-3 『町の頂上に立つ男』
高級な壷や絵画の詰まった応接室のような部屋の通された私は、代表と名乗った男に茶菓子を出されてもてなされた。
彼の所作は一つ一つが丁寧で気品に溢れていた。私も領主の娘としてそれなりの作法を学んではいるが、それが余計に彼を模範的だとわからせた。
「貴族の出なのかしら」
「もう二十年も前の話さ。親が没落して、屋敷と土地、全ての財産を失った。けれど生まれた時から慣れ親しんでいたものはどうしても体から抜けないんだろうね。染み着いて、どうも癖になってる」
淹れたばかりのティーカップを傾けながら男は苦笑してそう言った。
「俺はここの代表を務めているジョシュア=ライネンだ」
「旅館『湯屋 せみしぐれ』のアドバイザー、シェリー……よ。よろしく」
「ああ、よろしく」
ジョシュアはにこやかに笑んで私を見ていた。
一度は全てを失ったというのに今はここの代表であるという事実が、彼がただの凡夫ではないのだろうとよくわかる。
商工会の代表ともなれば、この町の金の行き来、つまりは血の流れを掌握しているようなものだ。彼の舵取りによって店が栄え、あるいは潰れるかもしれない。
直接的な力はないが、この町の全ての店と繋がりを持っている以上、彼の影響力は計り知れない。
まさかこの怪しい男が代表だとは予想外だったが、すぐに対談へと持っていけたのは幸いだ。
「それで。さっそく話といこうか。キミ達が持ってきた『商談』というものを」
「ええ」
ジョシュアの表情から一切の柔らかさが消え、空気が沈むように重くなるのを感じた。私の随の奥まで見抜こうとしてくるような鋭い視線に刺され心の奥がぴりぴりと騒ぐ。
負けてはいられない。
商談は先に退いた方が負けだ。
「今回は商工会に、業務提携の提案をお願いしにきました」
「ほう」
「『湯屋 せみしぐれ』に宿泊される方は遠方からの旅行者がほとんどです。一度目はともかく、何度も足を運ぶお客様には、館内での娯楽というものにも限度があります。そこで旅行者を飽きさせないためにも、この町の中へと出歩いてもらい、町そのものを楽しんでもらえるようにしたいと思っています」
ジョシュアは静かに耳を傾けるばかりで次を促してくる。最後まで聞いてから判断しようという冷静さが伺える。
「当館のお客様にフィルドの町そのものへの興味を惹いてもらうべく、各商店と提携し、宿泊者には商店での割引などのサービスを受けられる特典を付与したいと思っています。そうすることで旅館を一泊しただけでは堪能し尽くせないような、飽きない観光地を作りたいと思っています」
「なるほど」
私がある程度を言い終えたのを待って、肘を突いて顎を乗せていたジョシュアの顔がようやく持ち上がった。
「それで、各商店側への利点は?」
「各商店は、私達は招き入れられた町外からの客を得とくできます」
「……で、どれくらい増えると思うんだい?」
「それなりの数は、かならず」
「具体的に」
私は数瞬、言葉に詰まってしまった。
「それは……わからないわ」
勢いが挫かれ、私の言葉は弱々しく宙を舞った。
はあ、とジョシュアのため息が聞こえる。
「キミたちは今、目も当てられないほど客足を遠ざけている。今日来なかったら、勝手にいつの間にか潰れてると思ったほどだ。そんな極小の旅館がつれてくる客にどれだけの価値があるのか。そもそも来るのか。それにかけた労力に見合った対価はあるのか。そういうことは考えなかったのか?」
「確かに今は客も少ないわ。けれど、それを改善しようと様々な施策を行って、ちょっとずつ回復していってるところよ」
「改善していく? 回復している? 誰だってそう言うさ、尻に火がついて融資の申し込みのたっめにここに来る連中は。だが結局は何模できずに多くの者は潰れていく」
ジョシュアの達観した物言いが私を圧倒する。
「他力な願望ほど薄っぺらいものはないものさ。側だけを繕った中身のない意見に耳を貸せるほど、俺達は聖人君子じゃないんだ」
「私は別に……」
必死に言い返そうとする私に、しかしジョシュアはくぎを差すように付け加える。
「お屋敷で暮らすお嬢様がお遊び感覚で手を出せるほど、商売っていうのは簡単じゃない。これは玩具も全て用意されたおままごとじゃないんだ」
「えっ……」
そう言ってジョシュアがおもむろに立ち上がる。
「すまないが、もうすぐ他の町から行商人が町へ立ち寄る予定だ。滅多にここまで訪れない彼らに交易品を落としていってもらうためにも、交渉の準備をしなければならないんだ。だからキミ達のお遊びの相手をしている暇なんてないんだよ」
そしてジョシュアは、私なんて眼中にないかのように部屋を出て行ってしまったのだった。