-7 『救出劇』
一転して竜馬の許可をくれたジュノスによって、急遽即席の馬車が二台用意された。
竜馬を二頭ずつ繋ぎ、黒い竜馬のいる馬車の御者席には私とロロ、もう一つにはジュノスが腰掛ける。
渋った素振りを見せていた割にはジュノスの随分と乗り気で、あまりにも早く準備をすませていた。まるで最初から行くつもりだったかのように。
「よし、準備はできた。この子らは脚はあるし頑丈じゃ。馬では怯えてしまう野獣にも怯みはせんじゃろう。しかし喧嘩はそれほど強くはない。野獣が更に増えれば大変じゃな」
「あ、あのっ」
屋根付きの荷台にいたフェスが顔を覗かせていった。
「旅館に寄ってもらえませんか」
突然フェスがそう言いだした。
いったいどうしたのだろうと思いながらも、言われたとおり旅館へと立ち寄り、私達は準備を万全にしてから森へと向かった。
「襲われたおおよその場所はわかっておる。急ぐぞい」
ジュノスの手綱を握る手に力が入る。
私達も、置いて行かれないように懸命に後を追った。
竜馬の走りはまさに風を切るかのようだった。
多少の悪路もかまわず駆け抜ける。瞬く間に目の前の光景が移り変わり、鳥のように空を飛んでいるみたいだった。これでがたがたと激しく揺れさえしなければ夢心地の乗り物なのだが。
私とロロの後ろの荷台からも、幕の裏から居心地悪そうな声が漏れ聞こえてくる。
「もっと道を整地する必要がありそうね」
そんなことを考えながら、私達はひたすらに街道を突き進んでいった。
木々をかき分けて伸びるその道を一時間ほど走ると、草木の禿げた広い窪みにたどり着いた。
「いたぞい」
前を走っていたジュノスがそう叫ぶ。
身を乗り出して見てみると、その窪みの手前に脱輪して動けなくなった馬車があった。綱がちぎれたのか、ひいていたはずの馬はどこにも見あたらない。
そしてそれを障害物とするように隠れて固まっている、八人ほどの商人の姿を見つけた。
彼らはやって来た私達に気づき、浮かない表情を一転して明るませたが、しかしその壊れた馬車の陰からは出ようとしない。
「ほれ、どうした。乗らんか!」
彼らの目の前に竜馬をとめたジュノスがそう急かすが、行商人たちは一様に首を振った。
「馬鹿者。そんな大声を出して。奴らがいるんだぞ」
そんな商人の怯えきった声に呼応するかのように、周囲の茂みがわさわさと揺れる。
もしかするといなくなってるかもと思ったけれど、やはりそういう訳にはいかないらしい。
生い茂る草の合間から顔を出したのは、鋭い牙を剥き出しにした灰色の狼だった。驚くことにその体躯は普通の犬の数倍はあり、人間でも簡単に押し倒されそうなほどだ。ぐるる、と唸って威嚇をしながら歩み寄ってくる様子から、その獰猛さが計りしれる。
そんな巨大な野獣が、しかも他に数頭群れていた。その内の一頭は一際体が大きく、目許に傷が入っている。おそらくこの群れのボスなのだろう。
私達を囲むように野獣たちは広がり、こちらの様子を窺い見ていた。
突然であって驚いている、という風ではない。その鋭く赤い瞳は明らかに捕食者の目だ。
「これは気の小さい馬じゃ無理ね」
すぐに逃げてしまうだろう。
しかしこちらには竜馬がいる。
私達をつれてきてくれた竜馬、特にロロに懐いている黒い竜馬は、低い声を唸らせて野獣達を強気ににらみ返していた。
「も、もう無理だ。せっかく隠れていたのにお前達のせいでまた見つかってしまった」
行商人がうろたえる。
だが狼なんて鼻が良いものだ。どうせ既に見つかっていたに違いない。しかし警戒心も強い。用心を重ねて自分から出てくるのを待っていたのだろう。
獣のくせに頭が切れる。おまけに腕っ節も強い。
行商人達が誤魔化して凌ぎきれるほど甘くはなさそうだ。
しかしそれでも、「せ、せっかく来てくれたのに、お前達じゃ敵いっこねえ。また野獣をつれてきただけじゃねえか」と野次まで受ける始末。
「確かに私達人間じゃ無理ね」
ふっ、と私は微笑を浮かべた。
行商人達が不思議そうに小首を傾げる。その直後、
「行きますですよ!」
勇ましさのある甲高い少女の声とともに、馬車の荷台の天幕が開く。途端、獣耳をひっさげた獣人の少女――フェスが飛び出した。
いや、彼女だけじゃない。
それに続いて一人、また一人と、天幕の中からがたいの良い獣人達が現れた。各々に手斧や鉈などを持ち、勇ましい声をあげながら野獣の前へと躍り出る。
彼らは私がよく見知った顔ぶれだ。
出発前、フェスが旅館に立ち寄らせた時、彼女が連れてきた旅館の従業員達だった。板前や清掃員など。旅館にいた、手の空いている力自慢達をこぞって集めていた。
正直、それをフェスが最初に提案した時、私は反対的だった。
野獣は凶暴な生き物だ。獣人は腕っ節も強いとはいえ、決して簡単に勝てる相手ではない。
そんな危険を冒してまで彼らが手伝ってくれるかと不安だった。
だがフェスが声をかけに戻ってすぐ、獣人達は意気揚々と駆けつけてきたのだった。
「俺達もあんたには良くしてもらったからな。仕事をなくしていた俺達を拾ってくれた女将さんの旅館を守りたい気持ちは、俺達にだってある。そのためともなれば、恩を返すために一肌脱ぐさ」
そう言う板前の獣人を筆頭に、彼らは躊躇うことなく私達の前に立ちはだかってくれていた。
フェスも、小柄な少女ながらも片手にデッキブラシを持って精悍に構える。
「ずっと、何かできないかと考えてたんです。宿舎を綺麗にしてくださいましたし、最近はお客様も増えて、すっごくお仕事が楽しくて。全部、シェリーさんが来てくれたから思ったことです。でも、頭が良くない私達にはできることがかぎられてます」
普段はたどたどしいフェスが、そう強く意気込んで言う様子に驚かされた。
確かに獣人は考えることが人間より苦手だ。そんな彼女が精一杯考えた私へのお礼なのだろう。
「ありがとう、フェス。私達を守ってちょうだい」
「了解なのです!」
フェスや獣人達が全面に立ちふさがり、野獣達との間に壁を作る。野獣が近づこうとすれば、体躯の大きい獣人が持ち前の腕力で手斧などを振るって追い払う。
しかし狼達も、決してひたすら襲いかかってくるほど馬鹿ではない。隙あらば茂みに隠れ、回り込んで後ろの無防備な行商人達を狙おうとする。
それを身軽なフェスや細身の獣人達が駆け回り、近づけないように牽制をする。
「今よ、馬車に乗って!」
獣人達の献身を無駄にしないよう、私とロロは物陰の行商人達を乗せようとする。しかし彼らの足はあまり動こうとしない。
「どうしたの」と私がそこまで言ったところで、彼らの視線が壊れた荷車の方へと向けられていることにロロは気づいた。
「商品だ」
「捨ておけない、ってことね」
嘆息が漏れそうになるのをこらえて、私はしばし逡巡した。
時間はない。
獣人達が今は野獣を引き留めてくれているが、それもどれだけ保つかわからない。一つ間違えれば彼らでも腕を噛みちぎられ、命を落としかねないのだ。
しかし商品は行商人にとって財産。安易に手放せないのも理解はできる。
「どうしよう」
ロロが焦りの顔を浮かべて問いかけてくる。
私が尋ねたいくらいだ。
どうすればいい?
どうすればうまくいく?
ふと、ジュノスと目があった。彼の口許がふっと持ち上がる。
「商売は強情と温情じゃ」
突然何を言い出すのかと思ったが、しかし私はすぐにはっと気づかされた。
「無茶をしてでも得をとれ。そういうことね」
「どうしたの、シェリー」
「ロロ。あの積み荷も乗せられるだけ乗せて戻るわ。回収するわよ」
「ええっ?! わ、わかったよ」
竜馬を移動させ、壊れた馬車の荷車へとくっつける。
行商人達にとって商売品は命と同じほどに重い。それを守ってあげれば、彼らに一つ恩を売れる。せっぱ詰まった状況でも強欲に。そしてそれは行商人達の情を揺さぶり、私達に良いことがあるかもしれない。
情けは人のためならず、ってね。
「これを積むわ。貴方達も手伝ってちょうだい」
「ほ、本当か」
「急いでいるの。さっさとして」
「わかった」
ようやく行商人達の重い腰も持ち上がり、大急ぎで積み荷の入れ替え作業が始まった。
私も一緒に降りて手伝う。
積まれていたのは香辛料や日持ちのする肉などの乾物、綿、服飾品などと多岐に渡っていた。
それらの入った箱などを受け取り、竜馬の荷台で待ちかまえているロロに渡していく。
そんな私にまで野獣が茂みの中から襲いかかろうと飛び出してきた。
「きゃっ」と悲鳴を漏らしてしまう。
襲いかかる狼の鋭い歯牙。
駄目だ、と思ったその間際、フェスが咄嗟に庇って追い払った。
「だ、大丈夫ですか」
「ありがとう、フェス」
本当に命が救われた思いだ。
「あとでいっぱい褒めてくださいね!」
「いっぱい撫でてあげるわ」
「ひゃひ! やったです!」
より一層の気合いを入れてブラシを振り回すフェスを頼もしく思いながら、私は行商人の積み荷をなるべく残さず移し替えていった。
突然の昼下がりに起こった救出劇。
そこにいる誰もが必死になって、行商人達を助けようと躍動していた。