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 -13『慧眼』

「体は大丈夫ですか、女将さん」

「ああ、大丈夫だよ」


 お父様達の大宴会も一息つき、台風一過のような静かな夜が訪れていた。


 お客様達はそれぞれ部屋へと戻り、酒盛りの続きをしたり、温泉へと出向いたり、バーやお土産屋などの施設を見てまわったり。各々に旅館を楽しんでくれている。アンジュとヴェルも、二人の思いで深い大時計の前で楽しそうに話し合っていたりと、充実した時間を過ごしてくれている。


 宴の終わった宴会場ではフェス達が忙しなく後片付けに走り回っていた。そんな彼女達に場を任せ、私は女将のハルを、旅館の隣の実家へと送っていた。


 小枝のように細い腕に肩を貸し、ゆったりとした足取りで導いていく。つい先ほど、ミトに威勢の良い言葉を吐いた彼女とは到底思えないほどに力は弱く、手を離せば簡単に倒れそうなほどだった。


 時折ひどく咳き込み、倒れそうになった。それほど力を振り絞ったのだろうか。

 彼女のおかげで私はあの窮地を超えられた。いや、実際は超えた訳ではないが。


 いつも女将さんが静養している寝室にたどり着き、布団の上に落ち着かせる。


「ありがとうねえ」と、女将さんはしわのよった口元を持ち上げて穏やかにそう言った。


「あの、女将さん……」

「なんだい」


 言って、私はすぐに言葉に詰まった。


 思えばこうして女将さんと二人きり、旅館のことについて以外で話すのは初めてかもしれない。それが妙に私を緊張させた。


 ついさっき、あれほどの啖呵を耳にしたばかりだ。

 病床に伏せる物静かな老女といった印象しかなかった。私が旅館のことについて承諾を求めても、二つ返事のように頷いてくれていたから。


「……私とロロのこと。わかっていたんですか?」

「そりゃあねえ。あの子が何も言わずに急に決めるとも思えないし。それに、ここに来たばかりの貴女はどこか、目の前のことに必死そうな顔をしていたからね」


 そんな顔をしていたとは。

 自分ではまったくわからなかった。


「じゃあ、どうしてそこで私達に言わなかったんですか。あんな嘘を」


 私の問いに、女将さんはやんわりと首を振る。


「嘘だとは思わなかったからさ」

「え?」


 言っていることが矛盾している。

 けれどそれは承知とばかりに女将さんは言葉を続ける。


「この旅館をよくしたい。その想いは、決して偽りではないと思ったから」

「…………っ!」


 そう言ってハルはにんまりと、目を細めて私に笑いかけてくれた。


「実際、貴女のおかげでこの旅館にまた喧騒が戻ってきた。うちの子はどうにも優しすぎて、何かを大きく変えられるほどの強さはない。けれどそれを貴女が補ってくれたわ」

「そんな。私は別に……」

「謙遜なんて必要ない」


 女将さんの視線が部屋の外、障子の開いた縁側の向こうに僅かに見える旅館の灯達へと向けられる。旅館はほとんどの部屋に照明がつけられ、月夜の下で明るく輝いている。


 以前はこのどの部屋も、明かり一つないことが多かったことだろう。


「この明るさは間違いなく貴女達がもたらしたもの。もう一度、旅館のこんな姿を見られて私はとっても嬉しいのさ」


 女将さんは細い手をそっと差し出し、寄り添って座った私の手を取る。


「ありがとうねえ。この旅館に来てくれて」


 その心からの彼女の言葉に、私は無意識の胸の奥を掻き立てられた。何かが熱くこみ上げ、嬉しさと、安堵と、これまであった不安が一緒に漏れ出るような、深い深い息をついて手を握り返したのだった。


 それから女将さんの寝仕度を手伝い、彼女の部屋を後にした。


 旅館に戻る途中、女将さんの家の縁側の廊下でロロと出会った。彼も女将さんを心配して様子を見に来たらしい。私がちゃんと布団まで送ったことを伝えると、心底安堵したような顔を浮かべていた。


「あんな母さんは久しぶりに見たよ。でも、昔はずっとああだったんだ」と、しみじみとそう語るロロの横顔は嬉しそうだった。


「ロロもお疲れ様。お父様の相手とかさせちゃって悪かったわね」

「別に大丈夫だよ。お客様への接客は大好きだし」


 確かに、誰とでもすぐ仲良くなれるロロには接客はぴったりだ。お父様とも、まるで旧知の仲であるかのようにたくさん話をしていた。


「僕との婚約の話。クランク様にはやっぱり最初からバレてたみたいだよ。というか、執事さんから家出した後のことの報告を受けた時に、大方察していたんだって。そうなんだろうな、って」

「あらら……」


 まさかそこまで見透かされているとは。


「それで言うなら貴方の嘘もよ。女将さんにはバレバレだったわ。それを言われた時、なんだか急に恥ずかしくなって死にそうだったんだから」

「あはは。そっか。ごめんね、シェリー」

「私も同じ事したんだから、まあいいけれど」


 どっちもどっち。

 五十歩百歩、いや、どっちも五十歩ちょうどといった感じか。


 二人とも、情けなくて呆れてくる。


「ロロのあの嘘は急すぎたのよ」

「シェリーだって、婚約から逃げたのに急にまた婚約って無理があるじゃないかな」

「あら、言ったわね」

「ああ、言ったさ」


 二人して、お互いの顔をにらみ合った。

 月光が私達の顔を白く照らし、その意地を張った表情が馬鹿馬鹿しくて、私達はすぐに笑顔を噴出して顔を背けてしまった。


「やっぱりさ」


 ロロが縁側に腰を下ろし、夜空を見上げながら言う。


「親って、子供をよく見てるんだなって思うよ。そして子供も親を見てる。僕は母さんを見て接客の楽しさを。シェリーはクランク様を見て誰かの上に立つ者としての要領のよさを。僕達子供はそういったのを学びながら育ってきたんだ。僕達は本当に、親を見ながら生きてきたんだなって思う」


「……そして、お父様達も私達をよく見てる」

「うん」


 そういえば、いつもは屋敷の外に出ることすら厳しいお父様がアンジュをこの旅館に寄越したこと。あれは縁談に不安を募らせるアンジュに気付いたからこそ、気を遣って許可を出したのかもしれない。


 私が家出をしてからもすぐに連れ戻さずにいたことも、私の考えなんて最初から見抜いていたのだ。そして、わざと予定より早く来ることで下手な細工などさせず、本当のこの旅館での私の姿を見に来たというわけだろうか。


 それはどこか、「娘を家に連れ帰りにきた」というよりは「娘の居場所の視察をしにきた」のよう。


 ――そういえばお父様は最初に言っていたっけ。


『私の縁談を蹴ってまで選んだお前の旅館、見せてもらうぞ』


 その言葉はきっと、旅館の盛況さとかだけではない。私がどんなところにいて、どんな人たちと、どんなことをしているのか。それを見定める一言だったのではないか。


 そんなことが漠然と浮かんでは、夜月をかすめる薄雲のようにさっと風に流れて消えていった。


「ねえ、ロロ」

「なに?」


 私もロロの隣に腰掛けた。

 そっと肩が触れるような距離。横に置いた手が微かに触れて、びくりと震える二人の視線が交差した。


「ありがとう、私の我侭に付き合ってくれて」

「ううん。こっちこそありがとう。大切な旅館をここまで導いてくれて」

「ロロがいなかったら、今頃私はすぐに実家に連れ戻されてた」

「シェリーがいなかったら、今頃この旅館はいよいよ潰れてたかもしれない」


 ふふっ、と自然と笑顔がこぼれた。

 ロロも同じようににこやかに口許を緩めた。


 月はゆっくりと山並みを目指して傾き、夜はしんしんと更けていく。


 私の将来を決める、運命の夜が。


 結局、お父様がどんな判断を下すかはわからない。

 けれど私は後悔しないだろう。ここでやれることはやった。この旅館の『私』を見てもらったから。


 だから私はどんなことでも受け止められるだろう。


「全ては、明日」


 せめてこの夜が長く続けばいいのになんて、私は柄にもなくそんな少女チックなことを思いながら、ロロと二人、肩を並べていたのだった。


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