-8 『人と獣』
「くあぁぁぁぁ、美味い。酒が美味いのは生きてる証拠だ」
大きな笑いと共に、酒をあおる男達の大声が響いていた。
旅館の宴会場。
ながらく客足もなく、無人のがらんどうだったそこに、今宵は久方ぶりの賑わいが戻っていた。
大広間に背の低い長机がずらりと並べられ、その上には豪華な夕食が並べられている。採れたての山菜を使った揚げ物、タケノコの炊き込みご飯。川魚の焼き物に、分厚さに思わず目を奪われる牛の鉄板焼。口がべたつけば茶碗蒸しやお味噌汁で休憩でき、締めには打ちたての冷たいうどんも用意してある。
山間のこの近辺では珍しい鮮魚も手に入り、お作りまである豪華さだ。
そんなご馳走を前に、浴衣を羽織った行商人の男達は和気藹々と酒の席を楽しんでいるようだった。
白昼に起こった救出劇。
突然のことだったそれは、しかし一人の被害も出すことなく無事にフィルドの町へと戻ってこれた。
更には行商人達の商品も、地面に散らばって回収不可能なもの以外は全て無事という徹底ぶりだ。
馬や馬車は失った物の、損害を最小限に抑えることができ、行商人達は安堵した様子を見せていた。
そうして町へと保護された後は、宿もない彼らのために私達の旅館を紹介し、宿泊させたのだった。
もちろん料金は無料――というわけではなく、少しいただいている。昼間の救出の手間賃もかねてだ。
近隣の町民と違い、彼らはそれなりの金を持った太客。無料のサービスを提供してただの接待と思われるよりも、しっかりと私達の商売を見せる必要があると思ったからだ。
元々、行商人達は一泊もせず他の町へ向かう予定だったため、好都合とばかりに旅館へ宿泊してくれた。
――まあ、最初からそうさせるつもりだったんだけどね。
助けたからにはお金は落としてもらう。今頃は野獣の腹の中だったかもしれないと思えば、どんなボロ宿でも彼らに断る理由もないだろう。
「いやあ、どうなることかと思ったな」
「命があってよかった」
「まさか野獣があそこまで顔を出すなんて滅多にないからな。まあ、明日には町の兵が追い払いに行くようだし、今日はここでのんびり一泊するしかないな」
行商人達は命拾いしたことで頭が一杯で、後はもう酔えや騒げやとばかりに大声を出して飲んだくれていた。
死線の間際を踊った直後もあって、彼らの財布は随分と緩まっているようだ。次々に酒を頼み、宴会場は昼間のような賑やかさを見せている。
とはいえ急な来客は旅館としても予定外だったので、従業員達も大忙しだ。急遽、非番だった人まで総動員して、料理や配膳などに右往左往している。
酷使するようで申し訳ないが、私とロロがお願いすると、従業員達は思いの外楽しそうに駆けつけてくれていた。
「なんだか昔を思い出すぜ」と板前の獣人が気合いを入れているように、他の獣人達も生き生きとしている。
久しぶりの団体客だ。
部屋の用意に夕食の支度。仲居も裏方も、総出で旅館を走り回る。
そんな中でも仲居頭のミトだけは非協力的で、あたふたする私達を遠目から見ているだけだった。彼女も手伝ってくれれば助かるのだが、まだ私を認めてくれていないのだろう。協力的でない人の説得に割けるほど暇ではない。
「ふむ。これで万事解決じゃの」
いろいろと賑わいを見せる旅館の宴会場の片隅で、行商人達に紛れて料理を摘んでいるジュノスがけらけら笑う。少量の酒を煽りながらにこやかに宴会場の様子を眺めていた。
「竜馬のおかげです。ありがとうございます」とロロが礼を言って酒をつぐと、
「当然じゃ。うちの子らは優秀じゃからな」とジュノスは満足そうに笑っていた。
実際、その通りだと私も思う。
行商人達を救出してから彼らを町へ送る際、その脚の速さを行商人達は身を持って体感している。やや揺れるが、それは悪路であれば馬車も同じ。急ぎの便には竜馬の脚の速さは非常に役立つ武器になる。
そういう宣伝が上手くされた一件でもあった。
「あの竜馬、うちにもほしい」などという行商人の言葉が漏れ聞こえる程度には成功だろう。
他にも、商品が無事で良かっただとか、行商人達は今日を振り返る話に花を咲かせ続けていた。
その中に、最前列で一際大きな声を上げる商人がいた。無精ひげを生やした、堀の深い狐目をしたやや色黒の男だ。行儀悪く膝を立てて座椅子に腰掛ける彼は、酒瓶を片手にふてぶてしい態度で言った。
「獣人なんかに助けられなくても、俺がこの短剣を抜いてりゃ、あんな野犬どもなんて一裂きで追い払ってたもんよ」
そう言って無駄に宝石で装飾された短剣を持ち出しては、見せびらかすように掲げていた。
「この短剣は希少な鉱石を使って、一流の職人に作らせたもんだ。こいつならどんなものだって、傷口を少しも汚さずさらっと切れるってもんよ」
「へ、へえ。すごいっすね」
「獣人なんかに恩義なんて必要ねえ。人間に雇われることでしかろくに働けねえ連中よ。人間様を助けるなんぜ、まあ当然って話よな。うちの馬鹿どもも、少しは主人のために頑張ってみろってんだ」
口だけは立派なものだ。
もしそれが本当なら、あんな馬車の残骸の裏でこそこそ隠れて怯えてなどいなかっただろう。
それを他の行商人もわかっているのだろうが、彼の気を取るように、話を合わせて相槌を打っている。
獣人は知能も低く、人間より低く見られやすい。百年ほど前はそもそも奴隷のようにひどく扱われていた時期もあったという。そのせいか、今でも家畜同然に差別する人間は意外と少なくないのだとか。
彼もその思想を色濃く抱いているようだ。
獣人は人間よりも下にいるべき。そんなくだらない醜い偏見にまみれている。
けれど昼間の彼を野獣から助けたのはまさしくこの旅館の獣人達だし、いま彼が食べている料理も獣人が捌いたものだ。おまけにそんな彼へ給仕しているのも、フェスという名の獣人の少女だ。
彼らの恩恵を受けているにも関わらずその態度。
「…………」
「シェリー?」
宴会場の端で指示を出しながら見守っていた私が思わずその行商人へと歩き出したのを見て、ロロが咄嗟に引き留めようとする。けれど私はまったくかまわず、その男の前で仁王のように立ち止まった。
「あ?」
気づいた行商人も、睨みつけるように私を睨んでくる。
一触即発、といった雰囲気でも感じたのか、ロロが慌てて駆け寄ってきた。
「し、シェリー」と私の肩を掴む。
しかし私はそんな制止も気にせず行商人の前に膝を突くと、
「お客様、どうぞ一杯」
酒瓶を手に持ち、彼の持っているコップに注いでみせた。にこやかに、とても丁寧に。
行商人の男の方も拍子抜けした風に間抜け面を浮かべ、つがれたそれを口に運んでいた。
「お味はいかがですか。この町でも有名な蔵元がつくった地酒なんです。舌に悪く残らない清涼感が、このお魚のお造りにもよく合いますわ」
「お、おう。そうだな。美味いぞ」
私にそう言われ料理に箸を伸ばした男は、ご機嫌そうに頬を落として嘆美の声を漏らす。
私だって紛いなりにも年頃の少女だ。腰の低い私の接待と美味しい料理に、男はまんざらでもないように鼻の下を伸ばして上機嫌だった。
「この天ぷらもどうぞ。料理長が新鮮で旬な山菜のみを厳選し、苦みの強い部分を丁寧に取り除いております。揚げたては衣もからっとしていて美味しいですよ」
「ああ、確かに。油の甘みとほどよい程度の苦みがちょうどよく美味いな」
頬張った口許がまた垂れる。
「こちらの南瓜の荷物は挽き肉と共に甘辛いタレで長時間煮込み、とても手間暇をかけております」
「おお。味が濃く、これも酒と合うな」
「ええ、そうでしょう」
ふふっ、と私はほくそ笑んだ。
「実はこれ、全て獣人の料理人が作ったんですよ」
「なに?」
男の箸が止まる。
「うちの腕自慢の板前による自信作です。いかがですか、美味しいでしょう?」
わざとらしく私はにこやかに問いかける。
獣人を散々批判していた男が、その獣人が作った物をご満悦に口にしていたのだから、おかしいったらありゃしない。
私は内心で笑い飛ばすのを我慢した。
当の男はというと、それに気づいたのか、やや顔を赤くして手を震わせている。
「ふんっ。まあ、これくらいならば俺もできる」
よりによって更に強がったか。
「へえ、それは凄いです」
「お、おうよ」
手を擦りあわせて褒め称える私に男は精一杯胸を張る。そんな彼に、しかし私は内心冷ややかに、笑顔を作ったまま言ってみせた。
「ではご披露くださいませ」
「え?」
私が一拍、響かせるように手をたたくと、それに気づいたフェスが大急ぎで宴会場を飛び出た。かと思った瞬間、ぴちぴちと暴れる巨大な鮮魚を片手に引っ提げて現れ、行商人の前に分厚いまな板ごと置いてみせたのだった。
そのあまりの素早い手際に、男はただ狼狽し、意味が分からないといった阿呆面で激しく跳ねる魚をただ見ていることしかできないでいた。
そんな彼に押しつけるように、私はまな板をそっと押し寄せる。
「私どもの獣人は、ここで働いて以来十年以上もの歳月を研鑽に重ねて参りましたが、まだまだお客様のお眼鏡には適わない様子。であれば是非とも、彼らの今後のためにも一つお手本をご教授願えませんでしょうか」
「な…………」
気がつけば、白い割烹着を着た獣人の板前が、腕を組みながら待ちかまえんばかりに部屋の隅から行商人を 見つめていた。
いや、それだけではない。ここにいる全員の注目が集まっている。
視線を一身に受け、男は引きつったような気まずい顔を浮かべていた。
まさかこんな宴会の場に、活きの良い魚を持ち出されるとは思いもしなかったのだろう。畳の上にまな板まで用意されている始末。どう見てもここは調理場ではないその異質感。
「いや、しかし……」と男は言葉をあぐねてたじろぐが、
「ご心配はなく。せっかくの素晴らしい獣人達への授業のためでしたら、畳の一枚や二枚は汚れてもまた張り替えましょう。ご遠慮なく、ここでお見せください」
「いや、だが……それに包丁もないが」
「あら。でしたらその、ご自慢の『何でも切れる素敵な短剣』をお使いくださいな。どんな肉も綺麗に切断できるのでしょう? 私も見てみたいものです」
「そ、それは……」
当然ながら、その短剣がそれほど凄いものではないとわかっていた。それに、この男は決してやろうとはしないだろうということも。
事実、私がぐいぐいと詰め寄るように言葉を投げ続けている内に、男は萎れた花のように頭を垂れて元気をなくしてしまっていたのだった。
「はっはっはっ。これは若女将が一本とったようじゃな」
静まりかえった男に代わり、げらげらと笑い声をあげたのはジュノスだ。
私は若女将ではなくてただの助言役なのだけど、まあそれはいい。
「獣人は確かに物覚えが悪いこともある。じゃが、まったく覚えられんわけではない。自分は優秀だと驕って勉強を怠り何もできん者より、一つのことを突き詰めて人並み以上になった者のほうがずっと価値のあるものじゃよな」
酒をあおっていたばかりのジュノスが立ち上がり、その行商人の男の前にやってくる。
「人間も獣人も、一つを突き詰めれば職人に成りうる。お主も商売人であるのならば客観的な冷静を持つべきじゃな」
「な、なんだと……っ?!」
たまらず言い返そうとした男だが、しかしジュノスを顔を一目すると、途端にその勢いを挫かせて言葉を引っ込ませてしまった。
それから彼は深く肩を落とし、よろめくようにゆっくり立ち上がると、宴会場の外へととぼとぼ歩き出していった。
ふと、部屋の入り口に立っていた板前の獣人の前を男が横切り、
「……ごちそうさん」
萎んだ声でそう言って通り過ぎていった。
「まいど」と板前の獣人が気前よく返事をする。
フェスや、様子を見守っていた他の獣人達も、それを見てすっかりしたように嬉しそうな笑顔を浮かべていた。