-5 『仲居の少女』
私は旅館の中を適当に歩き回ってみた。
まだ夕方前ということもありバーなどは閉まっていたが、他にも売店やマッサージコーナー、片隅の喫茶店までも閉じてしまっている。
客がいないのだから開いていても仕方ないのだが、しかしこうも無人ではただの廃墟みたいだ。
「宿泊客がいなくても少しは活気がある場所にしたいわね」
そんなことを考えながら歩いていく。
いろいろと思い当たることは多く、持ち歩いていたメモの一ページがあっという間に埋まってしまうほどだった。
旅館の広さは意外とあって、客室も少なくない。大宴会場だってあるし、昔はちゃんと埋まって繁盛していたのだろうとわかる。
木造の二階建て。一部は盛り上がって、櫓のように三階部分がくっついている。食堂などもあり、設備としては十分だ。
ただ全体的に質素な印象を受けた。
「もうちょっと飾りでもあれば華やかなのに」
古くなった木材は黒ずんでいるし、廊下などにある白壁も薄汚れていてやはり少し黒い。植物は窓の向こうの庭先にしかなく、視界が圧迫されたように感じてしまう陰鬱さがある。
それは旅館に入ってすぐのロビーでも如実に感じて、敷かれた赤い絨毯は暗色で落ち着きすぎている。ロビーを見守るように置かれた人の背以上に巨大な古時計が黙々と時を刻んでいるが、がらんどうな空間には空しく響いているだけだ。
更に気になったのは、部屋からも見えたあのボロボロの小屋。景観も損ねるし、そもそも何故あれだけ傷んでいるのにそのままなのか。
私が疑問を抱きながらそれを眺めていると、通りかかったフェスが教えてくれた。
「あそこは私達、獣人の従業員宿舎なんです。人間の人たちは他にあって」
「あそこじゃ居心地が悪いでしょ」
「そ、そうですね。たまに雨漏りもしますし。でも、それがもう当たり前になってますし。大丈夫ですよ。えへへ」
フェスはそう言って気丈に笑っていた。
獣人は低賃金で働かされる。それでいて扱いは不当に悪いことが多い。それはこの旅館が特別ではなく、この国では常識的によくあることだ。安く働かせているのだから、獣人自身にお金を使いたくない。そう考える事業者は少なくないことだろう。
「俺たちなんてただの使い駒だからよ」
「雨に濡れようが何も思われやしないさ。職に就けて飯が食えてるだけいいもんだ、って自分を慰める他ねえ」
ふと、私とフェスの側を通った二人の従業員の獣人がそう愚痴を漏らして通り過ぎていった。
「ち、違うんですよ。私達はとても感謝してるのです!」
そうフェスが慌てて否定するが、私としても彼らの言葉は本音なのだろうとよくわかる。
だが知能が低く自分で起業できない獣人は、こうやって悪条件でも誰かに雇われていなければ給金にありつけない。
「本当は、獣人のみんなはこの旅館を悪く思ってないのです。むしろ感謝してるのです」
「感謝?」
「昔、この近くで採掘場があったらしいんです。でもそこが閉鎖されて、失業して路頭に迷ってた獣人達を、ここの女将さんが拾って雇ってくれたらしいんです。お金もなくて小さな小屋しか用意できなかったけど、それでも住む場所まで与えてくれて――」
なるほど。
最初は善意に感謝していたが、今は時が経ち、不満へと変わってしまっているということか。その感情が粗雑な接客態度にも出てしまっているのかもしれない。
「不安と不満は血の巡りを悪くするわ」
「ふぇ?」
「なんでもない」
問題点は施設だけじゃないということか。
いろいろと課題が多すぎてなにから手をつけようかと悩んでしまう。とにかく今は少し気分をさっぱりさせよう。
「そういえば温泉は今でも入れるのよね」
私の問いに、フェスの三角耳がぴょこんと立つ。
「は、はいっ! とっても眺めのいい露天風呂が自慢のお風呂ですよ!」
「それは楽しみね」
ある意味ではこの旅館の一番の勝負ポイント。
この国では珍しい巨大な大衆浴場だ。これが拍子抜けでは元も子もない。
「貴女も一緒にどうかしら」
「ふぇっ?! ふぇ、フェスは遠慮しておきます! ミトさんに怒られてしまいます!」
冗談半分で誘ってみると、フェスは声を上擦らせて大慌てで走っていってしまった。
「残念。一人で入りましょうか」
どうせなら多くの人とわいわい入りたかったが仕方ない。
「えっと、女風呂は……一階の裏口から出て、小さな納屋みたいになったとこね」
場所を確認してから、私は部屋で荷物を用意して女風呂へと向かった。