-7 『陰険』
――あの仲居頭!
予定していた部屋が空いていない。
想定外の状況に、私は焦りの気持ちを隠すのに必死だった。油断すれば、苛立ちが喉からすぐに飛び出してしまいそうだ。
「大事なお客様だからフェスじゃなくて自分が、ってミトさん言ってくれて。それで担当を交代したんです。あの……シェリーさんにはミトさんから言っておくって」
「一言も知らされてないわね」
まさかそんなことがあったなんて。
しかしそれにしては、肝心のミトはまだ事務所に姿を現してすらいない。
五号室は、以前に私が客として泊まったあの部屋だった。床の軋みなどはそれなりに直したものの、手狭で、賓客を迎えるにはあまりにも悪い。
とはいえ二号室はもうすでに、先に来た客で埋まっている。とにかく少しでもマシな別の部屋を宛がうべきか。
この間にもお父様を待たせてしまっているのだ。このままでは悪い印象を与えかねない。
「おや、どうしたんだい。随分と血相を変えて慌ててるみたいだねえ」
ふと、事務所の暖簾をめくってミトがやってきた。
彼女は私の顔を見て、ほくそ笑むような浮ついた表情をしていた。
「ミトさん。私は何も聞いてませんよ」
「あら、なんの話だい?」
「クランク様の部屋のことです」
「へえ。それがどうしたんだい」
嘲笑うように上から目線で彼女は言ってくる。
「あたし達のことは仲居であるあたし達がよくわかってる。余所者のあんたに言う道理はないねえ」
「……そう」
決して悪びれるつもりもないらしい。
今更二号室を空けることはできない。だったらせめて、少しでもまともな部屋に変更して、ミトに接客してもらうしか。
「わかったわ。今はお客様を待たせてる状況よ。空いている三号室に変えるわ。準備にすぐ向かう。だからミトさんはクランク様のところに行ってちょうだい」
それが今取れる最善手だろう。
すぐに部屋の準備に向かおうとした私に、しかしミトはまったく動こうとしなかった。それどころか不遜に私を睨み、
「おや? あたしが担当するなんて聞いてないんだがねえ?」
「え?」
とぼけた風にミトが言ったことに、私は耳を疑った。
「……いや、ミトさん。フェスと交代って」
「なんのことだい。覚えてやしないね。そもそも、あたしは他のお客様の担当があるんだ。そっちに手なんて回せやしないよ」
ミトは、当事者であるはずのフェスにすらそう言ってのけた。
わざとだ。
痴呆でも患ったのか、と言いたくなるのを抑える。
なんでこんなことを。
ふっ、とミトがほくそ笑む。
「あたしは知ってるんだよ。今日やって来た領主様はあんたの父親なんだってね」
「ええっ?!」とフェスが驚きの声をあげた。
フェスだけじゃない。そこにたまたま居合わせた従業員達が耳を疑うように立ち止まり、私へと注視したのだった。
「若旦那から聞いたのさ。あの子は素直だからね。あたしがちょっと機嫌よく言い寄ったら話してくれたよ」
「ロロが……」
「なんでも、父親である領主様を満足させられなかったら実家に連れ戻されてしまうって? だからこの旅館を着飾って、見栄を張らせようって動いてたようじゃないか」
ミトの言葉に、周囲の従業員達がざわつく。
「実家に連れ戻されたくないから。たったそれだけのために、あたし達の旅館を利用ってかい? お嬢様のお遊びで良いように旅館を弄んで、好き放題に変えていって。それで楽しかったかい?」
「別に、私は楽しんでなんか――」
「領主様には悪いが、さっさと帰るがいいよ。あたし達は真面目に働いてるんだ。この旅館を、自分の賭け事の道具にしか思っていないような小娘に、あたし達のことをとやかく言ってほしくないね」
ミトの言葉はあながち間違ってはいないせいもあって、私は強く言い返せなかった。
事実だ。
私はただただ、自分のためにこの旅館を復興させようとしていた。
自分勝手の極みだ。
結果的にみんなにも恩恵があるだろう。そう思って、女将さんや他の従業員達に嘘をついてでも、私は秘密のままにしようとしていた。
「シェリーさん……そんな事情が……」
フェスが悲壮な顔を浮かべて私を覗き込んでくる。
「いなくなっちゃうん……ですか?」
「このままだとそうなるわね」
「はっ、いいじゃないかい。あんたみたいな余所者は出ていくべきさ。ここはハルさんの作った大切な旅館。昔からずっと、変わらず築き上げてきた伝統ってものがあるのさ。それなのに、勝手に旅館は改築するわ、大時計も派手で眩しいものにするわ」
口を尖らせてミトは言う。
「あんたはこの旅館にいらないのさ!」と。
その言葉は私の心を突き刺すようだった。
「あたし達に嘘をついて騙していたことに対して、何かないのかい?」
「…………」
「だんまりかい? はっ、これだからお嬢様は。片田舎の寂れた旅館の従業員なんかに下げる頭もないってね」
ここぞとばかりに口早に畳み掛けるミトに、周囲で見ているフェスや他の従業員たちもいたたまれない顔で口を噤んでいた。
彼らは私をどう思っているのだろう。
ミトの話で事実を知り、私に幻滅しただろうか。
旅館のためではなく、ただ自分のために動いていただけの私だと知って。
――そうよね。そう思うのが当然だわ。
もはや四面楚歌。
私に救いはない気分だった。
やはり私に人望というものはないのかもしれない。そうだ、最初から邪な思いで近づいた私がこうなるのは当然のことだった。
外にはお父様が待っている。私を連れ帰るために。
もはやこれだけ待たせて、お父様の心証は最悪だろう。
仮にそれが大丈夫でも、接客してくれる仲居がいない。お父様を迎え入れられない。
今からフェスに行ってもらうのも難しい。彼女の自分の担当するお客様がいる。かといって他の手が空いている仲居では、お父様を満足させられる接客は難しいだろう。
頼みの綱であるミトは、もはや私など眼中に無いような毒づいた視線を向けてきている。
――ここまでね。
私は力なく、その場に膝をつけた。




