-8 『行き違い』
お皿に盛ったクッキーを私が子供達へと差し出すと、彼らはは我先にと群がり勢いよく頬張っていった。
「おいしい!」と子供達はにんまりと破願させる。
よかった。
初めてだけどいい具合にできているようだ。
安堵に息が漏れる。
クッキーを食べた子供が喜び、それを見て他の子も駆けつけてはクッキーを食べにくる。わいわいと楽しそうにはしゃぎながら食べる子供達に、私とフェスは息苦しく囲まれながらも、微笑ましい気持ちで受け止めていた。
紅茶を片手にロロ達も席に着き、ついでに元の目的である話し合いをしている。
そんなロビーの片隅で、アンジュは子供達から少し離れた大時計の前に向かっていた。
「あの。ヴェル……」
「ああ、アンジュさん。どうしたのかな」
今日は工房ではなく完成した金具の取り替えのために旅館へと訪れていたヴェルの元に、アンジュはハンカチで大事に包んだクッキーを片手に歩み寄る。
古い材木の使われた大時計は、新しい木材で補強してもどうしても違和感がでる。長い年月を掛けて変色した木とはづしても質感や見た目が違うからだ。
せめて少しでも長く使えるようにという、金具による補強がヴェルの仕事だ。
それも、もうほとんど終わろうとしていた。
大時計を補強するための金具を付け替えるだけ。その金具には細やかな彫金が施されており、可憐な花や葉の模様が描かれている。
「……綺麗」
目を奪われたアンジュは、しかしふと気を取り直し、手に持っていたクッキーを差し出した。
「これ。みんなで作ったの。これは私が。だから、よかったら」
アンジュの声は緊張したように上擦っていた。
彼女の手の平の上に乗せられたクッキーは少し黒くなっていて、焦げていた。それにひびが入っているものもあってやや不恰好だ。それでも、彼女が一生懸命作ったとよくわかる。
「これを、ボクに?」
「そうよ。工房でたくさん見学させてもらったし、それに……この前壊しちゃったお詫びに。ちょっと……形は悪くなっちゃったけど」
「なるほどね」
申し訳なさそうに困り眉を浮かべるアンジュに、ヴェルは少しも気にしていない素振りでクッキーを受け取ってみせた。そして焦げのあるクッキーを迷わず口に運ぶ。
一口頬張った彼は、柔らかな表情を更ににこやかに崩した。
「うん。すごく美味しいよ。お菓子づくりが上手なんだね」
「本当?! 実は……これが初めてなの」
「そうなんだ。それでこれはすごい」
「えへ……」
アンジュの顔が照れくさそうに赤く染まる。
眺めているだけで私も気恥ずかしくなりそうなくらい、二人だけの空間がそこにはできあがっていた。
ふとアンジュの顔に笑顔が浮かぶ。
「なんだか楽しそうだね、アンジュさん」
「うん。だってアン、初めて自分で何かをできたから」
「家では何もさしてもらえなかったの?」
「そうよ。だってお父様は、アンを結婚させるための道具としか思ってないもの」
口をとがらせたアンジュの顔が少し陰る。
「お父様はいつもアンを閉じこめてばっかり。お父様を引き立たせるお人形くらいにしか思っていないんだわ。そして時期が来れば、お家のために嫁がせる。私の意志なんて考えもしてくれない。かと思ったら気まぐれに今回の旅行だけは許してくれて、もう訳がわからないわ。きっと勝手な縁談を組んだことへのご機嫌取りね」
頬を膨らませ、アンジュは口々に愚痴を漏らしていった。
「私は籠の中の鳥なの。自由なんてないのよ」
まあ、私としてもわかることは多い。
お父様は領主であることもあり、自らの威厳などを保つことを大事としている。領地の権力者を屋敷に招いて食事会をする時も、私達を見せ物のように紹介することがよくあった。
私達の生活のほとんどをお父様が決めていたと言ってもいいほどだった。
アンジュの話を後ろに、ヴェルはクッキーをつまみながら大時計の修理の作業を再開する。幸福の花言葉を持つラナンキュラスの彫金を、振り子が揺れる足下あたりに飾りつけた。
金具をしっかりと固定し終わり、やがてヴェルはふうっと息をついた。
彼が足下から見上げた大時計は綺麗な装飾を纏い、味のある黒ずんだ木と相反して対照的な綺麗さを醸し出している。細部に施された金具の彫金は、一つごとに目を奪われるほど精巧にできている。
下から上まで一通りに目を通し終えると、ヴェルは大時計を見上げて頷いた。
「これで完成かな」
「あら。それはつけないの?」
ヴェルの作業鞄の中に残っている鳥の鉄細工に気づき、アンジュは不思議そうに小首を傾げた。
ヴェルが工房でよく作っていた鳩だ。
「いや、これはちょっと違うんだ。まだ完成していなくて」
「……?」
曖昧な答えにアンジュはなおも不思議そうにしていたが、それ以上の追求はしなかった。
綺麗な装飾がされて見違えるほどより立派な姿となった大時計を見上げて、アンジュは呆けるように呟いた。
「本当にすごく綺麗。私もヴェルの家で生まれたかったわ。そうしたら私も職人として勉強して、ヴェルと一緒に綺麗な鉄細工を作る彫金師になれたかもしれないのに」
「ははっ。それは面白いね」
「そうよ。お父様のお人形でしかないこんな人生よりも絶対に面白かったに違いないわ」
ふくれっ面を浮かべて愚痴をこぼすアンジュに、ヴェルは優しく首を振る。
「そんなことはないさ。領主様もキミを大切に思っているよ。だから今回の旅行だって許してくれたんじゃないかな」
なだめるように、諭すように優しく言ったその言葉だが、しかし、それを受けたアンジュは目を見開かせて絶句していた。
「……どうして、お父様が領主だと知っているの?」
「あ、いや……それは」
はっ、とヴェルが言葉を詰まらせた。
「ここに来るのにも偽名を使った。誰にも私のことを明かしてなんていない。それなのにどうして!」
きっとしたアンジュの切れ長の目が、遠くから様子を窺っていた私へと向けられる。
「お姉様から聞いたのね!」
「それは……」
「貴方も、最初から私が『領主の娘』だって知ってたから良くしてくれたんでしょ。そういうことね。だから、私が粗相をしても許してくれたし、やって来る私に対して邪険に扱わなかったんでしょ! クッキーだって、こんな焦げたの美味しくないのに美味しいって言って!」
「そんなことは――」
どうにか言葉を返そうとするヴェルだったが、しかしアンジュの語勢はあまりに強く、遮ることは不可能だった。
「結局貴方も他の大人達と一緒だったのね。私のご機嫌をとってお父様に良くしようって思ってたんでしょ。そうやって、また私を利用して――!」
勢いのままに言葉を連ねていくアンジュの目尻に若干の雫が溜まっているのが見えた。
その雫を消し去るように彼女は目許を拭うと、
「もういいわ!」
そう言って、私達を一瞥もせず走り去っていってしまったのだった。




