-10『帰還』
「お久しぶりですねえ、アトワイト様」
「女将か。健勝そうでなによりだ。近頃は姿が見えないと聞いていたが」
「まだまだ彼岸までは遠いみたいで。この旅館が生きてる限り、私ものんびり生きていますよ」
「ならあと何十年となるか。いやはや、魔女かな」
女将さんは、ロビーで椅子に腰掛けるお父様と穏やかな談笑をかわしていた。
どうやら二人は旧知の仲だったらしい。
かつてはこの旅館も賑わっていたことを思えば、領主であるお父様が認知していても確かにおかしくはない。
「お母様はお元気で?」
「こちらもどうにか。足が麻痺して立てなくはなっているが、北方に良い療養地があってね。そこで世話になっているよ。孫に会いたい会いたいと、ひっきりなしに手紙を寄越してきて困る」
「そりゃあ可愛いでしょうからねえ。シェリーさんも、とても優しい良い子ですし」
「……うむ」
事務所の陰から覗き込むように遠めで眺めていた私には、どんなことを話しているのかうまく聞こえない。隣で同じように覗くミトも、生き生きとお客様と話す女将さんを見て朗らかな微笑を浮かべていた。
本当に、ミトは女将さんのことを慕っているのだろう。
「女将さん、凄いわね。随分久しぶりに会ったはずなのに、まるでつい昨日別れたばかりみたいに気さくに話してる」
「それがあの人の良ささ」
私が言うと、ミトはしみじみと噛み締めるように、そして誇らしそうに言った。
女将さんとお父様。
二人のお話はゆったりと続いていく。
女将さんが話を長引かせているようだ。それはおそらく、変更した部屋の準備のためだろう。私達の先ほどの話を全て聞いていたようだ。
「お待たせして申し訳ないですねえ。ぜひとも私がお迎えしようと思ったんですが、どうにも体は若くなくて」
「ああ、いや。気にしなくて良い。私が待っている間、グリッドという青年が足湯とマッサージをしてくれたんだ。なかなか気持ちがよかったよ」
知らぬ間にグリッドがそんなことまで。
気付けば、視界の隅の物陰で、温泉の入った桶を持ったグリッドが私にこっそりピースサインを送っていた。
地味だがありがたい。
少し待たせてしまったことも、お父様にそれほど悪印象を抱かれていないようだ。
「シェリー」
ふとお父様に声をかけられた。
遠目で見ていたのを気付かれたらしい。
私はそそくさとお父様の前へ出た。
「なに?」
「シェリー。お前はこの旅館をどう思う」
「え……」
急な質問に答えを迷った。
どういう意図があるのだろうかもわからない。
ならば正直に言うしかない。
「私は……とても落ち着ける、素晴らしい場所だと思うわ。ここにいると誰もが笑顔になる。疲れも、何もかもを癒して、すっきりした顔でみんな帰っていく。そんな不思議な力に溢れた場所だって」
それはお父様のための飾った言葉ではない。
私が心から思う本当の気持ちだ。
「そこにお前がいる必要はあるか?」
「あります!」
お父様の問いに答えたのは私ではなかった。
不意に、私の背後から声が飛び越えてきた。
振り返る。旅館の入り口。
そこには、少し土に汚れた顔をしたロロの姿があった。
「ロロ?!」
ロロは驚く私に一瞥だけして微笑んでみせると、お父様の下へと歩み寄って向かい直る。
「クランク様。シェリーの働きの成果をお見せいたしますよ」
「働き?」
どこか自信に満ちたような顔でロロが頷いたかと思った直後、ふと、地震のように微細な揺れがロビーに響く。かと思った瞬間、途端に旅館の外が騒がしくなり始めた。




