のようだが、その仕事ぶりは文句なくその通りだ。


「本当に助かるわ。良い仕事をしてくれる職人にあたれるなんて、ロロが紹介してくれたおかげね」


「あはは……僕はこれくらいしかできないから」とロロが頭を掻きながら苦笑を浮かべる。


 お金を積んだのは私だが、依頼をしたのはロロだ。その辺の情報は、さすがに町へやって来たばかりの私よりもロロがよく知っている。


「本当は別の仕事を入れようと思ってたんだがな。ロロの坊主がどうしてもって言いやがるから特別に優先してやったんだ。こいつ、いきなり俺のとこまで直談判しに来て、頭まで下げてきてよ」

「と、棟梁さん! そこまで言わないでくださいよ!」


 大きく笑われたロロは顔を真っ赤にしながら首を振っていた。誤魔化そうとしてももう遅い。


 私もつい、くすりと笑ってしまった。


「もう、シェリーまで」

「ごめんなさい。でも馬鹿にしてるわけじゃないわ。むしろそこまで付き合ってくれることに感謝してる」

「……だって。僕もこの旅館がよくなってほしいのは一緒だから」


 このまま廃れてつぶれてしまって良い、なんてもちろん思ってはいないだろう。きっとロロは、女将さんと同じくらいこの旅館も大切なのだろう。だからどれだけ寂れても暖簾を下ろさず今日まで続けていたのだ。


「僕にはお母さんのようにうまく旅館を切り盛りする力がない。でもなんでだろう。思い切りの良い無茶をするシェリーを見て、一緒にならできるかもって、そう思ったんだ。何かが変われるかも、って……」


 頬を掻き、照れくさそうにロロの視線が泳ぐ。


「お母さんにあんな嘘をついたのは初めてだよ」


 あはは、とロロはそう言って笑顔を作っていたのだった。


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