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3-1 『変革』

   3



 町外れの小高い丘にある旅館「湯屋 せみしぐれ」の朝は早い。


 日の出前には厨房で板前達が走り回り、仲居達は朝五時から利用可能になる大浴場の更衣室の準備や掃除、雑務をこなす他の従業員は今朝穫れたばかりの仕入れた鮮魚や山菜などを行商人から受け取って運び込む。受付担当は、朝方から異常があった場合の接客のために待機し、その合間に遠方から速達で届く宿泊予約をまとめて管理し、部屋の空室状況の確認やお客様への返信などを行っていく。掃除係はロビーや売店、それに玄関先や中庭と、箒を片手に忙しなく歩き回る。


 商工会と提携して本格的に客寄せを始めてから約一月。


 私達の旅館は、ほぼ毎日数名程度のお客様が来館してもらえるほどには成長していた。日帰り客の温泉利用もそれなりに盛んだ。以前までの閑古鳥が鳴く光景からはもはや想像もつかないほどに変貌を遂げている。


 それにあわせて水面下で着工していた旅館の更なる改造工事も進んでおり、裏山の斜面には新しく二つのお風呂が完成していた。


 大きな岩をくり抜いた洞窟風呂と、専用の空間を味わえる家族風呂だ。


 そこに至るまでの小道も、石畳の階段や小さな灯籠などで飾り付け、夜には幻想的な雰囲気を醸し出させる。


「いい感じね。きっとお客様も気に入ってくれると思うわ」

「うん、そうだね」


 今日から解放される二つの浴場を見て、私とロロは自信満々に頷いていた。


 従業員達もこの短期間にたくさん経験を積んだのか、接客もずいぶん上達している。板前の獣人の料理も、だんだん季節の旬の食材などをふんだんに取り入れた創作料理などに挑戦し始めているし、フェスを始めとした獣人の仲居組も近頃はしっかりしてきている。


 それでもたまに、


「いらっしゃいまひゃ」とフェスがよく噛んだりしているのは、まあ愛嬌ということで。可愛いからきっと許してくれるだろう。


「――という風に、最近は多くのお客様に来ていただけています。遠方からのお客様も増え、馬車でお越しになる方も多くなりました」


 近頃の旅館の状況を、寝たきりになっている女将のハルに報告する。


 彼女は痩せ細った体を持ち上げると、私の言葉を目を細めながらじっと聞き入っていた。


「それにあたり、旅館の前の空いている敷地を少し整備して、馬をとめられる場所を作れればと思ってるんですが、どうでしょうか」

「……ああ、いいよ」

「ありがとうございます」


 女将さんの承諾も得て、私は更なる旅館改造計画に心躍らせた。


 とはいえお金も無尽蔵というわけでもない。ちゃんと計画的にやらないと。


「最近は黒字になり始めてるけども、ここからが大事ね。ちゃんと貯蓄も考えて……」


 女将さんのところから旅館へ戻りながらいろいろ思考を巡らせていると、ふと、お客様と立ち話をしている仲居頭のミトを見かけた。


 彼女は決して私の指示には従おうとせず、しかしずっと昔からの顔馴染み客だけは率先し、勝手に担当を組んでいた。


 勝手が過ぎるが、まあ働かずにさぼるよりはずっと良い。それに彼女なりに、仕事はしっかりと手を抜かずこなしている。


「ここも賑やかになったものねえ」と、客の老婦人が言った。


 彼女達のいるロビー付近では、宿泊客や日帰り温泉を利用する家族連れがまばらに見受けられ、少しの賑わいを見せている。


 確かに、ちょっと前の寂れた古宿からは想像もつきづらいことだろう。


「申し訳ありません。せっかく静かに逗留なされるためにいらしたのに。騒がしくなってしまって」


 困り顔で頭を下げるミトだが、しかし老婦人はにっこりと笑顔を返しながら子供客を眺めた。


「いいえ。楽しそうなところを見るのも悪くないものだわ。静かに過ごしたいならお部屋にいればいいことだし。そういえばお部屋も綺麗になっていたわね。新しいい草の香りはとても落ち着くわ」

「……ありがとうございます」


 改築のたまものだ。

 私が来たときに見つけた廊下の床板の軋み、部屋の朽ちた柱や古い畳など、目につくものは手当たり次第に一新させた。もちろん女将さんの許可も得て。


 そのことに関してもミトは「ここには伝統というものがあるんだ。何もかも変わっちまったら、ここはもう『せみしぐれ』じゃあなくなっちまう」と反対していた。


 確かに、女将さんの頃からずっと受け継がれてきたものだってある。だから全てを保存し、あるものだけを使っていくべきだ、と言いたいのだろう。


 けれど私はそうは思わない。

 古いものを新しいものへと変えていくのは必要なことだ。


 変革。


 この旅館の滞った空気を、新しい扉を作ることで新鮮な風を流し込み、活性化させる。


「なんだか新しいこの旅館の顔を見れたみたいで新鮮だわ。ふふっ」


 そう言って老婦人は微笑むと、手に持った温泉道具を引っ提げて大浴場の方へと去っていった。


 残されたミトは、言葉を失ったようにそこに立ち尽くしてるばかりだった。


 望んでいた返事ではなかったことがショックだったのだろうか。


 口惜しそうな雰囲気を漂わせている彼女をそっと遠目に見つめていた時。


「しぇ、シェリーさん!」


 不意に旅館の入り口の方から、慌てた様子のフェスが駆け寄ってきた。


「フェス。お客様の前よ」

「ひゃっ! ご、ごめんなさい……」


 人目が集まっていることに気づいたフェスが気まずそうに頭を下げる。しかし彼女はすぐにその頭を持ち上げると、


「あ、あの。玄関でお客様がいらっしゃってまして。その、よくわからないんですけど、シェリーさんを出せ、と口を酸っぱくして言い続けていて……」

「私を?」


「大至急早く、と。なにやらご立腹のようで」

「あらら……」


 トラブルか、それとも厄介客。


 できれば前者であれ、と思いながら、私は重い足を旅館の外へと向けたのだった。


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